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5・兄と妹の思い出話



 女の子ならば誰だって、恋愛小説に憧れたことが一度くらいはあると思う。

 王子さま、騎士さま、貴族の子息……。意地悪だったり、優しかったり、頼りになったり、かわいかったり……。

 だけどどれを読んでも、どれだけ読んでも、わたしはヒロインの気持ちに共感できなかった。どきどきしたくて、でも、できなかった。

 結局読み終えた本はみんな孤児院に寄付をしてしまった。もうあらすじも覚えていない。

 いくつもの素敵な恋物語より、たったひとつの悲しい恋が、叶わなかったわたしの恋が、なによりも真実だった。

 初恋は、甘酸っぱいけれど、終わってしまえば苦味しかなくて、わたしはその痺れるような苦ささえも、未だに胸に秘めたまま、どうしても手離せずにいる――。






「トーカさま。ケントが参りました」


 取り次ぎはせずに追い返せと命じてあったのに、ハドソンはそれを破ってわたしに伝えに来た。ケントの頼みを無下にできずに、叱責覚悟で。

 うちの家令も、とうとう根負けしたらしい。

 彼はケントが初めてこの邸に連れて来られたときからずっとその境遇に同情し、気にかけていたから仕方ない。

 むしろよくもった方だった。


「わかりました。少しだけ話を聞きます。通してください」


「かしこまりました」


 表情には出ていなくても、彼がほっとしているのが伝わってきた。

 だけど会うだけ。聞く耳を持つかどうかは、また別の話。


「失礼します」


 ケントが姿を見せて折り目正しい礼をし入室してきたので、わたしは椅子を勧めた。


「いや、すぐに追い返されそうだから」


「嫌なことを言わなければ追い返したりしません。騎士として仕事で来たのなら今すぐ叩き出しますけれど……兄、としてならば、久しぶりの再会に近況くらいは報告し合ってもいいと思っています」


 果たしてケントは、どう出るか。

 しばし迷った末に、彼は椅子へと腰を下ろした。

 だからわたしも、今だけはその軍服を、見ないことにした。


「……そんなに、結婚が嫌?」


 ケントは無粋にも、はじめから本題を切り出してきた。


「嫌です。とても。ケントも突然お姫さまと結婚しなさいと言われたら、わたしの気持ちが理解できると思います」


 同じ境遇になってみればいい。

 なのにケントは冷静にこう切り返して来た。


「この国のお姫さまはもうみんな、とっくに他国へと嫁がれてるよ」


 そんなこと改めて教えてもらわなくても知っている。わたしをなんだと思っているのだろう。


「……たとえの話です。わたしは好きでもないような人と、結婚なんてできません」


 つい突っかかる言い方をしてしまった。

 ケントの表情が少し曇る。


「……ああ、レオから聞いたよ。トーカは、恋愛結婚がしたいらしい、って」


「したい、ではなく、したかった。わたしは修道院へ行くことに決めましたから」


 これ以上の、最良の選択肢はない。

 なのにケントが一瞬だけ、苦痛に耐えるように、眉根をきゅっと寄せた。それもすぐに、消えてしまったけれど。

 彼がなにを考えているのか、やっぱりわたしにはわからない。


 修道院へ行くことが、そこまでいけないこと?

 それともまさか、レオが余計なことを吹き込んだ……?


「兄さま」


 そう呼びかけると、ケントがはっとしたように顔を上げた。

 ケントに恋をしていたあの頃は、頑なに兄とは呼ばなかったけれど、今なら素直にそう呼べる。

 だってわたしたちには、兄と妹としてしか、繋がりがない。その繋がりだって、すぐに途切れてしまう藁のような儚い鎖。


「兄さま……か」


 久しぶりなせいか、ケントは慣れないというように、兄さま、と何度か咀嚼するように繰り返した。


 わたしの想いがもうないことを、これで伝えられた?


 それなら今はもっと、現実的な話をしないと。


「わたしが従わないと、兄さまの仕事に迷惑がかかりますか?」


 ケントは目を瞬いた。わたしの質問が予想外だったらしい。


「それはない。そんなこと、トーカが気にすることじゃないよ」


 わたしを慮ってそう言ったのだとしても、おまえには関係ないと突き放されたみたいで、心が軋んだ。

 こうして騎士として独り立ちしているケントだけれど、この家で数年暮らした事実は消えることはない。だからこそ、こうして派遣されて来た。

 わたしの憂いはまだ完全に晴れることはない。


「あの恐いモリスさんに怒られたり、しない?」


「ああそれは、普段から怒られ慣れてるから平気だよ。それこそ、今さらだ。厳しい人だけど、理不尽な人ではないから。それに王都には、隊長よりも恐い人もいるしね」


「誰?」


 純粋な興味で尋ねると、ケントがいたずらっぽく、にっと笑む。

 その不意打ちの表情に、胸がきゅんと締めつけられた。だけど、おくびにも出さないようにどうにか堪えた。


「隊長の奥さん」


「まあ……。恐妻家なのですか。意外です」


「だろ?」


 彼を慕っているのが感じ取れて、ようやくほっとした。

 騎士として苦労も多いだろうけれど、その中でも楽しく過ごせているのが伝わって来て、わたしも自然と笑みがこぼれた。


「ケントは王都で、彼女とかできましたか?」


 なんでもないようにそう訊くと、彼はほろ苦い表情で笑った。


「いないよ。俺は……恋人は、いらない」


「なんで……?」


「なんでって……自分が生きていくので、精一杯だから」


 それはわたしにも、わかる。両親のいないこの世界で、ひとり生きていく。

 よくしてくれる人はたくさんいるけれど、それでもふとした拍子に、ひとり大海原の真ん中に投げ出されたような、どうしようもない孤独に何度も陥った。

 ケントは初めて会ったときからずっと、そのつらさを抱えて生きてきた。

 小さい頃のわたしはきっと、自分のことばかりで、全然彼の気持ちをわかってあげられなかった。


 あんな告白、しなければよかったのに……。


「わたしは、よい妹ではなかったのですね……」


「いや、それは違う! トーカがいたから、俺は寂しくなかった。いっつもトーカがちょこちょこ後をついて回るから、寂しいって感じる時間がなかったんだよ」


 ふ、と目を細めて、思い出し笑いをしたケントを眺めていたら、またあの頃に戻ったような気分になった。


「だってわたし、ひとりっ子だったから、兄さまができて本当に、本当に嬉しくて。小麦畑とか森で遊ぶのも、絶対にだめだと言われていたのに、兄さまと一緒なら母さまも許してくれたでしょう? かくれんぼとか、おにごっことか、何度迷子になっても……絶対に見つけてくれた」


 わたしがどれだけ遠くに行こうとも、ケントは必ず見つけ出してくれる。それが嬉しくて安心してどこまでも遠く行っては迷子になり、毎回こっぴどく叱られながら家へと帰るのが日常だった。

 ケントにおんぶされ、どうしてわかるの? と訊くと、彼はいつも同じことを言ってわたしをからかった。


「俺には、魔法が使えるからね」


 もう子供ではないから、そんな話は信じてはいない。

 わたしの動きに合わせた小麦の揺れで、どこにいるのかわかっていたのだと気づいたのは、小麦よりも背が高くなってからだった。


「魔法が使えるのなら、この結婚話を白紙に戻して」


 冗談だけど、本気でそう頼むと、ケントは表情に陰を落としながら首を左右に振った。

 ああ、やっぱり。魔法なんて都合のいいもの、この世界には存在しない。だってそれは、おとぎ話の中だけのものだから。


「別に期待していないから、気にしないでいいの。わたしは世間的に死んで、ひっそり生きていくから」


 話を終わらせようとすると、ケントが慌てて切り出した。


「トーカ、聞いてくれ。ジェイド殿下は、トーカになに不自由ない生活が送れるよう、約束してくださった。意に沿わないことはなにもしなくていい。いてくれるだけでいいと――」


「話をしたの? ふたりきりで?」


「うん。わざわざ時間を取ってくださった」


 そのくらいの甘言、誰だって言うに決まっているのに。仮にも妻にと求める相手の、血の繋がらないとはいえ家族なのだから。

 昔話に花を咲かせていた自分がひどく滑稽に思えて、急速に気持ちが冷めていった。

 一瞬、忘れていた。ケントは過去を懐かしむためではなく、わたしに、他人に決められた未来を歩めと押しつけに来たのだった。

 だから嫌だったのだ。会ってしまえば、傷つくことになる。


 それでも会いたいと思ってしまうわたしは、救いようのない、ばかね……。


「わたしの幸せを、あなたにだけは決めつけられたくありません」


「トーカ……」


「ごめんなさい。もう、帰ってください。――ノア!」


 ドアの外へと呼びかけると、ノアがおずおず顔を出した。


「玄関まで見送って差し上げて」


 ノアはケントとわたしの顔を交互に見てから、「どうぞこちらへ」と退出を促した。


「……また来るよ」


 わたしはケントに背を向ける。返事はしなかった。

 ドアの閉まる音が聞こえて、部屋がしんとする。

 はぁ。ため息をついた。これではだだをこねる子供のまま、なにも変わらない。情けない。

 理性的に振る舞おうとしても、ケントがこの婚姻を望む言葉を吐けば吐くほど、心がささくれひび割れていく。


 本当に、……ひどい兄さまね。


 いっそこのまま邸を抜け出して、修道院の門を叩いてしまおうか。

 テーブルに突っ伏していると、カーテンがはためき、するりと風が入ってきた。

 それは慰めるように、頭をかすめる。姿は見えないけれど、すぐそばでは寄り添っている気配がした。


「あなたも、この結婚に賛成しているの?」


 どれだけ待ってもその答えは返って来ず、ただ頰を一撫でして、すぅっとどこかへと消えていった。




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