太陽
星が瞬き。ホグナー魔法学校に生徒も教師もいなくなった頃、理事長室のボロボロなソファにアシュとライオールが対面していた。
その日の老人の表情は少し強張っていた。彼は、ナルシャ王国でも五本の指に入るほどの名声を持つ。そして、彼は国民的な人気を持つ魔法使いだった。単に優れた魔法使いでは決して持つことができない人気。それは、彼の穏やかで思慮深い性格ゆえ。彼の心中は常に穏やかであり、清貧であり、すべての魔法使いの手本だった。ホグナー魔法学校の理事長に最年少で抜擢されたのも、彼のそういった人柄のおかげである。
そんな彼の表情を強張らせているのは、145個の称号、賞を持つアシュだった。それも、小さな規模ではなく国家の隆盛を左右するほどの功績により得られるモノ。しかし、圧倒的な功績を誇る彼に名声はない。それは、一重に彼の歪んだ思想。いびつな性格によるものだった。彼が国家レベルで犯した犯罪、禁忌は実に300を超える。移り行く国には漏れなく国家追放の憂き目に遭い、その難儀な性格ゆえに女にもモテない。
明らかにライオールの清貧な人格が、闇魔法使いの歪んだ人格に押されている瞬間。それが、現在の状況だった。
「……今更何を言っているんですか?」
執事のミラが、ダージリンをカップに注ぎながら理事長の心を代弁する。
「だから、僕はここの教師をやめると言っている」
「……何か気に障ったことでも?」
ライオールの問いに、アシュはゆっくりと首を横にふった。
「いや。生徒たちも情熱溢れる生徒ばかり。お気に入りもいくつか見つかった。何より外見の優れた生徒も多い。未来の恋人候補を得るには格好の場だと思う」
教師が生徒を手篭めにする。言い方は悪いが、それ以外に表現できないほど基本的な禁忌。それを、堂々と『する』と理事長の前で言い放つアシュ。彼には、もはや国家の法に縛られるという概念は存在しない。自らが決めた倫理にのみ行動する。恋愛において、身分や年の差は障害にならない。それが、彼の出した答えだった。
もちろん、心中穏やかでないライオールだったが彼は伊達に長期間国民的人気を誇ってはいない。感情を抑える術は心得ている。
「ならば、なぜ? 是非、あなたにはここに残って華麗なる教鞭を振るっていただきたい。あなたのその深い見識に生徒はみんな虜になるでしょう」
満面の笑みで答えた。この老練な理事長はアシュが生徒を手篭めにするのを黙認した。それは、彼の真の人格が清廉潔白なだけではないことを表していた。目的のためには多少の汚濁も容認する。その考えは、かつてアシュも師事していた師匠、ヘーゼン=ハイムの教えに基づいていた。
ライオールの説得に、大層納得した表情でアシュが頷く。
「ふむ……確かにな。感情的に口走った決断であったが、言われてみると確かに惜しい気はしてくる。面倒ではあるが、少し、自らの感情を言語化してみようと思う」
そう言ってブツブツとつぶやきながらアシュは一旦席を外した。
「……意外でした。ライオール理事長は、聖人君子のような方だと伺っていたので」
一方、人形でありながら心優しき魂、清廉潔白な性質を持つミラはそうつぶやきながらライオールにカフェオレをつぐ。
「もちろん、生徒が同意すればですが」
そう悪戯っぽい形で笑いかけ、やっとミラは彼の真意に気づいた。生徒がこの変態ロリ魔法使いに心を許すはずがない。伊達に200年間フラれ続けたわけじゃない。ルックス面は申し分ない。財産も申し分どころか、1国をまるまる買えるほどのほどの財がある。
しかし、モテない。それも圧倒的に。ライオールの知る限り、アシュが生きてきた200年の中で彼に心を許した女性は数人ほどしかいないはずだ。もはや、ライオールは、このナルシスト魔法使いが魂レベルでモテない男であると結論付けていた。
だとすれば、彼には好きなようにさせて生徒を守ってくれた方がいい。それが、ライオールの結論だった。
やがて、アシュは入ってきて再びソファに座り、カフェオレに口をつけた。
「考え直していただけました?」
ライオールが尋ねると、性悪魔法使いは首を横にふった。
やはり難儀な方だ……そうおもわず苦笑いがこみ上げる。
「ケリーという青年は、敬虔なアリスト教徒であったようだ」
アシュは突然、そうつぶやいた。
「あなた方を襲った青年ですか。信じられませんな、温厚で知られるアリスト教徒がそんな凶行に及ぶとは」
アリスト教の成り立ちは深い。かつて神の子と謳われた、アリスト=リーゼンバルグ。彼の起こした奇跡は魔法のレベルを超えていた。大陸全土を周り、疫病を鎮め、干ばつ地帯に雨を降らし、数万の傷ついた民を癒したという。他にも各地には数々の奇跡を起こしたと伝承があるが、そんな救世主は、為政者に疎まれた。
やがて、当時大陸一の大国であったバルカ帝国皇帝ノーザンはアリストの圧倒的な人気に嫉妬し、救世主アリストを処刑した。
その出来事に大陸中のアリスト教信者は怒り、バルカ帝国に対し復讐を行ったとされている。やがて、その勢いは諸外国をも巻き込み、次々と領土を奪われていったバルカ帝国皇帝ノーザンは、かつてアリストが処刑されたベルゼボアの丘で斬首された。
その後に起こされたのがナルシャ王国で、国王はアリスト教徒を国教とし厚遇した。この出来事からアリスト教は大陸全土に広がった。
「瞳に映るものが全てではないよ。僕の瞳に映る君が、君の性質全てを表しているのではないようにね」
そう言い放つアシュに、ライオールは深い笑みを浮かべる。
「しかし本当だとすれば、見過ごせる問題ではないですな」
「いや、まさしく僕は見過ごそうと思っているんだ」
「……と言うのは?」
「聖櫃……僕は興味があるのさ。彼らが何を追っているのかね。だから、彼らの好きにさせようと思っている。僕のような強力な魔法使いを相手にしたら、彼らは目的が達成できないだろう?」
アシュは笑っていたが、ライオールはすでに微笑んではいなかった。
「……次は本格的に襲ってくる可能性は高いですな。下手をすれば、生徒に危険が及びます」
「そうだな。まあ、しかし僕が思うに目的は生徒だ。特定もできていない。生徒に危害が加わることはないだろうな。君たちはともかく」
淡々と答えるアシュに、初めて一筋の汗がライオールに流れた。傍観する、闇魔法使いはそう答えた。たとえ、ライオールを初め他の教師たちが殺されるような事態になったとしても。
やはり、この方の闇は……容易に操れるものではない。ライオールは、深くため息をつき自らの決断を少し後悔した。




