五章『勝者はわりと働き者』1
「ふぁ〜いい湯だった〜」
湯気を身体から昇らせた暁は、頭にタオルを乗せてリビングに入る。あの後、何もせずに家に帰ったので、大好きなお風呂に入ることにしたのだ。
ずっと忙しくしていたここ数年間の中でも、数少ない憩いの時間だった風呂は今でも変わらず毎日楽しみにしている。風呂は気にしなきゃならない範囲が狭いので、考えることが少なくて良い。よほど寝る時よりもゆっくり出来る。
寝る時も気を抜けない暁は、常時身体の周りに風を張っている。これ自体が脳に無理やり覚えさせた癖であり、風に侵入物を感知した場合に瞬発的に反応できるようにするために深く眠ることができない。
「よっこいしょ……」
テレビの前にあるソファに腰掛ける。壁に掛けてある時計を見ると、午後を半分終えたことを示している。
ピピッピピッ
不意にテレビとソファの間に置かれているグレアが鳴る。
「着信……?」
液晶面を上に置いていたため、相手不明と記して光らせる画面が目に入る。学内で使うように設定されているはずのグレアにおいて、相手が分からない着信がありえるのだろうか。
そう不審に思いながらも暁は、グレアを取り着信に応じる。
「もしもし」
『おお、暁。出てくれたか』
電話の相手は昨夜も聞いたおっさんの声だった。
「なんだよ、久我」
『そんな嫌そうな声を出すな、俺とお前の仲だろ?』
「お前が電話してくる時は面倒な用事がある時なんだよ。あとグレアの特殊回線に割り込んでくんじゃねぇ」
それだけ言って暁は通話を切る。久我が電話をしてくるのは何かしら依頼がある時だけなので、今回も同様だろう。
『電話を切るとは酷いじゃないか。今回の話はお前にも悪くない話だぞ』
だが、久我の声は切れることなく、次はテレビの電源が勝手に付いた。画面には久我の顔が映し出される。
LIVE中継なようで、車の中で撮られている映像は窓の外で風景が移り変わる。
「はぁ……これ以上しつこくされんのも嫌だから話くらいは聞いてやるよ」
『そうか!けど、この後時間がないんでな』
移り変わっていた窓の外が止まる。まさかと思い、ソファから立ち上がってカーテンを開ける。
案の定、家の前には一台の軍用車が止まっていた。運転席から出てきた水嶋が暁を見つけるとぺこぺこ頭を下げて謝っている。
「はぁ……分かったよ。着替えてくるから待ってろ」
『湯冷めしないようにな』
「余計なお世話だ」
暁はそう言い捨てて、着替えるためにリビングを出た。
久我の乗ってきた軍用車は、装甲が厚く、防弾ガラスが嵌められている。中は、前に運転席と助手席の2席と後ろは対面式に2人ずつが座れるようになっている。
運転席には水嶋が、久我は暁と迎え合うように座っている。
「今回の依頼はなんなんだ?」
「まず簡単に言うと、お前には国際連合軍に参加してもらう」
「いきなり大層な話をぶっこんでくるじゃねぇか。確かこの国はザーミットを除いて他国との関わりを持たないんじゃなかったか?」
暁の住む魔法の国──リベルアスはザーミット以外との貿易はもちろんのこと、一切の交流を持っていない。それどころか、他国へ行くには国の許可が必要で、一般人が許可を取るのは不可能と言ってもいい。
情報漏洩を防ぐためだとか、魔法士育成に金をかけるためだとか色々言われている。
国防軍を持っている時点で、戦争をしないためということではないのだろうが、正直知ったことではない。
「確かにそうだ。普段は会場の貸し出しを条件に参加をしていないのだが、今回はそうはいかないんだよ。昨日、お前が潰した組織あったろ?」
「淵城か」
「ああ。それから調べたところ、お前が言っていたように、裏に組織がいることが分かった。これがその組織のエンブレムだ」
久我はそう言いながら一枚の紙を取り出した。そこには1つのエンブレムが描かれている。
所々消えている魔法陣。バツ印に重なった折れた刀。そして、その2つを包むようにある折れて羽の少ない翼。
なんとも痛々しく、皮肉に満ち溢れている。
「組織名は不明。国際連合の方では『朽ちし亡霊』と呼んでいるらしい。各国の犯罪グループや退役軍人の集まりだと言われている」
「だからこのエンブレムなのか……参加の理由は?」
「今回攻撃されたのは俺たちの国だからな戦力を出さざるを得ないんだよ。それに、そういう情報を入手せず、警戒を怠ったリベルアスにも責任の一端があるって向こうが言ってきてんだ」
「そこで俺か」
攻撃されたのがリベルアスと言ってもここで軍を動かせば、事実上の国際的な軍事介入となってしまう。だが、こちらとしては軍事戦力や戦い方を晒したくはない。
そこで、軍の代わりに暁を派遣したいという話のようだ。
「その他弾薬等もこちらがある程度負担することにはなっているが、戦力としてはお前だけだ。どうだ?謝礼は弾むぞ?」
「金はいらねぇ。叩くのは本拠地なのか?」
「いや、支部の1つだ。本拠地は分からないらしい」
偉そうなことを言っておいて、まだ本拠地も見つけられていないのか、と暁をは思う。いや、逆にまだ見つけられていないからこそ、焦っているのだろう。
「そろそろだな」
久我がフロントガラスを覗いて、目的地が近いことを告げる。それはまた、暁に決断を催促する意味も含められていた。
「分かったよ……参加してやる。条件は分かってるよな?」
「もちろんだ。トップシークレットの情報まで用意してあるぞ」
さっきから用意周到に行くことを前提に準備されていることが癪だが、未だに一度も依頼を断ったことがないので仕方がない。
(自分で言うのもなんだが、人間根本はそう簡単に変わらないってか……)
しばらくして車が止まる。どうやら会議の会場に到着したらしい。
暁はパーカーを羽織り直し、口に手を当てて欠伸をする。それを見た久我は微笑みながら、後ろのドアを開けて言う。
「井の中のサメが、大海を知るときだぞ」
「はいはい」
面倒くさそうに返事をして、暁は車を降りる。だがこの時、自分が世界を知るという好奇心で無意識に笑っていたことを暁は知らない。
暁 世界へ飛び出します!




