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1・王室からのお迎え



 日の大半を、森で過ごす。

 わたしがそれを始めてから、もう三年近くになる。今はただ、世捨て人のように静謐なこの森をさまようだけ。

 希望と目的を持って歩けていたのは、初めの内だけだった。

 今日巡り着いたのは、森の東部に位置する、小さな泉。落っこちてしまないよう、膝を突いてそぉっと覗いてみる。

 黒い髪を一つに束ねた少女の、深い藍色の瞳と目が合った。

 母さま黒と、父さま藍。

 自分を見ていると、二人の面影が残されていることに安心する。ひとりじゃないよと、言われてるみたいで。

 わたしと、瑞々しい葉の一枚一枚が鮮やかに映りこんだその水面を、風が囁くようにそっと撫でた。


 ――トーカ。


 その風に乗せられて、父さまと母さまの、わたしを呼ぶ声が、遠い彼方から聞こえた気がした。

 それは幻想……幻聴? どちらにしても、現実ではなく、手のひらに降りた雪のように儚かった。

 腰を上げると、立ちくらみで景色がぐらりと波打った。

 もしかしたら二人のところに行けるのではと、手を伸ばす。けれど指はあっけなく、空を切る。尻もちをつく。少し痛い。


 ああ……、だめか。


 仕方なくその場で寝転がり、静かに目を閉じて耳を澄ませた。父さまと母さまの幻聴はもうなく、森のざわめきしか残されてはいない。


 ただひとつ、この余韻を破る、叫び声を除いては。


「……――トーカさまー! どちらにいらっしゃるのですか……って、きゃー! 蜘蛛の巣!? もう、なんなのここは!」


 わたしはスカートを払って立ち上がり、邸のある方角へと目を向けた。

 迷い防止のために木に結んだ、いくつものリボンを辿って、少女が草むらをかきわけ駆けてくる。何度も何度も、飽きずに悲鳴を上げながら。

 あれは侍女の、ノアだ。

 彼女はわたしと同じ年の頃で、背が高い。ココアのような、ほろ苦くて優しい色の、髪と瞳をしている。

 だけどその髪には今、葉っぱと蜘蛛の巣がヘッドドレスのように引っかかり、目は完全に血走っていた。

 あれではまるでゾンビだ。


「あっ、トーカさま!? もう、やっと見つけましたよ……まったく」


 ノアはわたしを目にして、安堵と疲労でへにゃりと膝をついた。


「こんな奥にまでいらっしゃるなんて! 侯爵さま方に続いてトーカさままで行方不明になられでもしたら……、わ、わたしどもは……」


 そこで下唇を噛んだノアのその表情は、少し前のわたしと同じだった。

 残された者の気持ちが痛いほどわかるから、わたしには謝ることしかできなかった。


「ごめんなさい」


「……いえ、申し訳ありません。出すぎた真似を」


「いいのよ、ノア。顔を上げてください」


 母さまと、後を追うように父さまがこの森で行方を絶ってから、もう三年が経つ。

 初めの頃は、領民総出で森を捜索した。二人とも、みんなに慕われていたから。だけどそれも半年も過ぎた頃には、わたしひとりだけになった。

 これ以上探しても、恐らく生存の見込みはない、と諦めたのだ。

 この国では、失踪から三年で法的に死亡とみなされる。爵位があるのならば、それを譲るなどの手続きを行わなくてはならない。

 そろそろ潮時だった。諦めなければならなかった。

 わたしだって、いつまでもここに、優しい思い出の中に、引きこもってはいられない。

 これからも愛する両親のいないこの世界で、ひとり生きいかなければならないのだから……。


「……それよりも、ノア。こんな場所にまで来るなんて、わたしになにか用があったのではありませんか?」


 いつもならば、夕暮れどきに邸へと戻るまで、みんなわたしのことはそっとしておいてくれるのに。

 はっとしたノアの表情を見るかぎり、火急の用件があるのは間違いなさそうだった。


「そう……そうでした! 聞いてください! ジェイド王太子殿下の花嫁が、正妃が、決定されたそうです!」


 それはあまりに予想外で、わたしとはかけ離れた次元の話題すぎて、きょとんとしたまま数度瞬いた。

 誰かに不幸があったとか、そういう類の話でなかったことは幸いではあるものの、それは……わざわざ知らせにくる内容のことなの? わからない。

 いわゆる普通の夢見るご令嬢ではないわたしには、これっぽっちも関係もない気がするのだけれど……。


「……そう」


 そのわたしとの温度差に、ノアが焦れた。


「もう! そう、じゃありませんよ! 聞いて驚かないでください、選定されたのは、なんとトーカさまなのです!」


「あら、まあ。わたしと同じ名前の人がいたのですか。これは珍しい」


 わたしの名前は母さまの故郷の花の名前で、この国ではあまり名前として使われる響きではなかった。

 だからかとても親近感がわく。

 どこのお嬢さんか、一度お会いしたい。できたら、お友だちになりたい……。

 するとわたしの反応が期待に添ったものでなかったことで、ついにノアが爆発した。近年稀に見る、大噴火だ。


「もうっ……! もうっ!! なぜわからないのですか! トーカさまというのは、トーカさまのことなのです! 今ここにいらっしゃる、トーカ・コーエン侯爵令嬢さまのことでございますよぉぉぉ!」


「わ、わたし……?」


 自分の胸を指差すと、ノアが鼻息荒くそうだとばかりに大きくうなずいた。

 わたしが王太子であるジェイド殿下の花嫁……?


 ああ、なるほど。つまり――、


「ノアも冗談を言うようになったのですね」


「じょ、冗談ですって!?」


 ノアがカッと目を剥いた。

 大ハズレらしい。


「冗談でなければ、なんなのですか?」


「もぉー! トーカさまはこのリベルス国の王太子で次期国王であられるジェイド殿下の正妃、つまり王太子妃となられることが正式に決定したのでございます!!」


「それはまた……大変そうですね」


「なんで他人事ですか。まだ信じていらっしゃいませんね? わかりました。いいでしょう。使者が参っておりますので、ご自分の目と耳でお確かめください」


 確かめろと言われても、ともらすと、ノアにキッと見据えられて口をつぐんだ。

 わたしは半信半疑のまま、ぷりぷりとしたノアの背中を追った。



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