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28・花瓶の小花



 忌々しい殿下の地味な嫌がらせによって、盛大に倒れる計画が台なしにされてしまった。そのせいで目的は達成できず、しかも中途半端に鼻を押さえてうずくまるなんて……ふがいない。

 元々わたしとの結婚の発表だけ済ませてしまえば後は引っ込んでいてもいいという殿下だったので、かっこよくわたしを抱き上げて退場するその嫌味な澄まし顔が頭から離れない。

 都合よく殿下の見せ場を作ってしまったことが悔やまれる。

 わたしはケントの方がかっこよかったと思うのに、みんなの記憶は上書きされたかのように、殿下にとろんとした眼差しを向けていた。

 なぜうまくいかないのか。あの場にいた誰もに、わたしが殿下の寵愛を受けているかのような印象を与えてしまった。

 二人だけの室内で、わたしの長いため息がテーブルに飾られたお見舞いの花を揺らすと、ひとつ課題を終えたというのにまだ気を張ったままの殿下に睨まれた。


「第一段階をクリアした殿下とは違い、わたしは第一段階すら超えられなかったので、ため息くらいつかせてもらってもばちは当たらないと思いますけれど?」


「……大丈夫なのだろうな?」


「鼻はしばらく利きそうにありません」


「……そうではなく……」


 殿下の歯切れが悪い。さっきのことを薄々感づいているのかもしれない。

 ここはなにごともなかったかのように繕うよりも、殿下の良心を刺激して結婚を白紙に……は、もう戻せないところまで来ているのだった。

 もはや結婚式直前に誰かと駆け落ちでもしないかぎり、わたしはこの不条理な奔流から逃れられそうにはなさそう。だけどそんなことをして、叔父さまに迷惑をかけるわけにもいかない。

 それに、わたしに毒を盛ったかもしれないあの侯爵たちが最後に笑うのは気に入らない。我ながらわかりにくいけれど、それだけは潰しておこうと思うくらいには、腹を立てている。


 殿下が責任とかをすべて放り出して、大切なものの手だけを取って逃げてくれれば話は早いというのに。


「鼻以外は問題ありません」


 にこ、と笑うと、殿下が苦い顔をして目を伏せた。後悔とか、申し訳なさだとか、似合わない感情が顔ににじんで、憂いという深みを刻んでいっそう美しい。

 わたしの調子が狂うので、普段通りの底冷えするような冷ややかな目でいてほしいと思い、殿下の顔を無遠慮に両手で掴んで、こちらへと向かせた。

 

「あなたは王太子なのだから、毅然とした態度でいたらどうですか。ほしいものを手に入れるために他を犠牲にすると決めたのならば、徹底的に冷徹になるべきです」


 もしわたしが殺されたとしても、それを逆手に取って状況を好転させるぐらいのことができる人間でなければ、国王なんて務まらないだろう。

 最後の最後で冷酷になりきれない彼は、いつかそこを突かれて窮地に陥るかもしれない。その良心がいい方向に作用するならいいけれど、足を引っ張ることになったら目も当てられない。


「殿下が嫌味な人間でないと、わたしがほだされてしまいます」


 殿下が戸惑うような、妙な表情をした。


「……戦友的な意味でか?」


「一番の敵はあなたですけれど。それでも、わたしの代わりにその恋を成就させてほしいと思うくらいには、親しみを持っています」


 わたしが顔を固定しているせいで、ついっと目だけを逸らした殿下の顔に、うっすらと朱が差した。


「……恋、とか、恥ずかしいことを……言うな」


 あら、照れてる?


 綺麗な男の人の、照れた顔の攻撃力はすさまじかった。わたしでさえ一瞬見惚れてしまったほどだ。

 二度としなさそうなレアな表情なので、心のアルバムに焼きつけようとと、しっかり正面から見つめていると、前触れもなく扉を開け放たれた。

 ノックもせずに、叔父さまが疲れた様子で入ってくる。


「抜け出して来るのが大変だったよ。大丈夫かい、トーカ…………おや?」


 おや? おやって、なに?


 きょとんととした叔父さまとノア、その後ろにちらっと見えた騎士たちの虚を突かれたような顔は、まるで鳩が豆鉄砲を食らったようなと表現するにふさわしかった。

 つまり、間抜け顔。


 きっと殿下のせいね。


「……おじゃま、だったかな?」

 

 叔父さまが小首を傾げて出て行こうとするのを引きとめるように、殿下が一転、いつもの彼へと戻ると、わたしの手からすり抜けていった。


 さっきのかわいらしさは、どこへ? まぼろし?


「じゃまではない」

 

「……そうですか?」


 叔父さまも騎士たちも戸惑いながら入室してくる。


「本当におじゃまじゃ――」


「くどい」


 殿下がやけにピリピリとしている。


「ロベルトさま、報告してもよろしいですか」


 こちらも不思議とピリピリとした様子のケントが、叔父さまに座るよう促す。

 緊迫する物々しい雰囲気。わたしのグラスに入ったいた成分が判明したのかもしれない。犯人が特定されたということは、ないだろう。

 モリスさんが、まず、と前置きをして、わたしに問いかけてきた。


「お聞きしますが、異変を感じてわざとグラスをお捨てになられたのでしょうか。それとも、風のいたずら……というにはできすぎた偶然ですが、たまたま手を滑らせただけなのでしょうか」


 どう答えるのが無難か……。


「……質問の意図がわかりませんが、突風に驚いて手を離してしまいました。大したことなかったので、安心してください」


 ハンカチを巻かれた手を見せて、概ね模範解答をすると、騎士たちはお互いに目配せし合った。

 わたしがグラスの中身に気づいていないのなら、あえて真実を伝えて怯えさせる必要があるのかどうか、迷っいるようだった。


「いい。話せ」


 殿下が言うと、モリスさんはためらいを消してそれを口にした。


「グラスの中身から微量ですが、毒性のある成分が含まれていると判明いたしました。おそらく、なにかの植物の毒だと思われます」


 ――毒。


「そこにかわいらしーく咲いてる、すずらんとかね」


 レオがわたしの目の前に飾られている花へと目を遣る。言われてみれば、確かにこの花束の中にはすずらんも入っていた。


「すずらんは花粉にも毒があるからね。水につけていたらその水は有毒だし、そこに置かれている花瓶の中の水がグラスの中に入れられていたのかもね」


 わたしが放置した花束をいけてくれたのは、ノアだ。

 ノアを見ると、少しも疑っていないというのに、証拠を突きつけられた真犯人並みに激しく狼狽していた。


「わ、わたしではありませんよ!? トーカさまのことを変な人だと思っていても、殺したいだなんて思ったことは一度もありません!!」


 わたしって、ノアに変な人だと思われていたのね。

 喜んでいいのか悲しむべきか、迷うところだ。

 わたしが黙っていると、殿下が尋ねてきた。


「この花は誰が?」

 

 その当然な疑問に、騎士らの間に奇妙な緊張が走った。

 それを見逃すほど、わたしは鈍くない。


 ただ、理由はわからないけれど。


「お見舞いにと、宮殿の使用人の方からいただきました」


「使用人? 役職と名前は?」


「さぁ、名前までは……。前にリネン室にいたので、ランドリーメイドだとは思います」


 殿下がかすかに瞠目して、モリスさんへと咎めるような鋭い視線を投げた。


「まさか、彼女(・・)か?」


「……申し訳ありません」


「あれほど接触させるなと言っておいたというのに」


 殿下が怒りを抑えた声で吐き捨てた。

 そこまできて、わたしはようやく、遅まきながら真実へと帰結した。


「…………ああ、あの子が」


 殿下の想い人なのか、と。


 だからあのとき、騎士たちが無粋なまでにわたしとの間に立ちはだかっていたのね。


 ケントが見つめていたのは、そういう理由からだったのだ。それがわかって、ほっとした。

 心が弛緩する私とは逆に、殿下は難しい顔で呟いた。


「面倒なことになったな……」


「そうですか?」「そうでしょうか?」


 わたしと叔父さまの声がそろった。同じことを考えていそうなので、先に発言を譲ることにした。

 では、というように、叔父さまが居住まいを正してにこりとする。


「トーカがこの通りぴんぴんしているのは、きっと精霊に守られているからですよ。そんなうちの姪が、痴れ者どもに危害を加えられるなどあるはずがないではありませんか。その内相手も気づいて諦めるでしょう」


 違った。わたしの言い分と、まるで違います、叔父さま。


 それでもその妄想じみた予想が、見事的を射ているいるところが怖い。

 ひとまず精霊の件は置いておくとして。

 モリスさんはわたしが狙われている事実をこの部屋のみで明らかにしているこの時点で、騒ぎにせず犯人を泳がせる気満々な気がする。

 標的であり、おとり。

 あわよくば敵を失墜させられる。殿下もそのことに気づいたのか、わたしからそっと目を逸らそうとしたけれど、眉をきゅっと寄せてからこちらを向いた。


「トーカ・コーエン」


 名前を呼ばれて瞬くわたしの手を取り、殿下が真摯な顔で宣言する。


「威信にかけて守ると誓う。……私は、冷徹にはならない」


 ここぞというところでやはり良心に傾いてしまう殿下に、わたしは苦笑しながら、こう答えることにした。


「……はい。信じています」





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