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9・仮病弱な娘



 叔父さまのところに滞在数日。耐えかねたように、ノアがわたしに詰め寄ってきた。


「トーカさま……本当に、大丈夫なのですか?」


「……え? なにが?」


「もうっ、全部です、全部! その目の下のくまも、痩けた頬も、その死相も! 全部でございます!」


 突きつけられた鏡に映るのは、まるで幽霊のような自分の姿だった。

 ここのところ栄養失調と寝不足で力も出ず、寝台に伏せっていたところへのノアの爆発は、めまいを誘発させた。くらくらする。

 これはわたしの努力が結実したと見てよさそうだった。


「トーカさま! お願いですから、まともなお食事をなさってください! せめて、せめてお菓子だけでも」


「お菓子なんて食べたらここまでの苦労が水の泡です」


「お願いですから、もう医者をお呼びしましょうよ!」


「お医者さまを呼ぶ段階に来たのなら、この姿をまずはみなさんに晒さないと」


 立ち上がろうとしてよろめき、寝台へ逆戻りしかけたわたしは、悲鳴をあげたノアに身体を支えられた。


「トーカさま! ほらごらんなさい! 立つことすらままならないじゃありませんか!」


「……想定内です」


「今間があった! ……あ、いえ。ありました」


「それなら医者を呼んで診断書を書いてもらいます。それを王宮に提出して、病弱さをアピールするので」


 医者を呼ぶことに承諾すると、ノアは部屋から飛び出していった。

 入れ違いで叔父さまが部屋へと訪れた。


「トーカはようやくお医者さまにみせることにしたんだって?」


 こころなしか嬉しそうだった。

 なにも否定的なことは言われなかったけれど、心配してくれていたみたいだ。


「トーカを観察する限り、精霊は身体の不調を治したり、守ったりはしてくれないみたいだね」


「わたし、しっかり研究対象にされていますね?」


「嫌ではないだろう? できれば精霊の姿を拝ませてほしいところだなぁ」


「それはわたしも見てみたいです」


「なにか……あぶり出せる方法さえあれば……」


 叔父さまが真剣に悩み、うーむとうなりながら腕を組む。


「こんぺいとう作戦は?」


「ああ、毎日ちゃんとお供えはしているよ。だけど少し目を離した隙になくなっているものだから、それを持っていったのが精霊なのか、いたずらな小人なのか、甘いもの好きの虫なのかわからないだろう?」


 小人はないと思う。

 こんぺいとう作戦がだめならば、わたしにできることはなにもなさそうだった。


「……仮にですけれど、わたしに精霊がついていたとして……それは母さまのと同じだと思いますか?」


 叔父さまはわたしを凝視しながら、首をひねった。


「どうだろうか……。彼女はたくさんの精霊に囲まれているようだったし、その内のひとりがトーカについていても、理屈としてはおかしくはないんじゃないかな。娘なのだし。……ただ、彼女の精霊たちはたまに私にまでいたずらするようなお茶目な子たちが多かったけれど、トーカに今ついている子は、やけに慎重深く他人から存在を隠している感じがするね」


 言われてみればその通りだ。

 母さまの精霊は姿は見えないにしても、信用できるわたしたちの前では堂々と振る舞っていた。

 花を摘んでは枕元に置いたり、人の髪の毛を勝手に結ったり。

 今そばにいる精霊は、滅多なことではわたしの元にも現れずに、信頼感はまるでない上、そこはかとなく壁を感じる。

 母さまにお願いされたから嫌々そばにいてくれるのだとしたら、申し訳なくなってきた。


「精霊を追い払う方法はありますか?」


 考えなしに尋ねると、叔父さまが一瞬絶句してから普段よりも低めの声で言った。


「……。そんなことをする悪い姪っ子は、殿下に売ってしまうよ?」


 言い方を間違えた。せっかくの味方が、なにげない一言で敵になろうとしている。


「た、ただの疑問です。一生徒として、先生にご教示賜りたいと思って」


「なるほどね。そういうことなら、なんでも聞いて。精霊に興味を持ってくれる子は今の時代、貴重だからね。さすが私の姪っ子だ。目のつけどころが他の令嬢たちとは違うなぁ」


 褒められているのか、自分を讃えているのかわからない物言いには反応せず、わたしは単刀直入に切り出した。


「精霊は、たとえば誰かに命令とかをされて、渋々人を守護したりするのですか?」


「それはないのではないかな? 精霊に命令できる人間なんてそうそういない――……ああ、そうか。トーカは、精霊に守られているというよりも、母さまに守られていると、思いたいんだね」


 ためらってからこくりと頷くと、叔父さまは寝台の端へと座り、わたしの肩を抱き寄せた。


「寂しかったね。両親の変わりにはなれないけれど、トーカのことは私が守ってあげるからね」


「叔父さま……」


 わたしの頭に叔父さまが顔を寄せて、キスをした。

 昔は父さまがよく、幸せな夢が見れるようにと、眠る前にこうして頭にキスしてくれていたことを思い出した。

 叔父さまが自分の頬を指でトントンと叩いたので、わたしもお返しに軽く唇を寄せたところで、一仕事終えて晴れ晴れとした顔のノアが戻ってきた。


「トーカさま、すぐに往診に来られるそうで――えぇ!? あ、申し訳ありません!」


 ノアが慌てて退室していったことを不思議に思っていると、叔父さまはくすくす笑った。


「ノア、誤解したかな?」


「なにをですか?」


 叔父さまはふんわりと笑って、子供にするようにわたしの頭を撫でた。


「これまで気丈にふるまっていたけれど、あまりがんばらなくていいからね? 叔父さまはいつでも、トーカの味方だから」


 寝台へと寝かされて、叔父さまに布団をかけてもらった。


「お医者さまが来るまで、寝ていなさい」


 そう言って叔父さまは部屋を出ていった。

 パタンと扉が閉まると、それを見計らったかのように窓の隙間から風がふわっと舞い込んできて、わたしの枕元へとそろりと降りた。


「慰めてるの?」


 風はわたしの顔を覗き込むようにすぅっと寄って、頰をなぞった。


「母さまがわたしのことをお願いしたのかもしれないけれど、嫌なら自由になっていいのですよ? わたしにあなたを縛る理由もありませんので」


 風ははたと動きを止めたと思ったら、わたしの顔の上をびゅぅと勢いよく駆け抜けて、窓から飛び出していった。

 とっさにつむった目を開けると、そばにはすでになんの気配もなく、カーテンがはためきだけが残されていた。

 わたしは乱れた前髪を直しながら、怒らせてしまったことを不安に思った。


 もう来てくれないかもしれないのね……。


 それは母さまとの決別を表しているようで、この三年間我慢し続けていた涙が、堰を切ったようようにぽろぽろ流れ出した。


「母さまと父さまに、会いたい……」


 布団を頭までかぶると、誰にも聞こえない声で泣き言をもらした。



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