アリスト教
ボグナー魔法学校の理事長室。置かれているのはボロボロなソファ、そして長机に置かれたチェス盤のみ。学校の最高権力者の部屋にしては、至ってシンプルな間取りである。
そんな中、部屋の主であるライオールは、いそいそとハーブティーをカップに注いで、来客であるテスラとサナに置く。
「本当に申し訳ありません。あなたほどのお方に大したもてなしもできず」
「気にしないでください。それに、このハーブティーもすごくいい香りです」
テスラがカップを手にとって顔を近づけた時、若干であるがセナの顔が曇る。
「安心してください。毒など入っていませんよ」
「……では、頂きます」
もちろん敵の発言など信じるはずもなく、痩せ細った従者は彼女より早くそれを飲むことで毒味を完了させる。
「セナ、失礼ですよ」
「仕方ありませんよ。あれは非常に不幸な出来事でありましたから」
ライオールもまた、フッとため息をつきながらカップに口をつける。
「……どうか聖櫃を渡してくれないでしょうか? アレは、危険過ぎます。悪用されないように一刻も早く安全な場所に保管しなくてはいけません」
「自慢ではありませんが、このボグナー魔法学校も大陸の中では有数の安全性を誇ると自負しております」
「ふざけるなっ!」
会話の途中でセナが大声を出す。あのアシュ=ダールこそが、最も危険な者であると言うのは大陸中の認識であるはずだ。それにもかかわらず、ヌケヌケと妄言を吐く目の前の老人に対し、従者は敵意をむき出しにする。
「あの方は安全です。なにより、彼女……シスの身を案じておりますし、その身体を傷つけることなく中身を取り出す方法を現在模索しているとのことでしたよ」
「信用などできるか!」
「……困りましたな」
好々爺はなんとも言えない表情の苦笑いを浮かべる。
「セナ、落ち着いてください。ライオール、そのアシュ=ダールという方に会わせてくれませんか?」
テスラは深々と頭を下げる。
「それはかまいませんよ。ちょうど、今、特別クラスで授業をしているはずですからご案内します」
そう言って、理事長室から出て特別クラスへと移動した。
特別クラスの教室に入った時、白髪の魔法使いは高らかに講義をしているところだったが、彼らに気づくと目を大きく見開いく。
「アシュ先生、少し授業を聞かせてもらいます」
ライオールが言うと、
「ほぉ……それはそれは」
とアシュは笑う。
生徒たちも彼らの存在を気にしていなくもなかったが、それどころではないとばかりに授業に集中している。
「さて、諸君。滅多にお目にかかれぬ方がいらっしゃったので、趣向を変えよう。これからは、アリスト教について語らうとしようか。ご存知のとおり、アリスト教は大陸最大の宗教である。なぜ、ここまで発展したかわかるかな?」
「た、正しいからです」
反射的に答えたのは、リノール=ゼラーという生徒だった。クラスの中で、彼は根っからの聖心主義者であり、敬虔なアリスト教徒でもある。
「なるほど……いい意見だ。それは、『正義』と置き換えることもできるかもしれないね」
とアシュはホワイトボードに書き始める。
「他に意見はないかな?」
「はい!」
「おっと、リリー=シュバルツ君。いつもは一番に手をあげる君が、今日は二番手か。やっと、でしゃばりを反省する気になったかね?」
「一言ではまとめられなかったので、小論文にして書きました」
そう言って、『アリスト教の発展』というタイトルが書かれた数枚のレポート用紙を提出する。ゆうに3000文字を超える文字をマジマジと眺めながら、
「……優秀を通り越して、アホだな君は。とりあえず、ここで目を通すと数時間ほど費やしてしまうので、あとでじっくりと読んで、滅茶苦茶論破してやることにしよう。他には?」
「高潔さです」「神の子アリストの功績です」「政治的指導者にアリスト教が多いからです」「権力者が多いです」「聖魔法を主に扱うからじゃないでしょうか?」「やはり、歴史的に何人もの優秀な魔法使いがいたからじゃないでしょうか?」
口々に生徒たちから活発な意見が出ることに、ひとしきり満足した表情を浮かべるアシュ。
「なるほど、すべて貴重な意見だね。この問いは、僕ですら難解で何十年も研究しているテーマの一つでもある。まあ、彼らは奇跡のような発展を遂げてきたのだ。恐らくは、『それが解ける日はないのではないか』とさえ思うほど、理屈では説明できぬことが多い」
「「「「「……」」」」」
「しかし、今、彼女を一目見てその謎が解けた気がするよ」
アシュはそうつぶやき。
歩き。
教室の後ろで立っているテスラのもとへ立ち。
その手をとって、片膝をつく。
「今晩は空いていますかな? あなたが美しいからアリスト教が美しいのか。それともアリスト教が美しいからあなたが美しいのか。その最終的な解答について、一晩中議論を深めませんか?」




