失望
サン・リザベス大聖堂は夜の闇に溶け、人の視界ではなにも見れなかった。いつものように大司教サモンは、聖母像の前で祈りを捧げる。病の侵された身体で、あと何回この行為ができるだろうか。
「……邪魔が入った」
「気配は消したつもりだったがな。さすがは、大司教」
白銀の軽鎧で纏った男、ロイドが腕を組みながら彼の横で立っていた。
「貴様はどういうつもりだ?」
平然とした表情で問うサモンだったが、内心は巻き起こる怒りの感情を必死に抑えていた。
「なにがだ?」
「アシュ=ダールに我が同胞を刺客に向かわせたな……しかも、ジュリアは戦闘など行える娘ではなかった」
サモンは少なからず、彼女と交わりがあった。敬虔なアリスト教徒で、休日には必ず貧困の子たちの世話を行う優しい娘だった。
そんな非難に、ロイドはフッと鼻で笑う。
「俺は奴に真実を教えてやっただけだ。奴の愛するケリーが殺されたという真実をな。後は、全部奴が自発的にやったことだ。それに、お互い様じゃないか?」
「……」
己の業にサモンは思わず天井を見た。今更、彼女がケリーに想いを寄せていることに気づくとは。今更、聖櫃の情報提供者が彼女であることに気づくとは。
「アシュ=ダールがいることを、あんたはなぜ俺に教えなかった? 俺が奴に恐怖し逃げ出すとでも?」
「……」
ロイドの瞳には怒りが見て取れる。
「……まあ、いい。これでおあいこだ。お前もこれで懲りただろう?」
「まさか……貴様、そのために彼らを」
サモンの拳から血が滴り落ちる。こんな男を雇ったばっかりに、ジュリアのような清き娘を死なせてしまった。今更ながらに、己の愚行に辟易する。
「それだけじゃないがな。本当にあのアシュ=ダールか、確かめたかった。まあ、結果はこの通り。大層な二つ名を冠しているのは伊達ではなかったな」
闇喰い。
それが、裏の世界で知られているアシュの呼び名である。不老不死の背信主義者。その名を知らしめたのが、120年前のシーザス荒野の戦い。史実でも有数の魔法使いが動員されたとされるその戦いは、3日目に突如終結を迎えることになる。
5万人とも言われる動員数の中で生存した者は、120余名。彼らは皆口を揃えてこう言った、『銀髪の男が現れ……闇と共にすべてを奪って消えていった』と。陣営の士気を下げないために、両国とも彼らに戒厳令を敷き口を封じ史実では終戦の理由は語られていない。
しかし、裏の世界ではそれが伝説的な話として伝わった。闇すらも彼にとっては餌でしかない。闇すらも喰らう『闇喰い』。それは、長い年月が経過した現在も語り継がれている。
「貴様にアレがどうにかなるのか?」
サモンは敢えて挑発的に口にした。どうやら相当に自尊心の高いタイプらしい。それならば、敢えて隠さない方がよいだろうと判断した。
「……誰に向かって言っている?」
「不死の魔法使いだぞ? 倒す術などあるのか」
「そんなもの、俺にとっては何の意味もないよ。貴様らと一緒にするな」
ロイドは不敵に笑い、背を向けて歩き始めた。
サモンは黙ってその後ろ姿を眺める。この男もまた、尋常ならざる男であることは間違いない。サモンの知る限り、この男より確実に仕事をする者は聞いたことがない。
大きくため息をついて、再び教壇の前に跪いた。
「あまりにも……多すぎるな」
サモンはそうつぶやいた。懺悔することが多すぎる。思えば、振り返った道は悔いばかりだ。ケリー、ジュリア、他に大勢信者を殺し、目的のために殺しを生業とする外道に運命を委ねる。
だが……それでも。聖櫃を手に入れなければアリスト教徒に未来はなく、理想郷など夢のまた夢だ。遺されていく彼らのために、例え地獄に落ちようとも。
「……グフッ!」
突然吐き気に襲われて口を掌で抑えた。掌には黒々とした血液の固形しかけたものがおさまっていた。
「あまり……時間がないな……」
無駄死にだけはしたくない。そんなことになってしまっては、なんのための犠牲であったのか。なんのための……
残り少ない命を感じながら、サモンは血で滴る掌を合わせて神に祈った。




