カン
「ただいま戻りました」
失神したタリアを客室に運び終わり、ミラは主人の部屋へと入った。
「僕のカンが正しければ、彼女は僕に惚れてるね」
「アシュ様のカンは腐っておりますので、圧倒的な勘違いかと思います」
執事は自信満々に言い放つ主人に答えた。
「やはり、世の中は広いな。あらゆる良書を読みあさってきた僕が、こんな傑作を見逃していたなどと」
手に取った本、『ゼロから始める恋愛初心者の帝王学』のタイトルを見ながら、不敵な笑顔を浮かべる非モテ魔法使い。
「……酔っ払っていらっしゃいますか?」
「知っているだろう? 基本的に、僕が本を読むときはお酒は飲まない」
「そうですが……残念です」
やっぱりシラフだったようで、有能執事は相変わらず残念な想いを抱く。
「不勉強な私に教えていただきたいのですが、その書物から学んだことはなんなのでしょうか?」
「見てわからなかったかな?」
「申し訳ありませんが」
どちらかと言えば、恐怖と嫌悪感しか植え付けていないように見えた。実際に、失神してしまったのだから、それが恋愛感情でないことは自明の理である。だが、目の前にいる魔法使いは気づかない。人の気持ちがわからない。
「まず、彼女は怯えていただろう?」
「はい」
「これは吊り橋効果と言う。恐怖を抱く感情と恋愛感情は似ている。僕はあえて彼女に恐怖のエッセンスを加えることで、彼女に恋愛感情の錯覚を与えたんだよ。まあ、
女性を怖がらせるなど、紳士的ではないから、ごく微量だがね」
「なるほど」
理解した。自身が恐怖の感情を抱かないが故に、他人がどの程度恐怖するかかがわからない。アシュにとっては吊り橋に立っているだけのもの。だが、タリアにとっては、喉の奥で刃物をグリグリと当てられるほどの絶望感。そのことを、毛ほども理解していないことを、理解した。
「そして、僕があえて『友人になりたい』と連呼していたのを覚えているかな?」
「はい」
「あれも、この本のテクニックが使用されている。彼女はアリスト教12使徒と名乗るくらいの魔法使いだ。彼女もそれなりに僕のことを知っているだろう。史上まれににみる高名な魔法使いの僕が、彼女の位置まで降りてきて、あえて同格になりたいと申し出た。これは、王子が庶民に行う行為と同じ効果をもたらす」
「なるほど」
理解した。過剰すぎる自己評価の高さが起こす圧倒的な錯覚。もちろん、現実は異なる。響き渡っているのは圧倒的な悪辣。魔法使いとしての功績が大陸一なのは疑いない。ヘーゼン=ハイムすらも超えるほどの成果を人々にもたらしていることは間違いないだろう。しかし、底が見えないほどの低評価と差し引きしたら、必然的にアシュ=ダールの評価は、底が見えないほどの深淵である。自身の低評価を、まったく理解していないと言うことを、理解した。
「しかし、驚いたな。彼女が『ここに泊まりたい』と言ってくるなんて。『ずっとここにいたい』とまで、まったく困ったものだね。フフフ……フフフフフ……」
「本当に、困ったものです」
全然困ってなさそうな笑顔を浮かべたキチガイ魔法使いに、有能執事は100パーセント同意した。モテなさすぎて、自分が言ったことを、彼女が言っていると思い込んでしまっている。200年という膨大な非モテ期間が、確実にこの魔法使いをぶっ壊してしまっている。
「まさか、リリーとシスを見守っている時に、こんなことになろうとは。もう、こうなってしまったら、彼女との時間を優先した方がいいのかな……まったく、モテる男というのは、まったくつらいものだな」
「心中お察しいたします」
ミラは確信した。目の前の魔法使いがなぜ、彼女をこの禁忌の館に呼び寄せたのか。敵の正体が知りたいということではない。もちろん、リリーやシスのような生徒を助けるという目的でもない。ただのナンパ。たまたま、タリアを見て、『ナンパしよ』と思っただけに過ぎないのだと、有能執事は確信した。
「明日からも、基本的には同じ戦術で行こうと思う。恋愛は戦いだからね……フフフ」
「……かしこまりました」
心優しき執事は、圧倒的にタリアを不憫に思った。




