一章 『絶対勝者』中
昨日も通ったが、桜は校門に近いほどたくさん植えられている。やはり入口が華やかな方が気持ちも良くなるというものだ。
昨日ほど暖かい陽気ではないものの雲は少なく天気がいい。桜も元気そうに花びらを散らしている。
「ふぁぁぁ……」
暁は校門の前で時間を確認する。12時30分。およそ4時間の遅刻である。
別に遅刻しようと始めから目覚ましをかけていなかった訳ではない。7時に1度目覚ましのアラームで起床。すぐさま二度寝し、次の起床は10時30分だった。
慌てて学校に行く準備をしている時に、「どうせ間に合わないし昼食を食べてから行こう」と思い立ってからキッチンで昼食を作り、食べ終わって家を出たのが12時。
そもそも学校に来ないという手もあったのだが、根は真面目(少なくとも本人はそう思っている)な暁は午後の授業くらいは出ようと思った。
「なんだ。まだ昼休みかよ」
昨日昼寝に使っていた桜の木を通り過ぎ、校舎の近くにある噴水の辺りに来るとお弁当を食べる生徒たちの姿が見える。
芝生の上でボールで遊ぶ生徒や通常魔法を使ったゲームをする生徒達の姿を見る限り、昼休みであるのは確かだろう。
ならばタイミングがいい。授業をやっていない今のうちに教室に入ることが出来る。
「そういえば、俺の教室ってどこなんだ……」
入学式を途中で抜け、桜の木の上で昼寝をした後、昼頃に帰宅した暁は自分の教室が分からなかった。というか校舎に入ったことすらなかった。
「あなた!いつ来ましたの!?」
校舎前で困っていると後ろから知っている声がかけられる。後ろを振り返ると昨日の金髪と黒髪のコンビがお弁当を片手に立っていた。外で食べてきた帰りらしい。
「おお!丁度いいところに!」
「丁度いいところに、じゃないですの!もうお昼休みですのよ!」
「みたいだな」
「なんでそんな平然としてるんですの!」
「まあ待てアリス。何かやむを得ない理由があったかも知れないだろ」
黒峰は騒ぎ立てるアリスをなだめる。それから暁の方へ向き直した。
「それで、言い訳を聞こうじゃないか」
「いや、ただの寝坊だ」
「弁解の余地なしですわ!」
アリスは叫ぶ。反応が面白いというか、いちいち激しい。見ているだけで楽しい少女だ。
「4時間寝坊した人間なんて見たことありません……」
「昼飯も食べてたしな」
「助けようがないですわ!!」
「まあまあ、学校には来たんだから許してくれよ」
「教室あと2コマしかありませんのよ!?」
「残りの授業は真面目に受けるからさ」
「ほう」
その言葉を聞いた黒峰はニヤッと小悪魔的な笑みを浮かべる。それをみたアリスもまた、何かを思い出したかのように笑う。
「言ったな?」
「二言はないぜ」
「ならばお前の言葉が本当か、しっかりと見せてもらうぞ」
「別に構わないけどよ……」
2人してニヤニヤしている理由は分からなかったが、真面目に受けると言った以上、その言葉を曲げるつもりはない。
いきなり切りかかられても能力でどうにかなるし、特に問題はないはずだ。
「時間もあまりないし、早く教室に戻るとしよう」
「案内頼むわ」
「なんであなたはそんなに偉そうなんですの!?」
なぜか左にアリス、右に黒峰と両側から挟まれる形で歩き出す。端から見れば2人ともかなり整った顔立ちをしているので両手に華だと思われるかも知れない。
だが、学年1位、2位、3位のグループに声をかけられるほど度胸のある生徒は誰1人としていなかった。
「お前らそういうことか……」
「昨日いなかったのが悪いんですわ」
「ああ、まったくだ」
教室に着いた暁が指定された席は3人席のど真ん中。さらに左右にはアリスと黒峰が座っている。
先ほど笑っていたのはどうやらこのことらしい。初めは名前順に並んでいたらしいが、昨日の午後に席替えを行ったらしい。
「お前の能力は自分よりも弱くするだけらしいのでな。ならば精神攻撃ならば有効だろう?」
黒峰は得意げな声で言った。悔しいがその推測は正解である。暁の能力は物理攻撃に対しては絶対的な効果を発揮するが、精神的な攻撃に関してはまったく意味をなさない。
「よく気づいたな。お前」
「これでも頭は切れる方なのだ」
別に長いこと一緒にいたわけでもなく、能力を調べただけでこの弱点に辿り着くのはかなり聡明であると言える。
性格上、悪口や陰口に対しては敗者の戯言だ、とまったく相手にせず傷つくことはない。
「この字、間違っているぞ」
「背筋を伸ばしなさい!」
「しっかり書け!」
「寝ちゃだめですわ!」
ただ、小言は違う。
授業は何事もなく始まったのだが、アリスからは姿勢に対する文句、黒峰からはノートに対する文句が逐一入ってくる。結果として暁は一睡もせず、すべての板書を写して2コマの授業を終えることとなった。
「明日から毎日こんな調子かぁ? たまったもんじゃないぜ」
暁は机に突っ伏して、ため息を吐き出す。
「あなた、入学試験の筆記テストはしっかり受けましたの?」
「当たり前だ」
「なら一応勉強はできますのね」
アリスが隣で教科書とノートを鞄にしまう。この学園はトップクラスの難関校で競争率が高く、テストの難易度も高い。それをクリアしたものは、次の実技試験を受ける権利が与えられる。
募集人数は存在しない。どちらもクリアしたものだけが入学を許されるのだ。
そのため、年によって生徒の数は分かれる。今年は比較的に合格者が多かったらしい。
「私、全教科90点以上だったのですけれど、あなたは何点でしたの?」
「全教科満点だ」
「え?」
暁は立ち上がり、伸びをしながら答える。アリスは、言葉の意味を理解できずに思わず聞き返してしまう。
「だから全教科満点だ。パーフェクト、ノーミス、バツなし。あんな問題で間違える方が難しいってもんだ」
ふぁぁ、と大きく欠伸をして帰りの支度を始める。桜は脱いでいた学校指定の黒いブレザーに腕を通しながら、惚けているアリスに言葉をかける。
「入学時の順位は筆記と実技、両方の結果を踏まえた上で決められている。お前はどちらでも負けたってことだな」
「わかったか?2位のアリスちゃんよぉ」
「わかりましたけど、あなたは一言余計ですわ!なんだがムカつきますの!」
アリスは顔を真っ赤にして叫ぶ。
暁はこの能力を得てから特に訓練や練習をする必要がなくなった。
だが、それは同時に今まで1日の大半を占めていた時間が空いたことを意味していた。
時間を持て余し、あまりにも暇すぎた結果として暁は、勉強をした。
図書館で本や資料を読んだりして知識量を増やしていく。それから現在の15歳になるまでの2年間続け、今では随分と博学になってしまった。
「お前はこれからどうするつもりだ?」
ブレザーを着終わった桜が尋ねる。制服にはいくつか色があり、黒・白・紺・深緑など自由に選ぶことが出来る。ちなみに暁は桜と同じ黒を、アリスは白を着ている。
「俺は庭園に寄ってみるつもりだが」
「あなた、そんなのに興味がありますの?」
「俺は美しかったり、風情のあるものが好きなんだ。まあ、お前たちを見ていても良さそうだがな」
「なんであなたはそんな恥ずかしいことを平然と言えるんですの!」
「さあ、本心だからなんじゃないか?」
「な、何を言ってますの!」
アリスは照れて手で顔を隠すものの、耳まで朱色に染まっていた。桜も照れているのかこちらから顔を背けている。
「それじゃあ、また明日。お二人さん」
暁は2人が付いていくなどと言い出す前に教室から出て行くことにした。
美しいものは時間を忘れさせてくれる。それは時間が有りすぎる故にいき着いたものだった。他にも難しい問題を解いたりすることも趣味の1つだったりする。やはりそれも時間を費やすことが出来るからだ。
窓から見える空はまだ青く、太陽も高く登っている。暁は庭園にはどんな花が咲いているのか、と考えながら心を躍らせて廊下をいつもより早く歩いた。
★
「これが庭園か」
校舎から少し歩いた場所にあり、透明なガラスで覆われたドームの形をしている庭園の前で暁は感動を言葉にした。
ガラスなので中の様子が透けて見えており、黄や赤など様々な花が姿を見せている。
「サクラソウにガザニアまで咲いてるじゃねぇか!こりゃ来て正解だったな」
外から見える花だけで暁のテンションが上がり、心を躍らせて中へと入る。
花は力強く生きる勇ましさ、美しく咲く可憐さ、そして最後には散ってしまう儚さの3つを兼ね備えている。
美の究極と言っても過言ではない。
中に入ると蜜とは違う花特有の甘い香りが鼻元に漂ってくる。色合いも鮮やかでそれがまた気分の高揚を誘う。
「しっかりと手入れが行き届いているな。みんな色が良いし、何より生き生きとしている」
「どなたですか?」
咲いている花を愛でていると後ろから声がかけられる。振り向くとそこには紫色の髪をした少女がじょうろを片手に立っていた。
背丈は暁より少し低く、瞳は黄金色に輝いていて、手足はすらりと長い。土仕事をしていたのか深緑の制服の袖が捲られ、白い肌に所々泥が付いている。
「俺は三神 暁だ。悪いな、入っちゃだめだったか?」
「いえ、ここは出入り自由になっているので大丈夫ですけど、人が来るのは久しぶりでしたから」
「みんなここには来ないのか?」
「皆さん花には興味がないみたいで」
「勿体無いなぁ。こんなにも綺麗に咲いているのに」
暁は庭園内を見回す。どの花も鮮やかな色の花を咲かせ、枯れているものは1つも見当たらない。なかなかの広さのある庭園すべての植物を枯らせないだけでどれだけ時間をかけて育てているかが窺える。
「ここは1人で?」
「はい。去年まではもう1人先輩がいたのですが、卒業してしまったので今は1人です」
「そりゃ大変だなぁ」
「全くです。おかげで全然授業に出られてなくて」
やははは、と少女は照れ笑いをする。これだけの植物を世話していれば当然だ。
今日寝坊して授業に遅れた暁としてはそのことに対して何も咎めることはできない。
「花がお好きなんですか?」
「まあな。花は見ていて退屈しない」
近くに咲いていた薔薇の花を撫でる。綺麗な薔薇には棘がある、というけれど棘があることを知っていれば対処の仕方はいくらでもある。
用心せずに触れるから思わぬ怪我をする。戒めの一言としてはいい言葉だ。
だが、棘があるからこそ薔薇はより一層美しさを増す。
言うなれば、綺麗な薔薇である理由は棘にある、と言ったところだ。
「そういえば自己紹介をしていませんでしたね。二年生の九ノ江 雅です。好きな花はクチナシです」
改まって丁寧に手を揃えてお辞儀をする。口調、行動からは大人しい淑女らしい雰囲気を感じる。
「クチナシ……確か花言葉は「喜びを運ぶ」だったかな」
「はい!他にも「洗練」や「優雅」がありますけど、あの白い花びらはまさに優雅です」
「いいセンスだな。白い花はたくさんあると風景に映える」
「それもそうですが、白い花は1輪でも十分綺麗ですよ」
「それには同意するが、俺はたくさんある方が好きだなぁ」
「それじゃあ、三神さんの好きな花は何ですか?」
「俺は彼岸花だ。あの炎のようにも見える鮮やかな赤には魅せられる」
それから2人は小一時間ほど花の話で盛り上がった。話の内容は何色の花が1輪でも1番綺麗かやどの花が散る時1番美しいかなど色々だったが、どれ1つとして答えは決まらなかった。
「いつから花を?」
「俺は2年前だなぁ。簡単に見られて、かつ奥深いところに惹かれた。そっちはいつからなんだ?」
「私は父が花屋をやっていますので、小さいころから手伝いを」
「なるほどな」
「三神!」
「ん?」
不意に庭園の外から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。ここにいることを知っているのはあの2人くらいだ。
「この声は黒峰の方だな」
「お知り合いですか?」
「ああ、クラスメイトだ。結構長いこといたし、丁度いいからそろそろ帰らせてもらうよ」
「いつでも来てくださいね」
暁は置いていた自分のカバンを担いで、入ってきた入り口の方へ体を向けた。外からは催促する声が聞こえてくる。アリスと違って黒峰は大人しいと思っていたのだが、そうでもないようだ。
「あ!そういえば最後に」
出る寸前に何かを思い出して、暁は振り返る。ポケットに入れていた右手で何かを指差し、
「相手に気づかれないように攻撃したいなら、もっと殺気を消したほうがいいぞ。それじゃあ、また気が向いたら来る」
そう言って暁は庭園から出て行く。
最後に指差した場所には雅の能力─『黒影舞踏』で創り出した影の槍を待機させていた。
どんな影でも操ることが出来るこの能力は隠密性に優れていて、物陰から相手の死角に攻撃することも出来る。
初めは誰かわからなかったので警戒のために用意したのだが、名前を聞いて新入生の代表だということがわかった。だから、そのまま待機させていたのだが、
「まさか、気づかれていたとは……」
雅は驚愕に顔を歪ませる。能力を知った上で見破られたわけではない。能力を知らないのに場所まで見破られてしまった。感情を隠すのは得意としているつもりだったのだが、見透かされていたらしい。
しかも、気づかれていたことに気づくことができなかった。
「試験官を一撃で倒したって噂も嘘じゃなさそうですね」
雅は自分を納得させるように呟く。それから、さっきまで話していた好きな花のことを思い出す。
「彼岸花……「また会う日を楽しみに」とは皮肉でしょうかね」
本当に好きな花だったのか、それとも皮肉のためにそう言ったのかは分からないが、雅は口元を緩ませ、笑みを浮かばせていた。