4・真昼の侵入者
それから毎日、代わる代わる騎士が邸へとやってきては、使用人の誰かが丁重にお帰り願うよう頭を下げるという日々が続いた。だいたいがケントか、モリスさんだ。
今のところ、塩も水も出動していないらしい。
わたしはというと、王都にいる叔父さまへ使いを出して、面倒な爵位を譲る手続きを早めに済ませることに奔走していた。
どの道、女であるわたしは爵位を継げないことはわかっていたので、叔父さまも対応が早く、そちらはつつがなく進んでいる。
爵位どうこうよりも、わたしは両親の死亡を認めるのが、嫌だった。叔父さまもそのことをわかってくれていたから、これまでなにも言ってはこなかった。
たぶんそれだけの理由でも、ないと思うのだけれどね。
叔父さまは少し……いえ、だいぶ、変わった人なのだ。
それでも嫌がるわたしを無理やり殿下に差し出すような人ではない。きっと人並みに結婚して、ささやかでも幸せな家庭を築くことを強く望んでいる。……いた、と過去形で言うのが正しいかもしれない。
最近の叔父さまは、わたしが母さまのような精霊と意思疎通のできる精霊使いや、もしくは精霊の守護を受けた精霊つきなのではないかと疑い、妙に執心してくる。
「勘というのはおそろしい……」
ふるりと震えて、叔父さまへの手紙をしたため終えると、ちょうど窓から風が吹き込んできた。普通の風とは、どこか違う透明な風。
それはわたしの身体にふわふわとまとわりついてきたので、小花柄の小さな巾着袋の紐を緩めて、中からこんぺいとうをいくつか手のひらへとこぼした。
風は嬉々としてわたしの手の上を通りすぎると、乗っていたはずのこんぺいとうは、跡形もなく消え去っていた。
そしてその風はもう用は済んだとばかりに、あっという間に窓から帰って行ってしまう。
追いかけるような早口で、ありがとうとだけ、感謝の言葉をかけた。伝わったかはわからない。返事をしてくれたことは一度だってないから。
あれはわたしを騎士たちから守ってくれた、たぶん風の精霊かなにか。
精霊は伝説上の存在だけれど、人に見えなくなっただけでそこかしこにいるのだと、小さい頃、母さまがこっそりと教えてくれた。実際母さまの周囲には、たくさんの精霊であふれているようだった。
だけど娘のわたしには精霊の姿形も見えず、言葉も交わせない。そのことから見ても、わたしは精霊使いでも精霊つきでもないことがわかる。
けれどなぜか三年ほど前から、この風の精霊らしきものがわたしのそばをうろつくようになった。普段はそばにいないけれど、わたしが怪我をしそうなときに何度か助けてくれたことがある。
だからなんとなく、母さまがわたしのために残してくれた、守護だと思うことにした。気まぐれやだけど、わたしを見守っていてくれているのだと。
精霊の消えた窓辺をぼんやりと見つめていると、また、新たな闖入者が現れた。
今度は姿形のある、人間で。
「誰……って、あ!」
窓枠に足をかけて押し入ってきたのは、レオと呼ばれていたあの青年だった。
軍服は着ておらず、どこで手に入れたのかこの邸の使用人に支給されている制服を着ている。
汚れ具合から察するに、ゴミを漁ったらしい。
騎士って、そこまでしないといけないものなのね。
呆れを通り越して感心していると、彼はわたしの脇をすり抜けた。
「おじゃまするよー」
もうおじゃましている。しかも土足でずかずかと。
「不法侵入です。それにレディの私室に窓から入るなんて、ただの不届き者ではありませんか」
彼は乱れた柔らかい飴色の髪を手櫛で直して、悪びれもせずに椅子へとかけた。
手持ちぶさたなのか、テーブルの上の一輪挿しに飾られていた花を摘み、気ままに匂いを嗅ぐ。明るく華やかなその花が、彼の雰囲気によく似合っていた。
「強引な手に出ないと、お嬢さん、会ってもくれないじゃん」
「ただ会ったところで、あなた方の問題は解決しないのでありませんか?」
「だからまずは一歩、お互いに距離を縮めないとね。俺、お嬢さんが結婚を嫌がる理由、当ててあげようか?」
いたずらっぽく笑うレオに、わたしは真っ向から対峙して手のひらを差し出した。
「どうぞ?」
「ケントが好きだから」
やっぱり。
そんな気はしていた。だから意外性もなく、むしろ拍子抜けした。
「好きですよ。だけどそれはもう、終わったことなのです」
終わった? と、レオが尋ね返してきた。
ケントは言わなかったらしい。
言うわけ、ない……か。
「ケントにはとっくに振られています。もう、六年も前に」
ケントが騎士になるために邸を出るときに、わたしはなけなしの勇気を振り絞って告白した。
そしてあっけなくふられた。玉砕だった。
『妹にしか思えない』
わたしが一番、言われたくなかった言葉で、完膚なきまでに叩きのめされた。
あのとき、わたしの初恋は儚く散った。
散ったものはもう、元には戻らない。
だからわたしがケントに求めることはなにもない。彼が幸せに生きてさえいてくれれば、それだけでわたしは幸せだ。
「わたしが結婚を嫌がる理由は、もっと単純で、乙女なら誰もが一度は夢見るような当たり前のことです。――わたしは、幸せな結婚したいのです」
そう。わたしの両親のように。
どこの国でも、男性よりも女性の方が立場が低い場合が多い。特に貴族の中には、妻は黙って夫に従い、子を産むことこそが仕事だと、古い考えを持つ人もいたりする。
貴族の結婚なんて、ほとんどが政略結婚だ。
だけどわたしは、跡継ぎを産むための道具として結婚する気はさらさらない。
「結婚してから幸せになった夫婦なんて、いくらでもいるじゃないか」
わたしは苦笑してゆるやかに首を振った。
「それでは…………らないから」
「え?」
「いえ、なんでもありません。……誰が来ても、わたしの説得は無理です。諦めてください。強引に連れて行く気なら、血の海ができることを覚悟ください。ああ、もちろん、わたしの血ですよ?」
ささやかな脅し。それはそれなりに効果はあったらしい。
「……はぁ。仕方ない。そう報告しておくよ」
レオはげんなりした様子で立ち上がると、花を一輪挿しへと戻した。
そして再び来たときのように窓から出て行きかけて、確認するようちらりと振り返った。
「つまりお嬢さんは、恋愛結婚がしたいんだ?」
レオに問われて、わたしは、そうなのだろうかと首を傾げた。
両親のように、愛し合って結婚……それは間違いなく恋愛結婚と呼ばれるもの。
なのに、胸でなにかが引っかかる。
ああ、そうか。わたしは誰かと、恋愛結婚がしたいのではなくて――。
それに気づかぬふりをして、わたしは微笑みながらレオへと頷いた。
「有益な情報、ありがとう」
そう言って笑った彼は、来たときと同じように、はらりと窓から消えていった。