21・兄の動揺
ケント視点その4
焦燥に駆られながらそわそわしていると、殿下が室内から姿を現した。
トーカは大丈夫なんだろうか。
だが医者も呼ばず彼がこうして出てきたということは、大事なかったということ……か?
ドアの隙間から一瞬覗けたかぎりでは、トーカはロベルトさまと仲良くソファに並んで座っているように見えた。
俺はそっと胸を撫で下ろし、そして目を伏せた。
少しでも殿下と、目が合ってしまわないように。醜い嫉妬を、向けないように。
心を、感情を、どうにか抑えると、表面上だけは気持ちが凪いだ。
そしてそんな俺に気づくことなく、モリス隊長が殿下へと指示を仰いだ。
「殿下。彼女の護衛を、継続いたしますか?」
殿下は軽く顎を引いた。
危害を加えられる可能性を考慮してのことだが、それとは別に、他者の目をトーカに向けておきたいという狙いもあるのだろう。彼の本当に大切なものを守るために。
陛下は国王の元へと戻るのか、来た道を無言で引き返していった。
それを見届けたところで、レオがすいっと一歩近づいて顔を寄せて来た。
「なぁ、ケント」
「……なんだよ」
「おまえ、この先は任務から外れた方がいいんじゃない?」
「なんで」
「その私情が邪魔だから。さっきだって、突入後に勝手に動いただろう」
レオは指示なくトーカに駆け寄ろうとしたことを言っているらしい。
無意識に身体が動いてしまった自覚はあるだけに、反論することができなかった。
俺はこの任務から離れるべきなんだろうか?
だが離れたところで、結局トーカのことを気にしてしまう。そちらでも仕事を疎かにする自信があった。
それに、トーカの結婚話に加担しておきながら、このまま自分だけなにごともなかったかのように安全圏へと逃げることはできない。
だけどそれもすべて、言い訳でしかないが。
「……悪かった。今度からは、気をつける」
「なにそれ。素直に謝られると気持ち悪いんだけど」
「人の謝罪くらい、なにも言わずに受け取れよ」
なんてやつだ。
「だって俺がなに言っても、配置を決めるのはモリス隊長だから」
それはそうか。納得した。
ここにいるのは、トーカを警護しここまで無事に連れて来るにあたって、経歴や交友関係などを考慮して編成されたメンバーだった。間違ってもトーカに危害を加えない、信用できる人材。
二侯爵家の息のかかった騎士を人選して、あえてトーカを狙わせ相手を失脚させる案も出たが、どうせトカゲのしっぽ切りになるだろうとモリス隊長が却下した。
提案したやつは殿下の護衛隊長だ。一瞬で嫌いになった。
「そこ、集中できないなら順番に休んで来い」
モリス隊長の鋭い一瞥がこっちへと飛んできた。
つまりは、頭を冷やして来い、ということだ。
レオと目で会話して、俺が先にその場から離れることになった。
かといって休むわけではない。今は向かう場所があった。
干したシーツの広がる、裏庭の一角。額の汗を拭う彼女を見つけて、少し離れた場所から様子を窺った。
ケントから見れば、平凡などこにでもいそうな少女だった。使用人の身分でありながら、手入れを怠らない令嬢並みに髪が美しいことだけは認める。
だが身に不相応なものは、諍いを招くだけなのにな、と思わなくはない。
たとえばいじめられたり、一国の王太子に見初められたり……。
ようやくすべてを終えたらしい彼女は、自分の仕事に満足そうに微笑む。
どうせ仲間に、言いがかりと一緒に押しつけられた仕事だろう。
トーカが一度助けたところで、問題はなにも解決していないようだった。
踵を返そうとしたところで、向こうがこちらに気づいてしまった。
「あの……! さっきの騎士さま!」
彼女が駆け寄ってくる。盗み見していたばつの悪さがあるが、逃げるのも変なので偶然を装うことにした。
「……ああ、さっきの。お礼もせず、申し訳ありません」
「いえっ、全然! あのお嬢さまは……」
「うちのお嬢さまは少し休んでいますが、気にしないでください。元々病弱(設定)なので」
「そうですか……。あ、元気が出るように、後でお花を持って行きます! お部屋はどこですか?」
自分の顔がひきつるのがわかった。
やめてくれ、と思う。
なにも知らされていない彼女の無知さに苛立つ。
なにが楽しいのか、くったくなく、にこにことして。
だけどもし、トーカが、彼女こそが殿下の愛人だと知ったら、傷つくだろうか?
それはだめだ。そう思う反面、彼女がいるからトーカに殿下はなびかないのだと、教えてしまいたくなる。
その目に他の誰も映すなと、言えたら……。
俺が答えないからか、彼女は極秘事項なのだと勝手に解釈したらしく、話を変えてきた。
「あのお嬢さまは、騎士さまの妹さまですか?」
「え? あ、ああ、そうです」
一瞬反応が遅れた。彼女は軽く手を合わせて、自分の直感が正しかったことに微笑む。
「やっぱりそうですよね。お顔立ちがちょっと似ているから、そうなのかなって思ってました」
虚を突かれて、瞠目した。言葉を失う。
これまでに、トーカと似ていると言われたことは何度もあった。でもそれは単に、同じ髪の色をしているからだ。
だけど顔の造作が似ていると言った人間は――他人では、これがはじめてだった。
動揺していると、背後にただならぬ気配を感じて振り返った。
「――ここでなにをしている」
鋭く咎める声。考えるまでもなく、不快なのが伝わってくる。
彼女がぱっと顔を輝かせて頬を染める。恋する女の顔だ。
殿下は安心だろうな。この素直な少女が、他に目移りしていないことがこうしてすぐにわかるんだから。
「いえ。別に」
殿下へと向き合い、顔を伏せた。
「別に?」
理由を求められているので、正直にそれを口にした。
「彼女がいじめられていたと妹に聞いたので、その後どうなったのか様子を窺いに来ました」
隠しておきたかったのか、彼女は表情を曇らせた。
これまでに何度もあったことだから、殿下も眉をひそめて深刻な顔つきになる。
「火事の件、咎めないでください。うちの妹は……助けただけですから」
――あなたの大切な人を。
失礼しますと告げて、その場を離れた。
殿下がどんな顔をしていたかは、想像するしかない。
俺は、余計なことをしたんだろうか。それどころか、まったく無駄なことをしている気がする……。
だけどせめて、彼が今後、トーカにひどく当たらなければいいと思った。




