8・叔父さまとの密談
王都近郊に住むわたしの叔父さま――ロベルト・コーエンは、古来よりこの国に伝承として生きづく精霊の研究をする学者をしている。
精霊に愛されていた母さまは、叔父さまにとって、恰好の研究対象だったらしい。それがあまりに執拗すぎて、鬱陶しすぎて、怒った父さまによって、わたしたちは領地で暮らすようになったとか、ならなかったとか。
それでも母さまにとっての要注意人物も、わたしにとってはただの優しい叔父さまだった。
学者ながら偏屈な性格でもなく、むしろ人懐こい子供のような人だ。だからこそ、精霊なんて不可思議で、未知で、夢のある存在に焦がれるのだと思う。
めんどうな侯爵家を継いでくれたし、あとはわたしよりも先に、いい人を見つけて結婚してくれることを願うばかりなのだけれど……。
「よく来たなぁ、トーカ! いつぶりだ? うん? ほーら、叔父さまに、かわいいそのお顔を見せておくれ〜」
わたしをいくつだと思っているのか、高い高いをしてはしゃぐ叔父さまに、ちょっとだけ辟易しながら、地面に着くとめまいを堪えつつまずお礼を告げた。
「叔父さま、急に爵位を継ぐ手続きを押しつけてすみません。わたしのわがままを聞いてくださり、ありがとうございます」
「いいよいいよ。どうせあとのことは、優秀なハドソンがうまくやってくれるだろうし」
ちょうど研究費がほしかったところだし、という呟きは、これまでのお礼として聞かなかったことにしておいた。
そこは優秀な家令であるハドソンが、無駄なお金の流用を許すはずがないから……まぁ、平気でしょう。
髪をわしゃわしゃされていると、叔父さまの手がふいに停止して、わたしの毛先をまじまじ見つめたのち、愕然とした表情で指を震わせた。
「あ……れ? ど、どど、どうしたトーカ!? 髪がないじゃないか!!」
髪はあります。短くはなったけれど。
「似合いませんか?」
「いや、似合う……。似合うけれども! ああ! なんてことだ! 誰だ!? わたしの姪にこんな仕打ちをしたのは!」
叔父さまが引き出しから黒い鉄の塊を取り出そうとしたので、すぐに止めた。そんなもの、どこから手に入れたのか。
「自分で切りました! 結婚したくなかったので」
叔父さまのような、ちゃんと仕事でお金を稼げているのか甚だ疑問な人でも、わたしの意図はちゃんと察してくれたらしい。大した驚きもなく、ああ、と曖昧に頷いた。
「うちと同じ三大侯爵家の内の二つが、大手を振るって政治に介入しようと、殿下の正妃候補を擁立して争っていたからね……。きっとこれ以上もめないように、うちのお姫さまが担ぎ上げられたんだろうね。可哀想に……」
なるほど。政治的な問題解消のための婚姻だったらしい。
だからといって、受け入れられるものではない。余計に嫌になった。
「わたし、可哀想ですね?」
「ああ、可哀想だ。この際……私と結婚しておくかい?」
「三等親以内の親族とは原則、婚姻できません」
と、前にも言ったのに。
「だけどよく知らない殿下よりも、叔父さまの方が好きだろう?」
「……叔父さま。まだ、わたしが精霊つきだと疑っていますか?」
叔父さまは静かに微笑み、父さまと同じ青藍の瞳を暗くきらめかせた。
結婚した途端、愛情を確かめるために解剖させてほしいとか言いだしかねない。身の危険を感じて、表情が笑顔のまま固まってしまった。
だけどある意味、相変わらずでほっとした。
叔父さまは叔父さまだ。ずっと昔から、まるで変わらない。
「そうだ! せっかく王都に来たんだ。ショッピングとか、舞台を観たり、市場で買い食いしたりして気晴らししてきたらどうだい?」
「それはちょっと……」
外を歩くと、もれなく屈強な騎士たちがカルガモの子供のようにぞろぞろと後ろをついてきそう。
ここに至るまで、どれだけ奇異な目で見られ続けたことか。
おかげで快適なのか窮屈なのかわからない旅をすははめになったけれど、ノアいわく、タダ旅は素晴らしい! とのことだった。
わたしとしては傭兵を雇った方が楽しかったと思うけれど、言ったら怒るので黙っていた。
「この邸も騎士に取り囲まれているし……トーカ。このまま逃げることはできないみたいだよ?」
叔父さまがカーテンの隙間から、ちらっと窓の外を覗いた。厳重な警備と言う名の監視再びである。
わたしはようやく本題へと入ることにした。単刀直入に、問いかけてみた。
「そこでなのですが、叔父さま。わたしをうまいこと殺せませんか?」
刹那、叔父さまが青ざめ、がくがくと身体を震わせ始めた。そして唇をわななかせて、悲壮で切ない声を絞り出す。
「わ、わ、私に、姪を殺せと言うのかい……!?」
「いえ。わたしが死んだと思わせられればいいです。実際には、殺さないでください」
「あ、な、なんだ……。よかったぁ……。てっきり、無理心中でもさせられるのかと思ったよ……」
「なぜ叔父さままで死ぬのですか」
「そこは、ノリで」
叔父さまがころりと表情を変えて、ぱちっとウインクをした。
姿は父さまと似ているのに、どうしてこんな性格になってしまったのだろう。
これこそ、精霊の仕業なのではないの?
「だけどね、トーカ。偽装するなら、どこかから死体を仕入れてくるくらいの気合いで臨まないと」
「不謹慎ですけれど。……ちなみに死体はどこで手に入りますか?」
「うーん。騎士団を抱えているくせにわりと平和ボケしたこの国では、その辺にのたれ死んでる民もいないからねぇ」
真剣に考えてくれている叔父さまには悪いけれど、わたしだって普通に冗談に悪ノリする。それを真剣に返されたら、それこそ困るのだけれど。
「わたしは誰かの目があるところで、疑いもなく死にたいので、騎士たちが張りついていてくれるのは好都合です。これから旅の疲れが出たと称して数日寝込みます。叔父さまは頃合いを見計らって、懐柔しやすいかつ、口の堅い医者を呼んでください」
「うぅん……そこはうちの主治医を呼ぶけれども。しかし、そんなにうまくいくかなぁ……」
うまくいかなければ、また別の方法を考えればいい。
「たとえば、仮死状態になるりんごとかがあれば便利なのに」
はぁ、とため息をつくと、叔父さまがくすりと笑った。
「うちのお姫さまはかわいいことを言うね。仮死状態になるような危険なりんごがあったとしても、きっと食べるのに抵抗があるような毒々しい紫色をしていると思うよ?」
紫色のりんごを想像したわたしも、ふふ、と笑う。
「叔父さまはいつも、頭ごなしに否定はしないのですよね」
「精霊がいるのだから、私たちの知らない、未知の世界や物体が存在してもいいと思わないかい?」
叔父さまの大前提がこの世界ではファンタジーなのにと思うけれど、その考え自体は素敵だった。荒唐無稽なことだとしても、純粋に夢を見ることは誰にでもできることではない。ましてや大人になってからも、夢を追い続けることなんて。
そこは尊敬に値する。
「だけどその精霊だって、この世界では母さましか見ることができなかったのではないですか」
母さまは精霊つきよりも格上の、精霊使いだった。この国に現存する、ただひとり……だった。
もう、過去形で語らないといけない。
そのことに、早く慣れないといけない。
「本当にねぇ……。きみの母さまが私を選んでくれていたら、今ごろきっと論文が認められて、精霊学者は金食い虫だの妄言者だの、蔑まればかにされ心ない言葉や石を投げられたり……しなかったんだろうねぇ?」
言葉尻にひしひしと棘を感じた。
選んだのは母さまであって、娘のわたしに八つ当たりされても困る。
「きみの母さまは、本当に不思議な女性だった。突然現れて、兄と私の心を一瞬で奪っていった。彼女の周りはいつも、清廉な空気に包まれていて、たまに宙に話しかけたり笑いかけたりする仕草が、たまらなく……」
くすりと笑う叔父さまの言葉が途切れた。
たまらなく、なんなのだろう。
愛おしいとかなら、わたしは許容できるけれど、叔父さま相手にそれはなさそうね。
「まぁ、大事なふたりの忘れ形見で私のかわいい姪っ子の頼みを聞かないということはないよ。失敗しても、失うものはなにもないし。初めから、富とか名声とか俗物的なものは欲していないからね」
「ご迷惑おかけします」
「いいよ。かわりに、日常生活を観察させてね」
特に問題はないので、わたしは鷹揚に頷いた。