まだ
昼休みの理事長室。置かれているのはボロボロなソファ、そして長机に置かれたチェス盤のみ。ホグナー魔法学校最高権力者の部屋にしては、至ってシンプルな間取りである。そして、部屋の主であるライオールと共に、印結を興じている。
「アシュ先生、相変わらずですね」
好々爺はなんとも言えない表情の苦笑いを浮かべる。
「何かまずかったかな?」
アシュは目を大きく見開いて首をすくめる。
「あまりにもやりすぎだと思いますが」
ミラが淡々とした表情でつぶやいた。
「ふむ……教育とは難しいものだな。彼女にわかりやすく指摘をしたつもりだったのだが」
いけしゃあしゃあと、教育を口にするアシュ。自らの快楽のためなどとは決して口にしない性悪魔法使いである。
「いえ。私はあなたの壮絶な掌返しに、むしろ驚嘆してしまっています。3日前、『……老いていく君を見たくないんだ』と口にした人と同一人物とは思えないほど素晴らしい説法でした」
「……真実とは、いつも残酷で、目を背けたくなるものだ……『グウェイ=ルータ』」
さらりとアシュは言ってのけ、2枚のタロットをめくる。
塔×杖(Ⅱ)
ライオールは華麗な手つきで精緻で緻密な印を描く。
「……相変わらず美しいな」
当然、ゼロ思考である。
元々、印結には理が存在する。それに従えば印は全て美しい配列で並べられており、コツさえ掴めば、ゼロ思考など訓練次第で誰でも可能だ。あまりにもパターンが複雑過ぎるので、製作者である者たちにしかわからぬ理なのかもしれないが。
「ところで、リリーの件はどうか再考してやってはもらえませんか? 彼女は、聡明で、魔法使いとしての実力も飛び抜けています。それに、彼女の行動は親友であるシス=クローゼを思ってのこと。その代償が退学では、あまりにも無情ではありませんか」
「……そうか、不能者はクローゼ家の令嬢か」
「ええ。しかし、アシュ先生も彼女を見て驚くと思います。今は、私はここまでしか言えませんが……どうか、この通り。リリーの退学を取り消してやってください」
ライオールが深々とお辞儀をする。
「頼まれる筋合いはないね」
「……私の謝罪では足りないですか」
「勘違いしないでくれ。先ほどの勝負、アレは引き分けだ」
「しかし、印を為していませんでした。発動は――」
「いや……あの印は恐らく……発動する」
「ということは……」
「ああ、新魔法だよ」
あの瞬間、アシュは沸き起こる鳥肌を必死で抑えた。窮地に追い込まれた極限集中の末、リリーはまったく別の理を描き出していた。
「手加減したとはいえ、スピードは同じだった。しかし、あの印の効果は放ってみてからじゃないとわからない。仮に、同じ効果だった場合同点だ。だから、少なくとも彼女は負けていない」
「……」
ライオールは思った。
なら、同点と言ってやればいいのに、と。
「実際に放ってみてはいかがですか?」
「ふっ、それも興味はあるがね。僕も研究者のはしくれだ。あの新魔法は彼女の物さ。まあ、わざわざそれを教えてやるほどのお人よしでもないがね」
アシュはどことなく楽し気にカフェオレを口にする。
「……しかし、君は彼女があのシュバルツ家の令嬢だから僕を呼んだのか?」
「そんな。こちらとしてはアシュ先生の素晴らしい魔法技術を体験させることが彼女たちの良い経験となると思っただけです。あなたの魔法は私たちのそれとは全く異なるものです。それに……最近の風潮はあまりに『光』に偏りすぎている。そうは思いませんか?」
「そうか。君はバランス論者だったね」
魔法は大きく『光』と『闇』に分類される。自然の力を借りるとされる属性魔法、また治癒魔法や、精霊召喚などは『光』の魔法、死者使いや悪魔召喚などは『闇』の魔法と分類される。光の魔法を重視する主義を『聖信主義』、闇の魔法を重視する主義を『背信主義』と呼び、アシュは根っからの背信主義者だ。
9割以上の魔法使いは『光』の魔法を得意とし、闇と分類される魔法は敬遠する傾向にある。実際にホグナー魔法学校でも、授業のほとんどを『光』の魔法に費やし、『闇』の魔法は座学すらほとんど行わない。
「……国家の中枢では『闇』の魔法を全面的に禁じようとする動きまであります」
「ふむ……僕にはあまり関係のない話だな」
アシュは大陸各地の国を渡り歩いてきた。その極端な背信主義は迫害の元になり、国家から追われること自体も少なくなかったが、そんなことがあるたびに国を変え、住む場所を変えてきた。
「あなたがこの国に帰ってきていると聞いて、天佑が舞い降りたと思いましたよ。理事長ともなれば、気軽な行動を起こすことも難しい」
「滑稽だな。全大陸から信望されている高名な魔法使いが、背信主義者に教鞭をとらせるのだからな」
「……あの方の教えですから」
「そうか……ヘーゼン先生は……僕のことをなんと言っておられたかな?」
「……はい。『アシュ……あの馬鹿者め』。最後に会ったのは、天に召される3日前でしたが、そう言っておられましたよ」
「ふふふ……あの方らしい。最後まで、厳しい方だったな」
「はい。しかし、いい怒り顔でしたよ」
師匠であるへーゼン=ハイムが突如として逝ったのは約30年前。180年前にアシュは『禁忌の魔法使い』として破門され、幾たびも彼の命を狙ってきた大魔法使いだ。
最後まで……あなたは、その怖いお顔でお怒りになるのですね……
「……よし、君の思惑に乗ろう。しかし、僕も好き勝手やらせてもらう。いいかい?」
「もちろん、そう言ってもらえるとありがたい」
「ただし……気をつけたまえ。僕の『闇』は、君の求めるバランスを大きく崩すことになるかもしれないということを」
「ほっほっほっ……心しておきます。あっ、あと……そう言えばまだ済ませていませんでしたな」
「ん?」
*
東館校舎の一階にある職員室は、木造の長机が縦に大きく4列並んだ構造になっている。総勢50名の教師陣がその机のスペースを日夜争っているほど狭い。昼休みになり、教師たち立ち並ぶ前で、アシュの自己紹介が始まる。
本来は、朝すべきであったが、完全に遅刻していたので昼に持ち越していた。
「初めまして、諸君。僕の名はアシュ=ダール。覚えていただくのは一つでいい。『天才』とね」
ライオールが自己紹介を促す前に、高らかにそう言い放つ性悪魔法使いは、一瞬にして、学校中の教師に最悪の印象をもたらした。しかし、第一印象はもちろん最悪なのだが、これからどんどん酷くなっていくとは執事であるミラの経験則である。
「えっと……じゃあ、みなさんの自己紹介を――「必要ない」
理事長の気遣いを無視し、一人の女性に向かって真っすぐに歩いていくアシュ。
「初めまして、美しいお方。差し支えなければお名前をお聞かせいただけませんか?」
「えっ……っと。ジュリア=シンドルと言います」
戸惑いながらも答える白衣を着た魔法医。ブラウンの長くしなやかな髪が印象的な少しつり目がちのキリっとした美人だ。
「やはり……美しい方の名前は美しい。低所得労働者のごとく早朝に起こされ、最低な気分のまま今を迎えていましたが、あなたと言う存在が僕を救ってくれました」
「……」
絶句。これ以上ないくらいの絶句である。
「今晩は空いていますかな? 君の美しさの秘密について、一晩中語り明かしたいところですが」
「……ひっ。あ、あの私はアリスト教徒ですので異性の方とのお食事はちょっと」
ジュリアは怯えながらも答える。確かに敬虔なアリスト教徒ならば、異性と軽々しく食事に行くことはない。普通ならば、絶好の断り文句なのだが……
「ふっ、恋はあらゆる障害を超える……いや、障害があるからこそ、恋は熱く燃え上がる……『シスキー=リドラドフ』」
「……」
またしても絶句。このナルシスト勘違い魔法使いには、オブラートな断り文句は通用しない。
「さあ、どこのレストランにしようか。エスコートは僕に任せてもらえないかな? ドナスカル地方のワインは今年は出来がよくてね。君に気に入ってもらえればいいのだが」
ジュリアの慄きをよそに、サクサクと今宵の予定について進めようとする。
「あ、あの! で、でも私……実は……好きな――」
そう彼女が言い終わる前に、アシュはその薄い唇に人差し指をそっと置く。
「それ以上は、こんな場末じみた場では無粋だ。特別なときに、特別な場所で、君の特別な言葉を聞かせてくれないか」
「……」
三度の絶句。もはや、なにか言うことすらはばかられるジュリアである。
「アシュ様……そろそろ授業の時間でございます」
硬直したジュリア、そして教師陣を見かねたミラがナルシスト魔法使いにそう告げる。
「……ふぅ。時間とは無粋なものですね。2人の素敵な語らいを引き裂くとは。では、ひとまず失礼いたします。また、今度ゆっくりと。それでは」
紳士のお辞儀をしながら、悠々と職員室を出ていくナルシスト魔法使い。
教師陣の想いは一致していた。
とんでもない奴が来た、と。
その数時間後、ジュリアは体調不良で早退した。




