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22・懐かしい夢



 叔父さまの邸へと帰ってくると、さすがに疲労で寝台へと倒れ込んだ。


「トーカさま! 靴を脱いで服を着替えて、それから静かに寝台へと横になってくださいませ!」


「疲れました……眠い……すぅ」


「え、寝てませんか? ……寝たのですか? トーカさまー……? 嘘、早っ」


 なんだかんだ文句を言いながら、ノアはわたしを起こさないように布団をかけると、部屋をそぉっと出て行った。

 無音でドアが閉まると、わたしはごろんと仰向けになり、天井を見つめた。

 殿下の想い人は、どんな人なのだろう。

 これほどめんどうな小細工をして、遠回りをして。相手の女性は、わたしの存在をどう思っているのだろうか。


 わたしだったら、表面上とはいえ好きな人の二番手で我慢できる?


 考えるまでもない。我慢できる。今のわたしは愛されるだけで、きっと天にも昇る気持ちになる。有頂天になる。

 だけど人間は貪欲だから、いつか望んでしまうかもしれない。あの人の一番を、と。……きりがない。


 寝返りを打つと、窓が揺れた。

 隙間からするりと風が入ってきた。精霊だ。


「もう来ないかと思いました」


 やはりまだ怒っているのか、室内でびゅーびゅー吹き荒れる。

 ちょっとした台風だ。


「なにを言っているのかわかりません。……わたしには」


 母さまがいれば、違ったのに。

 のろのろと取り出した巾着袋の口を緩めて、サイドテーブルへとちょこんと置くと、暴風が嘘のようにぴたりと止んだ。

 巾着袋が妙な具合にぴこぴこ揺れ出す。

 こんぺいとうを食べていることだけは見えなくても理解できた。


「大奮発です。全部あげます」


 ぴこん、と巾着袋の紐が立った。

 喜んでいるらしい。


「叔父さまがいたら大暴走ね」


 しかしあの叔父さまのことだ。もしかしたらこの部屋をどこかから覗いていたりするかもしれない。

 精霊がなにかを察してか、途端に動きが消極的になった。

 こそこそとしながら、それでもこんぺいとうが減っていく。

 それを眺めながら寝台に寝そべり、わたしはゆっくりとまぶたを下ろした。


 今は、寝たい。




 


 華奢な少年の背中が見えた。

 わたしと同じ黒い髪。そしてわたしの着ているワンピースと同じ布地を使った服を着ている。母さまがわたしたちのために作ってくれた普段着だ。

 お揃いは嬉しいのだけれど、兄妹にしか見えないと周りに言われるのは不服だった。小さな恋人同士に見えてもいいはずなのに、なぜなのか。

 それにしても、熱心になにを見ているんだろう?

 アーモンドのなる木の下にいて、咲きはじめたその薄紅色の花をじっと見上げている。

 いつも大人びた顔つきをしているのに、その背中はまだまだ子供のもので、わたしは嬉しくなって彼へとめがけて飛びついた。


「――ケント!」


「うわっ! トーカ!?」


 驚かすことに成功してほくそ笑むわたしに、ケントは振り向きこつりと額をぶつけてきた。


「ケント『兄さま』だろ?」


 わたしは目をぱちくりとさせた。もちろんそういう演技だ。


「ケントはケントではないの?」


「いや、そうだけど」


 何度言っても兄さまと呼ばないわたしに、ケントはどうやって『兄』という存在を説明すべきなのか悩んでいる。

 兄代わりだということくらい、わたしも理解していた。だけどケントが兄になってしまったら、恋人になれないから「兄さま」なんて絶対に言わない。

 そんなことよりも、


「木の上にセリーヌが逃げたから、ケント肩車をして?」


 背中に抱きついたまま、うごうごと片足をかけて無理やり肩に登る。


「またぁ?」


「セリーヌはリスだから、木登りが得意なの」


「リス、じゃなくて、リスのぬいぐるみだろ? あんなぼてっとしたぬいぐるみが、どうやって木に登るんだか……」


 ぶつぶつ言いながらも、ケントはわたしを肩へと乗せて、指し示した木の下までやってきた。

 太い枝に、セリーヌがぶら下がって助けを求めている。いかにも投げて、引っかかってしまったというように憐れな姿だ。

 それを眺めてから、ケントがにっこりとした。これは少し怒っているときの顔だ。


「……トーカ。ぬいぐるみはちゃんとかわいがらないと、もう二度と買ってもらえないよ?」


「だって、セリーヌが勝手に……」


「セリーヌは生きてないから、勝手に動けません」


「……」


 嘘は完全に見抜かれていて、責任逃れはできそうになかった。セリーヌの視線も痛い。仕方なく素直に謝ることにした。


「……ごめんなさい」


「ちゃんとセリーヌにも謝ること」


「……はい」


 よし、と頷いたケントが、セリーヌのちょうど真下に来たので、わたしは精一杯両手を伸ばした。

 セリーヌの短い手を、わたしの幼い指先がかすめる。しかしぼてっとしたお腹がしっかりと枝に引っかかり、簡単には落ちてこない。


「ケント、ジャンプー」


「ジャンプ!?」


 驚くケントだったけれど、意を決したのかわたしの足をしっかりと掴み直して、少しだけかがみ、勢いをつけて跳んだ。

 セリーヌの身体が動いた。でもまだ完全には落ちては来ない。


「もう一回」


 ケントは今のでかなり力を消費していたのか、ちょっと待って、と軽く息を整えている。


「……よし、行くよ」


 ケントがジャンプして、わたしはぐっと手を伸ばした。セリーヌの手を弾き、とうとう引っかかっていた身体が宙へと投げ出された。


「取れた!」


 喜んだのもつかの間、セリーヌと一緒にわたしの身体もバランスを崩した。ケントが着地でふらついたのだ。

 セリーヌが落ちていくのを眺めながら、自分自身もゆっくりゆっくり倒れていく。

 どさ、と音がして、わたしは身体に軽い衝撃を受けた。だけど、痛みはほとんどない。わたしの身体は、しっかりと抱きとめられていた。

 ケントが下敷きになり、守ってくれていたのだ。

 遅れて草の上に、セリーヌがぽすんと落ちて跳ねる。


「――大丈夫か、トーカ!」


 自分は全然痛くなかったのに、ケントが背中から地面へと倒れたことで大きな怪我をしていると思い、涙があふれ出た。


「ふぇ……」


「トーカ! 痛いのか!? どっか、怪我したのか!?」


「うえぇぇん……!」


「トーカ! どこが痛い!?」


 身体を起こしたケントに、髪の毛をかき分けられて、血が出ていないか確かめられる。

 違う。違うの。


「ケントがいたいー……!」


 うわー、と泣くと、ケントは途方に暮れた顔をした。


「俺が痛いって……」


「わ、わたしの、せいでっ、うぅぅー……」


「……俺が痛かったから、泣いてるの?」


 肯定するように、ケントにしがみついて何度も頷いた。

 彼の手のひらが、頭を撫でる。よしよしというようにも、おずおずというようにも感じられた。


「泣くなよ、トーカ。俺は大丈夫だから。全然痛くなんかない。だから、泣くなって……トーカが泣いてる方が、胸が痛む……」


 それがどういう意味なのか、幼いわたしにはまだよくかわからなかった。

 だけどケントが痛くない方がいい。わたしはぐすぐす言いながらも、泣くことを努力してやめた。

 わたしが悲しいとケントも悲しいのだろうか。

 わたしはケントが悲しいと、悲しい。


 だったら、ケントを大好きだというこの気持ちも、同じ?


「……ひっく、もう、泣かない」


「うん、偉い偉い」


「……だからケント、ずっとここにいて。ずっと、そばにいてね?」


 瞬いたケントは、少しだけ目を泳がせてから、わたしの涙でひどいありさまだった顔を胸に押しつけて言った。


「――うん。ずっと、そばにいる。トーカはずっと、俺が守るから」






 そこで目が覚めた。夢から、覚めてしまった。

 朝日が注ぐ空っぽの巾着袋をぼんやりと眺めて、わたしは一言だけぽつりと呟いた。



 ……嘘つき。





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