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27・兄の想い

ケント視点その5



 トーカの手を引き、このままどこかへと連れ去ることことができたらどんなにいいかと考えていた。

 彼女が害される危険は常に感じていた。だからこそこうして護衛していたのに、守りきれなかったのはやはり、心のどこかで油断していたからだ。

 形ばかりとはいえ王太子妃になるのだから、暗殺される危険については散々考慮していたが、人間がどれほど努力しても限界というものがある。

 それでもトーカを王太子妃にすることに頷いたのは、彼女が他者からの害意を受けないと確信していたからこそだった。


 トーカが物理的に傷つくことはない。……今は。


 トーカを守っているのは、彼女が思っている通り精霊だ。ただし、トーカの母さまが残していった精霊ではない。妙に鋭いロベルトさまが睨んだ通り、俺を守っていた精霊だった。

 コーエン家にいたときからそばにいたが、トーカの母さまの精霊たちにまぎれていたから、その存在が近しい人間の間でも知られることはなかった。

 その精霊に必死に頼み込んで、自分の代わりにトーカを守ってもらっている。――三年前から。

 俺の精霊だから、俺の言うことなら納得できなくても渋々受け入れてくれる。そこに漬け込む最低な人間なのに、精霊が見える。ロベルトさまに殺されそうだ。

 トーカの母さまは、この世界から消えた時点で、その加護や守護は消失した。しかしそれをトーカに告げるのは酷な話だ。

 だからこれから先も、本当のことは言うつもりがない。


「――ケント?」


 トーカが不安げに見上げて来たから、なにくわぬ顔で兄らしく穏やかに見つめ返す。

 しかし内心は、さっき思いあまって抱きしめてしまったときの柔らかさや、ほんのりとした甘い匂いが意識を散らす先から蘇ってきて、顔が赤くならないように必死に意識を逸らしていた。

 兄らしく、と心がけ、まずは注意事項をひとつ。


「今後はなるべく、なにも口にしないこと」


 トーカは気丈にこくりと頷いた。

 つい頭を撫でてしまいたくなり、かぶりを振る。


 会場へと足を踏み入れると、意外なことに殿下が真っ先に近づいて来た。

 普段通りの表情をしているが、なにか察していたのだろうか。

 さっきレオが猫のふりして様子を窺いに来たから、隊長にもバレていそうだ。


 でも、な。説明が……めんどくさいんだよな。

 精霊が……とはさすがに言えないから、トーカが異変を感じたことで通すか。


 言い訳を考えながら不承不承、いや、嫌々殿下へとトーカの手を渡した。

 充満する香水の悪臭に顔をしかめるトーカに、殿下はなにかを囁きながら連れて行く。

 ふたりの距離は日に日に近くなっていくように感じる。トーカだけでなく、殿下も信頼してそばにいるようにさえ見える。


 本当なら、彼女の隣にいたのは俺だったのに……。


「ク・ラ・ウ・チくん。男の嫉妬は醜いよ?」


 今一番聞きたくない男の声がうなじのあたりからして、肩がぞわっと震えた。


「気色悪いから必要以上に近づくなよ」


「だってさ、殿下睨んじゃまずいでしょう」


「睨んでない。周囲を警戒してただけだ」


 ふうん、というように片眉を上げて、レオは隣へと立つ。会場へと目を向けながら、さらに抑えた声音で囁いてきた。


「隊長に言われてグラスの中身、簡単に調べた。結果、聞きたい?」


「聞かなくてもわかる」


 トーカの護衛の人数が、出て行く前と後では違っているからだ。

 あの給仕係はどうせ雇われたかなにも知らないかだろうから、主犯についてはなにも知らないと思うが、トーカを狙う人なんて限られている。どうせマイヤー侯爵かハンセン侯爵かだろう。特に前者が有力な容疑者候補だ。


「ケントって、本当つまんない人間だよね〜。あー、でも。妹を欲情した顔で抱きしめてたときは、面白みがあってよかったよ?」


 挑発に乗っかったら負けだ。

 それに欲情した顔なんて、した覚えがない。

 それにしてもこいつは、本当にいい加減なことしか言わない。


「あんな下手な猫の鳴き真似でよくごまかせると思ったよな?」


「結構自信あったんだけど」


 レオがへらへらしながら、にゃーにゃー鳴いてみせた。

 トーカは欺けても、他の人にはそういかないクオリティーの低さに呆れていると、ホールに響いていた音楽が止んだ。

 しんと静まり返った中、殿下がトーカの腰を抱いて前へと出ると、集まった貴賓たちの前で堂々と婚約発表をした。はじめの曖昧な反応は祝福の拍手へと変わり、我先にと祝辞を述べに人が群がる。

 トーカは抱き寄せられて微笑みながらも、匂いのせいか妙にもぞもぞともがいていた。

 トーカは知らないだろうが、用意周到な殿下によって、すでに結婚式の日取りも決まっている。逃げるにはもう遅い。それはもう、一月を切っている。


 最後に晴れ姿を見れたら、俺はもう……。


 きつい匂いを纏う人たちの列に、とうとうトーカが鼻を押さえて瀕死状態に陥りひっくり返った。冗談ではなく、本気の悲愴感がその顔に表れている。

 殿下は陛下に許しをもらい、彼女を颯爽と抱き上げ

ると広間を闊歩し外へと出て行く。

 俺はその後を追いかけながら、なんでこんなことになってしまったのかと考えていた。

 全部そう、三年前だ。もっと言えば、俺がこの国に来てしまったことこそが、そもそもの間違いだった。

 誰に向ければいいのかわからない恨みばかりが俺の中で募っていく。


『――ごめんね』

 

 耳元で、幼い子供の声がした。

 誰かわかっていて無視をした。

 怒っているわけじゃない。人目のあるところで話しかけられても答えられないからだ。

 別に返事がほしいわけではないだろうけど、おまえは悪くないというようにちらっと横へと視線を移すと、今のトーカが着ているドレスに似た服を着た精霊と目が合った。まっすぐな青い髪をした女の子の姿をした、風の精霊だ。

 さすがロベルトさまと言うべきか、見えていないはずなのに正鵠を射ているところが怖ろしい。そしてそういうところが、精霊に嫌煙されるゆえんだと思う。

 不安げな顔をする精霊に、心でだけ苦笑してわずかに首を振る。

 ここで大切なものを見つけた。俺の心の支え。

 誰にも奪わせない。絶対に。閉じ込めて、それを見届けたら、潔く離れよう。


 最低な兄のまま、忘れてくれればいい。

 綺麗な思い出はすべて俺の中にあるから、だからトーカには忘れてほしい。

 諦めきれない往生際の悪い自分へと、戒めのように何度もそう言い聞かせた。





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