禁忌の館 再び
そこは館と呼ぶにはあまりにも奇妙な場所だった。まぎれもなくアシュ=ダールが住まう場所であるが、庭を埋め尽くす程の墓標。常人ならば吐き気を催すほどの死臭。その中心にあるのは無機質な黒鉄で建てられた、まるで要塞とも言える巨大な建造物。
人々はその場所を『禁忌の館』と呼んだ。
「今、帰った」
アシュは心なしか、いつもより重く感じる扉を開けた。
時間は朝7時。ホグナー魔法学校の始業は8時なので、交通時間45分を考慮すると、急いで支度しなければ間に合わない。
「お帰りなさいませ。お加減はいかがですか?」
彼女は、無表情でアシュを出迎え深々とお辞儀をする。
「ああ、問題ない……ところで、君はまさか僕のデート場所に来ていたりはしないよね?」
前科のある出刃ガメ執事をけん制しながら、外行き用の超高級ローブを脱いで手渡した。オーダーメイドでこしらえた逸品であるが、昨日からの雨で非常に重くなっている。
「いえ。私はその場所にはいませんでしたよ」
その答えを聞くや否や、心から胸を撫でおろすアシュ。
「非常に楽しいデートであったよ。夜の煌びやかな街を散歩しながら、最高級ワインに華を咲かせる、そして、ロマンティックな夜景を楽しみながら……おっと、これ以上は言えないな……ククク」
「そうですか……私にはそうは見えませんでした」
ミラの冷たい一言にアシュの足が止まる。
「……見てたのか?」
思わず目を見張る。
心境としては、『さっき、来てないって、言ったじゃないか』である。
「すいません、言葉足らずでした。『人形である私が、遠くから双眼鏡で見ていた限り、このドシャ降りの中、13時間待ちぼうけを喰らって、心身ともに衰弱しているように見えましたので、お加減はいかがですか?』と尋ねた次第です」
・・・
「……待つのも、デートさ」
アシュの絞り出すように放った発言に、ミラ、思う。
滑稽通り越して、もはや哀れ、と。
「そうですか? 人形である私には、あなたが待ちぼうけを喰らったようにしか見えませんでしたが」
「ふっ……ミラ。君は放置プレーと言うのは知っているかな?」
その発言に、超有能執事の手が止まる。
「……アシュ様。私は今日ほど人形でよかったと思う日はありません。そうでなければ、あなたのその発言で身震いが止まらなくなり、凍死していたことでしょう」
ミラの皮肉に動じることなく、ナルシスト魔法使いは話を続ける。
「所詮は無粋な人形か。いいかい? 会うことだけが、デートではない。その会えない期間、それを含めてデートと呼ぶんだ。いや、むしろ会えない期間の方が男女の恋愛感情を育むものなのさ」
「……ほとんど、なにを言っているのか理解できませんでしたが、要するに、『行くことだけが遠足じゃない。行って帰ってくるまでが遠足だ』的なことですか?」
「まあロマンティックでない言い方をすれば、そうなるな」
「……」
ミラには喜怒哀楽の感情はない。しかし、思考は持っている。その思考がアシュに対し判断した。
とんでもない阿呆である、と。
「……しかし、遠足と言えば、今度我が特別クラスで遠足があるようじゃないか?」
闇魔法使いの得意技、強引なる話題転換である。
「はい。ホグナー魔法学校で恒例行事のようで、生徒も非常に楽しみに――」
「ちょうど労働力が必要だったんだ」
「……はい?」
アシュの言葉に、自らの思考が追いつかない、超有能執事。
「ほらっ、シリササ山のピエトラ草。現在、開発中の魔法に必要な素材じゃないか。探そうにも中々人が雇えないで困っているとボヤいてたじゃないか」
「……」
シリササ山は、このナルシャ国の中でも有数の険しさを誇る山である。また、凶暴なモンスター、魔虫が多く存在しているため、人など当然寄り付かない。
ギルドなどにピエトラ草採取の募集をかけていたが、全然人が集まらず、不平不満愚痴罵倒を延々とアシュにぶつけていた。まさか、そんな困難極まるクエストを生徒にさせようとするとは……職権乱用も甚だしい性悪魔法使いである。
「なんせ、研究の速度が急速に早まっているんだ。素材の不足で足を引っ張ってはいけないからな。ところで、その第一の研究貢献者である彼の調子は順調かな?」
「はい。呼んできましょうか?」
「いや、いい。褒めたって、どうせなにもわかりはしないのだからね」
「……」
ロイド。かつて、アシュを亡き者にせんとしたこの天才闇魔法使いは、魂を取り出されて生きた人形と化していた。閉ざされた研究室の中では、ミラのように思考の自由度は必要ない。ただ、主人の命令を実行し研究に従事するという日常を送るだけの存在に改造された。
「同情するかね? 同じ人形として」
闇魔法使いは歪んだ表情でミラを観察する。
「……いえ。それよりも、授業が遅れてしまいます。急いでください」
「おお、そうだったな。すぐに、朝食と水浴びの準備をしてくれたまえ」
その発言に、ミラ思う。
……こいつ、全然急ぐ気ない、と。




