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11・路線変更



「話し声がすべて筒抜けであったが?」


 この邸の壁は、そんなに薄かったの?


「……それは、説明する手間が省けて、重畳です」


 他に感想が出てこなかっただけなのに、ノアにもうなにも言うなと涙目で訴えられた。

 わたしだって穏便に済ませられるのならば、そうしているのに。

 殿下はお怒りになられるかと思いきや、叔父さまにわたしとふたりきにさせてほしいと許可を取る。

 殿下を目の前に反対できるはずもなく、不安げなノアの肩を抱いて名残惜しいそうに部屋を出て行った。お医者さまも、くれぐれも無理はさせないようにと言い残して扉を閉める。

 これまで室内で男性とふたりきになったことなどないので、わたしはどうすればいいのかわからず、結局寝台でなにか言われるのを待つことしかできなかった。


「騎士から報告は受けている。私と結婚するくらいなら、死ぬと啖呵を切ったらしいな?」


「いえ、そうではなく。わたしは死んだことにしてくださいと――」


「同じではないか」


 そうですね……。


 肩をすくめていると、殿下が寝台まで近づいてきた。

 背が高いから、座った状態のわたしが仰ぐと、首が痛くなる。

 こうしてそばで見ると、恐ろしく整った顔立ちだった。その辺りの令嬢よりも、よっぽど美しい。だけどそれは表情の冷たさのせいか、精巧な彫刻のような作り物じみた美しさで、生身の人間らしさが欠けて見えた。

 美しいものに人は惹かれる。触れたいと思う。

 だけど崇高であればあるほど汚しがたく、そして無知ゆえに容易く触れてしまったが最後、朽ち果てるまで生気を吸い取られてしまいそうで、怖い。

 わたしが戦おうとしていたのが、こんなにも恐ろしい人だとは思っていなかった。

 これならば早々に修道院へ逃げ込んでいればよかったと後悔した。


「私の隣に並び立ちたいと思わないのか?」


 遠くから見るぶんには目の保養になっても、とても隣に並ぼうとは思えない。

 畏れ多い。そんな言葉を頭に浮かべたのは、初めてのことだった。


「いいえ、まったく」


 本心なので、そこはきっぱりと断言できた。


 それに、わたしが隣に並びたいのは、彼ではない。


「なぜ厭う?」


「厭うておられるのは、殿下の方ではありませんか? 先程からわたしを射抜くように見据えるその目は、妻にと望む人間に向けられるものではないことぐらい、世間知らずの娘でも理解できます」


 殿下が、ふうん? と、片眉を上げた。


「人の感情を冷静に見極める目はあるらしいな。物怖じしないところも、まぁ、合格だ」


 殿下自身全然納得顔ではないし、わたしとしても合格しては困るのだ。

 病弱を盾に突っぱねようかと考えていたとき、寝台がギシッ、と音を立てて軋んだ。

 軽く肩を押されて目を瞬く。押された反動で、頭がぽすんと枕へと沈む。


「……あ、ら?」


 視界が天井に切り替わり、殿下のご尊顔がわたしの顔に影を落とす。

 横たわるわたしの横に膝と手をついた殿下に、上から見下ろされていることを理解したのは、たゆんだ彼の髪が頰をかすめてからだった。

 なにが起きたのかわからず戸惑っている内に、彼がかすかな微笑みを浮かべた。その秀麗な顔が、少しずつ距離を詰めてくる。

 この人も笑うのかと思ったのは瞬くよりも短く、慌てて彼の引き締まった胸を押し返そうとしたのに、できなかった。

 今わたしの上にのしかかるのが、力のある大人の男なのだと知ったとき、怖い、と思った。


「やだっ」


 手は捕らわれ、枕元へと押しつけられる。

 耳に形のいい彼の唇が寄せられて、低く甘やかな声で囁かれた。


「本当に……嫌か?」


 耳朶が吐息で震える。ぞくっと全身に駆け抜けたのは、得体の知れない、恐怖でしかなかった。


「嫌っ、嫌です! こ、怖い、のっ……ケ、ケントッ……!」


 目頭がからじわりと涙が膨らみ、溢れた滴が次々頰へと伝い落ちていく。

 このままなにをされるのかわかない恐ろしさできゅっと目をつむったそのとき、閉められた窓へと、激しい突風が叩きつけられれ、ガタンッ、と窓枠が歪みそうなほど音を立てて揺れた。

 精霊が助けようとしてくれているのだとわかって、それだけで強張っていた身体の力がほどけた。


「……泣くな。試しただけだ」


 興ざめしたというように呟いた殿下が、さっと身体を起こす。

 離れていってくれたことへと安堵で、どっと涙がこぼれ出して、解放された両腕で目元を覆った。


「ふぇぇ……ん。……う、うっ……」


「おまえは子供か。とうに嫁いでいてもおかしくはない年齢だろうに。閨教育は受けていないのか?」


 その呆れ口調に、わたしはしゃくり泣きしながらも、反発するように答えた。


「そ、そういう、のは……っ、お、おっ、夫となる人に全部、任せる、って……。知らなくて、いいって」


「誰がだ」


「み、みんなが」


「甘やかし放題か。箱入りにもほどがある。……さっき、男の名を呼んだな? 兄の名だった」


 頷くと、無言が返ってきた。

 おそるおそる腕の隙間から顔を覗かせると、殿下は寝台にかけたままつまらなさそうに、だけどわたしが泣き止むのを待っていてくれているようだった。


「……試したって、いうのは?」


「誘惑に乗るかどうかを、見極めようとした。乗ってくるようならば、ここでこの話はなかったことにするつもりだったのだが……。まさか、な。子供みたいに泣かれる想定はしていなかった」


「……」


 遊び慣れた女の振りができていたら、煩わしい結婚がなくなったとのだ知り、また涙がぶり返しそうだった。


「まずひとつ言っておく。この先私がおまえを愛することはない。それと子も必要ないから、身体の関係を強要することもない。それは安心するがいい。おまえはただ正妃として存在していてくれさえすれば、後は好きなことをして過ごせるような取りはかってやろう」


「……ひとつではないのですね?」


「泣き止んだと思ったらそうやって揚げ足を……。泣いていないとかわいげがない女だな」


 殿下が嫌そうに顔をしかめた。なのになぜかそのまま足を組み、くつろぎ出す。


 もう、帰ってください……。


「……つまり一言でまとめると……愛のない結婚をしろ、とおっしゃるのですか?」


「そうだ。調査した結果、適任者候補ががおまえしかいなかった」


 それはそうでしょうとも。誰であれ王太子の正妃になるのならば、世継ぎを生むことが最大の仕事だからと寵愛を望む。

 しかし当の殿下は、正妃には存在以上のなにも求めていないのだ。

 正妃になるにはそれなりの身分が必要であり、その中でも唯一、実家が国政にまったく関わりがなく後ろ盾もない、ただ没落していないというだけで家柄だけが取り柄のうちが選ばれたのはわかる。そしてわたしのような、王妃なんて無理だと言ってしまえる人間がいたのは、殿下にとっては奇跡的な僥倖と言えるだろう。


 しかし、それはわたしにとっては、悪夢のような不運に他ならなかった。


「……なにをしている?」


「今すぐ死んでしまおうかと自ら首を絞めているところでございます」


 両手で首をぎりぎりと絞めていると、殿下が憐れなものを見下す目をして、わたしの手首を掴み自殺をとめた。


「若い身空で世を儚むな。それに、死ぬのは結婚してからにしろ。療養のためという名目でコーエン侯爵領に邸宅を作ってやるから。だが、死んでもしばらくは生きていることにしたいから、埋葬はできても葬儀はできないがな」


 冷たい微笑のままわたしを見下ろしている殿下に、わたしは小首を傾げて仰いだ。


「結婚してからも、領地に引きこもっていていいのですか?」


「構わない。小麦でも食べて、脳内の花畑で暮らすがいい」


 提示された内容は、きっとどこに嫁ぐよりも好条件だった。

 だけどそれでは、わたしは一生籠の鳥。今後誰とも結婚できないことになってしまう。

 それではだめなのだ。それでは。



 だってわたしは――。



 そのときふと、思いついた。


 そうだ。路線を変更しよう、と。


「……今日で、殿下への印象がずいぶんと変わりました」


「ふん。どうせ傲慢で冷たい男だと思っているのだろう」


「いいえ」


 涙の跡を拭い、わたしがにこりとすると、殿下が怪訝そうに眉を寄せた。


「わたしが間違っておりました。殿下との結婚、お受けさせていただきます」


「……なにを企んでおる」


「いいえ、なにも。それにそちらの要求を飲むと言うのに、なにがご不満ですか?」


「さっきまでわんわん泣いて、自分で自分の首を絞めていた人間の、その気持ちの変わりようにどう反応すればよいのか迷っている。違和感を禁じえない。有り体に言えば、気持ちが悪い」


 ひどい言い草だ。それでもわたしは無理してにこにこしながら、殿下の手を取った。

 さっきは怖かったけれど、もうあんなことはしないと自ら断言してくれたおかげで、近づける。


「わたしはただ、殿下のお人柄を知らなかったから結婚を渋っていたのであって、その原因もたった今取り払われましたのでお受けする、と申したまでです」


 しなを作れたらよかったのだけれど、あいにくわたしは現在頰のこけた貧相な娘であり、それなりに突き出ていたバストはやや萎みぎみ。迫られて泣いてしまった事実は消しようがないので、籠絡する手管も持たないわたしはとりあえず、慎ましやかで一途な女性を目指すことにした。


 わたしが殿下にまったく興味がないから目をつけられたのなら、その逆を演じればいい。


「魂胆が目に見えてわかるのだが?」


「うふふ。わたしと結婚するなら、一生つきまとって差し上げます」


 至極嫌そうな殿下はしかし、他の令嬢たちと比べたらまだわたしの方がましと判断したらしく、今ここで短絡的に突き離すことはしなかった。


「……結婚したら絶対に地方へ療養させてやるからな……」


「……その腕にかじりついてもおそばを離れませんので……」


 殿下が苦虫を噛み潰したように忌々しげに顔を歪める。

 白旗を揚げさせて殿下から断ってくるよう仕向けよう。

 こうしてわたしの新たな作戦の第一歩が今、踏み出されたのだった。




作戦、ころころ変わる……。

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