一.それは何よりも尊い日常
何故か始まったこの作品
まったりゆったりとやっていきたいと思います
「ルーシェ! こっちだ!」
声を上げた私は素早いパスをもらうと、バスケットボールをドリブルで運んでいく。
させまいと立ちはだかる相手を左右に重心を振るフェイントで躱していき、流れるままシュートを放つ。放物線を描きながらリングを揺らすと、スポッと落ちていく。
試合終了のホイッスル。
21−22。ギリギリの勝利だったな。
「ナイスシュートだ、彩花」
汗をぬぐう私に近づいてきたのは日本では珍しい金髪を腰まで伸ばした、同性の私でも見とれてしまうような美少女。それは姫のような華やかさではなく、騎士のような凛々しさをまとった美貌だ。ルーシェこと、ルーシェ・如月、プレリヒト聖王国と日本のハーフらしい。その凛々しい面持ちに、男子そっちのけで観戦して女生徒から黄色い声が上がるのはいつもの光景だ。
「ルーシェがいいパスをくれたからだよ。剣道だけでなく、バスケでもさらにファンを増やしそうだな」
私が少し意地悪く言うと、ルーシェはやれやれと肩をすくめる。
そんな仕草もまた様になる。
「勘弁してくれ。好いてくれるのは嫌じゃないが、何処にいても視線に晒されて休まる暇もない」
「スポーツ万能、成績優秀、顔も凛々しいとくれば仕方ないことだとは思うけどね」
「いや、お前もこの歓声を上げさせる要因なのだが……まぁ、いいか。それよりさっさとシャワーにしよう。混雑して昼の時間が無くなってしまう」
「はぁ、運動してシャワー浴びてご飯食べた後に午後の授業とか……学校側が生徒をふるいにかけているとしか思えないよ」
「それも歴史の小沢先生とくれば生徒の大半は撃沈するだろうな」
たわいない会話をしながらシャワーで汗を流すと、弁当を持参していない私とルーシェは食堂へと向かう。
廊下を歩いていると窓を開け、下を眩しそうに眺めている生徒たちがちらほらと見える。
ロの字型の学園、その中庭に彼らの視線をくぎ付けにするものがいる。
大木の影で車座になりながら弁当を食べている集団はこの学校全体でトップのグループだ。中でも一際目立つのは一人の男子生徒と女生徒。生徒会長、椚木昴と副会長である西蓮寺紫音だ。非の打ちどころがないとは正に二人のためにある言葉で、悪い点を探す方が難しいという聖人。生徒会選挙のとき、二人とも他の追随を許さない独走ぶりだった。
加えて整った容姿からは男女問わず人気も高いというオーバースペック。
私も何気なく下を見ると、風に遊ばれふわりと揺れる西連寺のブロンドヘアーが輝いた。
綺麗だ……思わずそんな感嘆が零れてしまう。
すると今まさに見惚れていた人物とパチリと目が合う。
ぞわっ! な、なんだ? 一瞬捕食される寸前の草食動物の気分を味わった気がしたのだが……
「彩花、よそ見をしていると危ないぞ」
ぶっきらぼうにルーシェは告げると、面白くなさそうに眉をしかめる。
て、おい、私の手を握り締めていきなり急がないでくれ。思わず転びそうになったじゃないか。
剣道部で常に首位を争うライバル同士だからか、この二人はあまり仲が良くない。切磋琢磨できる友人はとても素晴らしいと思うんだけどな……
そんな私を見て、逆にルーシェが分かっていないと言わんばかりに溜息をつく。
……なぜ私がそんな反応される?
Ω
「そういえば彩花、明日のことちゃんと覚えてる?」
食堂で最も絶品――だと個人的には信じてやまない――激辛チャーハンを頬張っていると、突然の質問。
……駄目だな、何のことか全くわからない。
「……明日って、行事でもあったけ?」
「やっぱり忘れてる。いや、真に受けてなかったんだな。明日、正確には明後日だが、6月6日はおまえの誕生日だろうが。この前も言ったが、明日の夜は体育館で盛大にお祝いするんだからな!」
「ちょ、待って! その話本当だったの!?」
当然、と言わんばかりにルーシェは頷くが、私は頭が痛いばかりだ。なぜたかが一個人の誕生日に体育館を貸し切って全校生徒でお祝いをする!? 私にとっても拷問だが、それほど関わりのない生徒からしたら迷惑甚だしいだろう。
「前も言ったけどわざわざ16の誕生日にそこまでする必要はないって。いつもみたいに普通に――」
「駄目だッ!!」
バンと、食器が大きく跳ねるほど机を叩くと、ルーシェは勢いよく立ち上がる。食堂全体に響いた大声に一瞬しんと静まる周囲。私はあわてて、ルーシェを座らせると、
「ど、どうしたんだよ、いきなり。そこまで怒ることじゃ……」
「明日は必ず盛大にお祝いする。お前の、16の誕生日なんだから……!」
今にも泣き出しそうな顔で言われてしまっては、嫌だと首を振れるはずもない。
不可解なことはあるが、私は渋々と了承するしかなかった。
Ω
「はい、皆さんごきげんよう。今日は数世紀前に起こったとされる『終焉戦争』について復習していきしょうねぇ」
午後のはじめ、歴史の小沢先生がおっとりとした声音で教壇に立っている。
駄目だ、すでに何名かが眉間を撃ち抜かれたように机に突っ伏した。
「知らない人はいないと思うけど、数百年前にとても、とても大きな戦争が起きました。それは人類と、聖女教の史書に書かれた『終焉』と呼ばれるモノとの戦争ですねぇ。それがどんな形状だったか、どんな力を持っていたか、いつどこで、正確なことはわかりませんが、確かに存在したとされ、今でもその存在を疑う人はごく少数でしょう。では、大木さん、なぜそんな曖昧なモノがあることを大多数の人は確信しているのでしょう?」
指名された大木さんは船を漕いでいた体を一瞬ビクッ、とすくめたがすぐに立ち上がると、
「そ、それは当時の戦争の爪痕が今も世界各地に残っているからです」
「はぁい、よくできました。大木さんの言う通り、爪痕は今も色濃く残り、人どころか動物も、植物も育たない地域が多く残っており、今も復興は遅々として進みません。そんな相手に当時の人類は絶滅寸前まで追い込まれたとされていますが、聖女の登場により、一致団結した人類はかろうじて勝つことができたとされています。しかし、その破壊は計り知れず、ほとんどの国は滅び、文化は断たれてしまいました。こうして今のレベルまで回復するのにも、それはもう時間がかかったのですよぉ。先生がまだ子どもの頃には――」
ま、瞼が重い。小沢先生の声は相変わらず最強の睡眠誘導装置だ。
目をこすり、眉間を揉んでも睡魔には抗えず、私は知らず知らずのうちに眠りに入ってしまったらしく、ルーシェに起こされた時にはもう教室には疎らに人が残るくらいだった。
うんと伸びをして意識を覚醒させた私も、ルーシェと一緒に、寮へ戻る。部屋で別れるまで、何度も明日のことを確認され、ほとほとうんざりしながら私は部屋のベッドに寝転がる。
先ほど寝たばかりだというのに、なんだか今日はいつもとは比べものにならないくらい眠気がすごい。
また閉じようとする瞼を今度は抵抗もせず、すんなりと受け入れた。
Ω
気が付けばほとんどが白に浸食された空間にいた。
ああ、これは夢だな。
なぜだか私はその事実を慌てることなく受け止めていた。
白いと思っていた空間はどうやら誰かの視点のようだった。時折、ちらりちらりと、こちらに向かって楽し気に笑う小さな口が見える。みずみずしいその唇を私は当たり前のように少女のものだと理解した。
花のように笑う彼女を見ていると、なぜか私まで心が温まる。しかし、どうしてだろう……それと同時に胸が締め付けられるような気分になるのは。
白の浸食がさらに強まる。
少女の笑みが消えてしまう。
私は夢の中だということも忘れて必死に手を伸ばす。
ただただ、彼女ともう離れたくなかった。
Ω
ハッと目を開くとそこはいつもの寮の天井。
夢……を見ていた気がする。どうしてか全く思い出せないな。
まぁ、忘れるくらいなら重要なものでもないのだろう。
私は今日の誕生日を思い、憂鬱な気分でベッドから起き上がると、何処からかポタ、ポタと水の落ちる音がする。雨漏りかと辺りをうかがったあたりで、私は視界がにじんでいるのに気が付いた。
それは、今まで体験したことのないような滂沱の涙だった。