孔雀 舞う 2
そう悲鳴にも似た声をあげた美緒が、一度瞬きをして、目を開くと、彼女はどこか見慣れた場所に戻っていた。美緒の目に飛び込んできたのは、学校の避難所、または安息の場所でもある保健室のベッドの上から見る天井だった。
美緒が視線を動かすと、簡易な治療道具や医薬品の数々が、彼女の瞳に映る。美緒は、ベッドの傍で保健室の先生、相田が団扇を美緒に向かって仰いでいるのにもすぐに気がついた。相田は美緒が目を覚ましたの確かめると、安心したように団扇を仰ぐ手を止めて、肩のこりをほぐす。
「羽々根さん。起きた? 疲れて眠っちゃったみたいね」
美緒は少し戸惑いがちに上体を起こして相田に尋ねる。
「えっと、ここは。保健室?」
「そっ。授業中に眠っちゃって、それで今までずっと」
「ずっと」
相田は、放心する美緒の体調が決して悪くないのを認めると、背伸びをして姿勢を正す。
「さぁ、病気の気配は一切ないし。ホームルームには出席してってね」
「ホームルーム?」
不思議そうに言葉を重ねる美緒に、相田は腕時計を差し出す。
「ほら、今三時半。午後の授業が終わる頃よ。さぁ、行って、行って。健康な子に保健室は用なし!」
美緒は、そう発破をかける相田に背中を押されて、立ち上がると保健室を出る。その足取りはたしかで、健康そのものだ。ただ美緒は、薙との夢に後ろ髪引かれる思いだった。薙ともっと穏やかで夢見心地な時間を共有したい。ずっと現実世界から離れて薙の夢世界に留まっていたいとさえ朧に感じてもいたのだ。
美緒はこれから薙と旅に出るというところで目が覚めたのを、今はひたすら残念に思うだけだった。美緒は下唇を噛みしめる。
「何よ。こんなタイミングで起きちゃうなんて」
そう独り言を零しながら、教室に戻る美緒の心は弾んでいた。薙との飛空船「孔雀」での旅。これから未知の世界に飛び込む期待感。そして何より現実逃避が出来るという安堵、開放感で満ち溢れていた。
ホームルームも終わり、自宅へと続く帰り道。体を一回転させて、制服のスカートをふんわりと舞わせるたりする上機嫌の美緒。その彼女に人当たりよく話し掛ける声があった。美緒にとってはイヤな予感がする。その予感は見事的中、声の主は大海だった。
大海の声はあけすけで遠慮がなく、奔放さが極まりない。聞き間違うはずもない。美緒が声のする方へ振り返ると、そこでは大海がまたも自転車に乗って、美緒にまとわりつくのが見えた。
「しっかし、よっく眠るなぁ。羽々根。まっ、誰も心配してなかったのがお前らしいっちゃあ、お前らしいけどよ」
美緒は、大海の皮肉とも嫌味ともつかない冗談に顔をしかめる。
「ぶつよ」
「まっ健康優良児、病気の心配はないってところだな」
「無視、無視。相手にするだけ無駄」。美緒は心でそう念仏のように唱えて、だんまりを決め込む。気持ちを集中して雑念を振り払おうとする美緒だが、ふとある考えが彼女の頭をよぎる。
(男の子というのは、好きな女の子に意地悪したくなるっていうしね)
その快心の閃きを得た美緒は、心が浮き立ち、上気するのを感じる。したり顔で、意味ありげに人差し指を、ピストル型に立てて、大海を指さす。
「あー。そうなんだ。そうなのね。いじらしい奴。そんなに密かに私に想いを寄せてるのね。うぃ奴ー」
美緒はいつも大海にいじられる側から、いじる側に立ち場が逆転出来たと言わんばかりに、大海を見つめるとそう言ってのけた。大海は、美緒の話の意図が掴めずに、少し困惑したように、自転車をゆっくりと漕いでいる。
「な、何言ってんだ?」
「分かる、分かる。私ってこう見えてもカワイイからさぁ。素直になれない男心、分かるよ」
大海は美緒の大上段に構えた言い回しに、益々困惑顔だ。眉間にしわを寄せて美緒の真意を疑う。
「はぁ?」
美緒はなおも調子に乗ってベラベラと喋り立てる。
「でも素直が一番よ。大海君」
美緒が上機嫌にそう言い終えたのと交差して、大海は急にシリアスな顔を浮かべた。彼は何を思ったのかひたむきな視線で美緒を見つめて、歩みを彼女に寄せる。
「羽々根」
美緒は予想だにしていない突然の展開に戸惑うしかない。
「えっ、何よ。ろ、路線変更?」
「羽々根」
美緒は少しびくついて悪ふざけが過ぎたかと後ずさりする。
「だから、何よ」
ついには大海は自転車を降りて、美緒に近づいてくる。美緒はたまらず狼狽して、両手を顔の前で左右に振る。
「ちょ、ちょっと待って。大海君。冗談はほどほどに。ねっ」
すると大海は、慌てふためく美緒の言葉をスルーして、彼女の肩に触れる。何かをつまみ上げたようだ。美緒も安心したのか二人してその「何か」を覗き込む。それは七色の光を放つ鳥の羽根のようだった。大海は鮮やかな光を放散させる「羽根」を見つめる。
「なんだこれ? 鳥の羽根だ。綺麗な色だなぁ。何の鳥だろう」
大海の興味が「羽根」にあったことを知ると、美緒は肩の荷がおりると同時に、ほっと安堵もする。そんな美緒にも構わず大海は、ちょっとした推理をしてみせる。
「極彩色だ。極彩色の羽根の鳥なんて少ないよな。これはひょっとして」
大海の推察通り、極彩色の羽根で想像がつく鳥はそう多くはない。美緒と大海の知識の範囲内でも思い当たる鳥は一つしかない。つい調子よく美緒と大海は声を合わせる。
『孔雀?』
大海は美緒と意見が合ったことで、勢いづいて喋りだす。
「そうだ! これ絶対に孔雀の羽根だよ! でも、何で孔雀の羽根がこんなところに? なぁ、羽々根」
「『なぁ』って、私にも分からないわよ」
大海はしばらく立ち尽くして羽根を見つめている。
「まっ、何にせよ。この羽根、綺麗だから俺が貰っておくよ。大切なコレクションにしようっと」
大海はポケットに羽根を仕舞いこむと、気持ち良さそうに一度青空を見上げる。
「ほんじゃな。羽々根。今夜はぐっすり寝ろよ。じゃあな」
大海はそう言葉をかけると自転車で走り去っていく。美緒は取り残されて、ぼんやりと立ち尽くすしかない。
(孔雀の羽根? 孔雀って言ったら。何か薙の夢と関係があるのかな?)
美緒は漠然とした疑問を抱きつつもとりあえずは家に帰った。すると美緒が玄関で靴を脱ぐなり、美緒にとって煩わしくも愛らしくもある、妹の千羽が美緒の手を勢いよく引っ張る。
「ちょっとお姉ちゃん! 大変なんだから!」
「な、何よ」
何があったのだろう。千羽は相当な慌てぶりだ。美緒が千羽に事情を訊く間もなく、彼女は千羽に引きずられて、二階の自室に連れて行かれた。
そこで美緒が目にしたのは、美緒が唖然とするに十分な光景だった。美緒は思わず叫ぶ。
「な、何なの!? これ!」




