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共同幻想 1

 登校した美緒の頭はとても冴えている。現実への忌避感は幾分穏やかになっており、今のところ、日常生活を送るのに支障はない。一つ気掛かりだったのは、この前つい感極まって抱き付いてしまった大海のことだが、彼の方は、そんなことは気にも掛けてない様子だ。


 放課後、帰り支度を始めた美緒へ、不意にクラスメートの一人、原川徹が話しかけてくる。彼は、いつもは余り目立たない生徒だ。美緒との接点もほとんどない。遠慮がちな原川を訝しんで、美緒は尋ねる。



「何か、用? 原川君」



 原川は少しどぎまぎしている。



「あ、あの。大海君が学校裏の空き地に来てくれってさ。そう言ってたよ」



 大海が美緒に用事。大海が、教室で用立てしないのを不思議がった美緒だが、原川を疑う理由もない。美緒は一言礼を言う。



「そうなの? ありがとう」



 鞄を手にして、いざ下校しようとする美緒だが、メッセージを伝え終えたはずの原川も、何かもの言いたげにそこに留まっている。たまらず美緒は尋ねる。



「どうかしたの? 原川君。まだ何かあるの?」



 原川はどこか後ろめたそうに自分を取り繕う。



「いや、何も。ただ、三十才くらいの女の人に、誰か思い当たる人はいる?」



 三十代の女性など美緒には見当がつかない。ナナリスの顔が一瞬頭を掠めたが、原川にナナリスがコンタクトするはずもない。考えをまとめた美緒は原川に伝える。



「ないわ。その女性がどうかした?」



 両手を振って少し動揺する原川。



「い、いや。何でもないんだ。ちょっと思い浮かんだだけだから」



 原川はそう言い残すと、慌てて教室を出て行く。その怪しげな様子が美緒には気に掛かる。だが美緒は大海の用事の方へ関心がすぐに向く。多分大海が夢と現実の問題について、何かアイデアでも浮かんだだろうと、美緒は推し量って空き地へと向かう。

 

 学校裏の空き地。そこは大海がいつも自転車を停めている場所だ。だが美緒が空き地に着くと、なぜかそこには川崎がいる。川崎は腰をおろして本を読んでいる。川崎を見つけた美緒の頭は一瞬混乱する。この前の、川崎に化けたナナリスのこともあったため、美緒は少し身構えるも、すっと口をついて質問が出る。



「川崎君、何してるの?」



 美緒に気が付いた川崎は、一瞬笑顔を浮かべたが、美緒の質問に肩すかしを食らったようだ。怪訝な顔をする。



「えっ? 何って。僕は羽々根さんが呼んでるって聞いたから、ここに来たんだよ?」



 美緒は川崎を呼んだ覚えはない。美緒は彼に尋ねる。



「誰から聞いたの? その話」


「原川君」



 その答えを聞いて、美緒は首を傾げる。



「私も原川君に呼ばれて来たの」



 川崎もわけが分からない様子だ。改めて問い直す。



「僕が呼んでるって?」



 原川が、川崎と美緒をつなげようとしていたのなら、原川は体のいいキューピットだ。だがそれは事実とは違う。美緒は首を横に振る。



「ううん。違う。大海が。大海が私を呼んでるって」



 その話を聞いて、ますます表情が曇る川崎。美緒と川崎が事実を掴み兼ねていると、遠くからあの馴染みのある声が聴こえてくる。空を突き抜けるように元気のある声。それは間違いなく大海の声だった。大海は川崎を見つけると、大きく右手をあげる。



「おー! 川崎ー! 何だよ。わざわざ呼び出すなんて。用があるなら学校で済ませろよな!」



 人懐っこそうに口にする大海は、すぐに美緒がいるのにも気が付いた。大海は目を丸くする。



「あれ? 羽々根まで。何してんの? こんなところで」



 美緒は何が起こっているのか全く掴めない。



「何って、大海が呼んだんじゃない」



 すると大海は眉をひそめる。



「俺が? 羽々根を? 呼んでないよ。俺は川崎が待ってるって聞いたからここに来ただけだよ」



 さすがの美緒も少し推理が働いてくる。



「それって、ひょっとして、原川君から聞いたの?」



 大海は素直に驚く。



「おお、スゴイ直感。何で分かった? そう。正解」



 そこまで話がつながると、異様なシチュエーションに川崎も気がついたのか、美緒と大海の会話に割って入る。



「ちょっと待って。話をまとめよう。僕は羽々根さんが呼んでるって、原川君に聞いた。羽々根さんは大海君が、呼んでるって原川君に聞いた」



 その話を、要領のいい大海が引き継ぐ。



「それで俺は川崎が呼んでるって原川に聞いた。全員原川つながりだな。どうなってる? まるで『魔のトライアングル』だ。原川の奴、何のつもりなんだ?」



 話を整理し終えた大海が両手を軽く広げると、次の瞬間、彼女、そう。ナナリスの深く沈んだ声が、空き地に響いてくる。どうやら美緒に語りかけているようだ。



「お前には、二人も大切にすべき人間がいるというのに、なぜ私から、薙を奪う」



 異変に気付いた大海は身構える。



「誰だ?」



 川崎も手にしていた本をバッグに仕舞う。美緒は今まで気が付かなかったが、川崎も弱気な男の子ではないようだ。その目つきは鋭い。美緒は二人に呼びかける。



「ナナリス。彼女よ!」



 大海はすぐにその名前が思い当たったようだ。



「ナナリスって、この前話してた?」



 川崎は冷静だ。大海と美緒、二人だけの了解ごとである「ナナリス」の名について詳しく尋ねようとする。



「『この前』って?」



 大海の返事は素早い。



「羽々根にちょっかい出してくる気味のわりぃ奴だよ。羽々根。これで合ってるな?」


「うん。大体」



 そう美緒が答える間もなく、空き地の離れに、原川が立っているのを大海は見つけた。大海は原川に向かって問い咎めるように叫ぶ。



「おい! 原川! どういうことだよ! これは!」



 だが大海が大声をあげたと同時に、空き地の地面がヘドロのように窪み始める。大海と美緒、そして川崎は各々叫ぶ。



「どわっ!」

「うわっ!」

「ひぇっ!」



 窪み落ちた美緒達の足元は、底無し沼にも似て彼女達を地中深くに飲み込んでいく。それはまるで溶岩を思わせる。その様子を見た原川は明らかに動揺し、彼の予想以上の出来事が起こったのを窺わせる。ついには彼は慌てふためいて逃げ出してしまった。美緒達、三人は地の底に吸い込まれていく。


 その最中、大海は呻くように声をあげる。



「原川ー!」



 川崎も美緒も、窪み落ちる足元から、何とか逃れようとするが、それが出来ない。ナナリスの陰鬱な声が三人の耳元に届く。それは美緒に語りかけているもののようだ。



「お前には、『現実』の仲間がいるだろう。これ以上何を求める? どうして私から薙を奪おうとする? 思い知りなさい」



 そのナナリスの恫喝どうかつにも似たセリフと共に、美緒達三人は完全に地中に飲み込まれてしまった。その時、薙の声が遠くで聞こえたのが、美緒には何とか分かった。



「いつまで僕に執着するつもりだい? あなたと僕はもう離れなければいけないのに」



 美緒は遠のいていく意識の中で、薙に問い掛けるしかない。



「薙? それって一体? ナナリスとあなたって?」


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