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時尽きる駅へ 1

 だが美緒が呼びかけたナナリスの風貌は、ヒューマンバードのそれではない。翼も鉤爪もなく、羽根もない。一人の人間の姿そのものだった。絹のドレスを纏った、美しい女性、ナナリスは、一歩ずつ美緒に歩み寄る。ナナリスの声は妄執に満ちている。



「まだ、私はこの子に無償の愛を注ぎたいんだよ。私の情熱、生きる証、歓びの源を失いたくないんだ。だから、邪魔しないで」



 ナナリス。彼女の声は悲壮で、どこか、「暗い」。彼女の心は強い執着心で溢れている。ナナリスが更に美緒に近づくと、美緒はたまらず後ずさりをしてしまう。その時、薙の声が美緒の心に届く。



(美緒。聴こえるかい?)



 美緒は薙に返事をする。



(薙!)


(母さんはこの心理分析機を使って、僕の心に入り込み、僕と同化するつもりだ。終わりの時だよ。『宝石』を壊して、分析機を止めてくれ)



 美緒は力強く胸の内で応える。



(分かった。薙!)



 見るとナナリスは、最早美緒には脇目も振らずに、カプセルへと近づいていく。彼女は、カプセルの中で半覚醒状態にある薙に歩み寄り、愛おしげに話しかける。その姿は生まれたての赤子に話しかける母そのものだ。



「私の息子、少年、男の子。ずっと子供のままでいていいのよ。一緒に何もかも分かち合いましょう。これまでだってそうしてきたじゃない。突然私から離れるなんてヒドイ話だわ。どうかママを置いていかないで」



 ナナリスはカプセルに繋がれたパイプを引きちぎり、自分の上半身に近づける。見ると彼女の胸元の一部は機械化されている。ナナリスは、分析機と自分を繋げて、薙と同化しようとでもいうのだろうか。穏やかならざる雰囲気に美緒はついに決意し、銃を取り出すと、宝石をガードする硬質ガラスに向ける。



「薙! 今助けてあげるから!」



 一度、二度、三度と短銃を発砲する美緒。美緒の動きは大きく、素早いが、ナナリスは自分の欲望に溺れているのか、美緒に構う素振りはない。ただただ薙との同化を試みている。美緒は危機感を募らせる。



「薙!」



 美緒がそう叫んでモニターを仰ぎ見ると、映像にはノイズが入っている。それは薙の意識が、ナナリスの侵入を受け、混乱している証のようにも美緒には思えた。美緒はヒビの入った硬質ガラスに、今一度銃を撃つ。遂に壊れる硬質ガラス。美緒は剥き出しになった宝石に触れる。


 美緒が手を伸ばした宝石はまるで生き物のようだった。宝石は回転すると、切れ目から眼を見開く。辺りを見回し、警戒する宝石。宝石は獲物を狙っているようにも見える。美緒がその様子を察し、驚き、ためらっていると、薙の声が美緒に呼びかける。



(大丈夫、落ち着いて。そいつは生き物のようだけど、れっきとした、ただの機械だ。壊しても何も胸が咎めることはない)


(分かった! あと少しだから! 待ってて!)



 想いを募らせて美緒は叫ぶと、宝石目掛けて銃の引き金を引く。だが美緒の構えた短銃から弾が出ることはない。出てこない弾丸。弾切れだ。モニターには、かつて薙とナナリスが過ごした邸宅が映される。薙とナナリスは幸せそうに寛いでいる。


 それはナナリスにとって、いや薙にとっても、貴重な思い出だったはず。だけど薙は屈折したナナリスの愛情ゆえに、その思い出を振り切ろうとしている。映像は乱れていき、途切れ途切れの雑音を発する。それは、薙の心がいよいよナナリスに侵され、支配されそうになっている証のようにも美緒には思えた。


 焦り、次の打つ手をひたすらに探る美緒は、わけも分からず、必死になって、ただ無心にポケットをまさぐっていた。「何か宝石を壊せるものを!」。そう胸の内で叫ぶ美緒の指先に痛みが走る。


 鋭利なとても鋭利な刃物のようなもの。



「痛っ! 何だろう」



 そう叫んだ美緒が、自分の指先を見ると出血している。美緒の指先は何か鋭いナイフか何かで怪我をしている。「鋭いナイフ」。一瞬だけ考えた美緒は、その正体に咄嗟に気づき、すぐにそれを取り出す。それは、薙と美緒、そしてナナリスの共同幻想「ルマルデ」の街で手に入れたカッターナイフだった。



「これだ!」



 美緒は、すぐさまカッターナイフを取り出すと宝石に突き立てる。



「薙! 待ってて!」



 ナイフを目元に突き立てられた「宝石」は目をぐるりと一回転させて、叫び声をあげると消失していく。モニターにノイズはなくなり、静かな元の画面に戻ると、分析機は動かなくなった。


 一瞬の静寂がフロアを包み込む。すると分析機が止まったことに気がついたナナリスが冷たい瞳で美緒を見下ろす。



「何をした?」



 美緒はなぜか、ナナリスを哀れむように見つめていた。ナナリスの心は、完全にバランスを失っている。彼女の息は切れ切れとなり、我を失う。美緒に一歩一歩近寄るナナリスだが、やがて頭を抱え苦しみ始める。


 分析機に、半ば強引に入り込んだナナリスの意識が、そこから排除されているのだと美緒には分かった。ナナリスはよろめき、体のバランスをも失う。足元はふらつき、体のあちこちを分析機にぶつけている。



「うぐぁ! ぐわぁ!」



 ナナリスの瞳は落ち窪み、頬はやせ細っていく。彼女は苦悶し、ヒステリックに甲高い声をあげる。



「私の若さの! 命の源! 美しさのルーツ! 失われていく。なぜだ!」



 ナナリスはやせ細り、しおれた左腕を美緒に伸ばしてくる。その姿は凄絶さを増していく。美緒は胸が引き裂かれそうになりながらも、彼女を見つめる。



「ナナリスさん。もう。終わりにしましょう?」



 美緒の声を、ナナリスは聞き届けたのか、聞き届けていないのか、苦しみに満ちた声をあげる。



「なぜ奪う? なぜ私の邪魔をする。薙は、私の子だ。娘。お前は薙の一体何なのだ! お前は薙をたぶらかし、私と薙の仲を隔てる。何が目的だ!」



 ナナリスは激して、痛みに顔を歪めると、両手で顔を覆う。彼女の顔は徐々に砂と成り変わり、地面に零れ落ちていく。彼女は自身の終わりを予期したのか、踵を返し、薙の眠るカプセルへと歩み寄る。彼女は薙に手を差し伸べる。



「薙。私の太陽、私の若さそのもの。輝き、優しさ、愛の象徴。さぁ、最後にその愛くるしい笑顔を見せておくれ。ママのためだけに笑っておくれ。だって私達は親子じゃないの。だから! 薙!」



 薙はその哀願を耳にして、ナナリスにそれはとても愛らしく、優しい笑顔を一瞬だけ見せた。それは薙からナナリスへの最後のプレゼントのようでもあった。その笑顔を見届けたナナリスは砂へと完全に成り変わり、崩れ落ちて行く。最後の一言を絞り出して。



「薙。ありがとう。私の可愛い息子よ」



 ナナリスが成り変わった砂からは、とても品のいい香りがする。それは媚薬の香りにも似ていた。まるでナナリスの人間時代の麗しさ、可憐さを象徴しているようでもあった。砂塵と変わり果てたナナリス。美緒は少し震えながら、砂となったナナリスを見つめて声を失う。



「本当に、私はあなたに何一つしてやれなかった。あなたを助けられなかった」



 美緒が涙ながら砂の上を見ると、一枚の写真が埋もれている。そこにはナナリスとまだ幼い薙が笑顔で写っていた。その写真を拾い上げて、美緒は胸に突き刺す感慨を覚えると、こう言葉を添えた。



「可哀そうな人。ナナリス。きっとどこかでボタンを掛け違えてしまったのね」


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