欲しいもの
「……あなたの望むものはなんですか?」
シシュンは、反射的に言い放っていた。
闇魔法使いの黒々とした瞳を見ていると、その未来に不幸な結末しか待っていないような気がした。
「なに、僕の要望は簡単だ」
アシュは羊皮紙を一枚手渡す。
「……っ」
眼球を文字に一行這わせるだけで、言葉が詰まり、羊皮紙を持つ手が震える。かつてないほどの悪寒と身震いがシシュンに訪れていた。
「見たところ、優秀なようだが、君はまだ若いな。いや……もう、君のような者しか残っていないと言えばいいのか」
言葉には出さずとも、彼が暗殺者の首領であることを察していた。復讐の牙は研いでこそ磨かれる。数多の先人たちの死によって、彼らのそれは鋭い光を発している。それゆえに、部隊としての力量は大陸有数であるが、少数故に折れやすい。
アシュの見たところ、数百人ほど。彼らはそれぐらいの戦力しか有してはいないだろうと判断した。
「……仰る通り、私たちには選択肢が残されていない」
唇を震わせながら、偽らざる本音をシシュンは漏らす。死の商人としての活動も、昨今は非常に厳しい。ライーザ王が商組合を作り、闇商人の締め出しに掛かっている。バージスト聖国の認可する商人でなければ、モノを売ることすらままならない。
「それは不幸なことだ。しかし、安心していい。それを集めてくれれば、相場の10倍は支払えると思うよ」
「……じゅ」
暗殺者の一人が思わず声を漏らすのを、シシュンが手で制した。
「30倍でどうでしょうか?」
「クク……過ぎた欲は身を滅ぼすよ」
全てを見透かすようなその視線に、心の怯えを禁じ得ない。商いをする者に飛び交っている噂。アシュ=ダールと取引をする者は、大陸有数の力を持つか……死か、それしか選ぶことができない、と。
「あなたが不足だと言うのなら……こちらからもう一つ渡したいモノがあります」
「ほぅ。なんだい?」
「私の命です」
シシュンは、自らの首に刃を当てる。
「……わかった。相場の30倍支払おう。君の覚悟に免じてね。ただ、命は要らないな。これでは割に合わない」
闇魔法使いは大きくため息をつく。
「他のモノを?」
「いや……僕は、対等な取引を信条としている。こんなはした金で君の命とは釣り合わない。少なくとも……僕の中ではね」
「……本心ですか?」
とてもではないがシシュンには同意できなかった。これだけの金があれば、5年は土着の民が食うに困らぬだろう。
「金の価値は人それぞれだ。僕にとっては紙きれ並みの値打ちしかない。君だってそうだろう?」
「いえ、私は……」
「金とはあくまで手段だ。君は金自体に価値を見出してはいない。そこから、生み出されるなにかに命をかけた。つまりそういうことじゃないのかね?」
「……」
「雑談が過ぎたね。ミラ、お待たせ。そろそろ行こーー」
「ZZZZz……」
爆睡中の執事に、思わず額に指を当てる。
「立ったまま寝るとは……途方のないアホ執事だね……よっと」
アシュは彼女の両手を自分の首に交差させ、おぶって歩き出す。
去り際、
「ああ……そう言えば、君たちは質のいい絹を織っているね」
思い出したように、つぶやく。
「え、ええ。かつては多く生産していましたが」
「……1着。いいドレスを頼む。代わりはそれでいい」
そう言い残して、闇魔法使いは馬車の方へ歩いて行った。




