歌劇「シルク」 3
ガルトォのエアポートに戻った薙と美緒は「孔雀」へと向かう。薙にエスコートされて「孔雀」に乗り込む美緒は、メンテナンスのお蔭で組み立て直されたかのような船体に、目を見張る。船体の甲板上に上がった美緒は、細部に渡り磨き抜かれた帆船と、それを手掛けたガルトォのメンテナンススタッフに感心する。
「新品みたい」
薙は、ゲルティモとの会談でまたより多くを手に入れたのか、気さくな表情さえ見せる。
「ガルトォのスタッフは超一流だからね」
「一流! いい響き」
薙は、美緒が明るく振る舞い、悪夢にも似ていたガルトォでの出来事を、克服しようとしている姿を目に留める。薙はガルトォでのエピソードを回想していく。
「ディマソーで僕と別れて、ボーイ・エーと二人きり。ボーイ・エーはここ数ヶ月、怪しげな兆候を見せていた。その上、ゲルティモとの話も予想以上に時間が掛かった。心配させたね。美緒」
薙は「孔雀」の舵を取り、夜空へ、ガルトォでの物語の終わりを表わすかのように、静けさに満ちた夜空へと船体を漕ぎ出していく。当初美緒が、ガルトォに感じていた凍てつくような寒さ、刺すような冷たさを振り切るかのように、「孔雀」は夜の闇へと舞い上がり、二人はガルトォに別れを告げる。
風がゆったりと吹いてくる甲板上で、どこか物悲しげな瞳で舵をとっている薙に、美緒は澄みきった瞳で尋ねる。
「ゲルティモさんとは、何を話していたの?」
薙は話の中身を打ち明けるのに躊躇いはない。左掌を軽くあげると答える。
「ちょっとしたことだよ。ガルトォの治安、若者の教育、雇用などについてだ。ガルトォは僕にも関わりの深い街だからね。いつまでも『ジャンクタウン』のままではいけないと話をしていたんだ」
ゲルティモが、若者のために尽くすタイプの人間だと知った美緒は、涼しげな風が胸の内に吹き込んで来るのを感じ取る。だからこそゲルティモは悪さに手を染めてしまった若者達を束ね、マナーを仕込み、再教育をして、誇りを持たせていたのだ。美緒の瞳の奥に、磨き抜かれた立ち居振る舞いのボーイ・エーが蘇る。
美緒さん、どうぞこちらへ。
薙は美緒の絡み合う心情を読み取ったのか、一つ謎解きをしてみせる。
「ボーイ・エーも一面、退廃の街、ガルトォの犠牲者だったんだよ」
美緒は、自分を丁寧に持て成してくれた、一個人としてのボーイ・エーには多くの感謝とリスペクトを感じていた。彼女は一瞬物想いに耽ると薙に尋ねる。
「ボーイ・エーさんは、どうしてあんなことをしたのかな?」
薙はボーイ・エーに同情しながらも、極力シンパシーを避けようとしている。それは、いつか薙の辿った道を、ボーイ・エーもまた歩んでしまったことを、薙が残根の想いで捉えているからのようだった。薙は苦渋を滲ませる。
「多分、道を踏み誤ったんだろう。後戻りすることも出来たのに。ボーイ・エー、彼は気付かなかったんだ。とてもシンプルな答えに」
「答え?」
美緒が尋ねると、薙は言葉に力を込める。
「世界を変えるには、自分を変えるしかない、ということさ。世界は自分の心の映し鏡に過ぎない。世界を変えるとはつまり、自分を変えるということなんだよ」
薙は、核心を突くような話をする自分を冗談めかして笑う。
「カウンセラーみたいだね。僕」
美緒も、ガルトォでの秘密が一つ解き明かされて、安堵したのか笑う。
「ううん。そんなことないよ。薙らしい」
美緒の笑顔に、薙もほっと一息ついたのか、ゆったりと舵を取る。
「それに、今の話はこの旅の意味とも関係がある。僕が乗り越えようとしている課題ともつながりがあるんだ」
一つ話の筋が通ったのを感じた美緒は、自分でも気が付かないまま、意識さえしていなかった言葉を、閃くように口にする。
「ボーイ・エー。彼はこの薙の旅で何を表わしていたの?」
薙は切なげに左手の甲を口元にあてる。
「ボーイ・エーが何を表わしていたかって? 簡単だよ。それは独善、エゴだ。僕がもう二度と間違った道を歩まないための」
薙が「もう二度と」と言い表すのを耳にした美緒は、薙のこれまでの孤独な旅路が、決して平坦ではなかったのを改めて知る。彼女は甲板の縁に手を掛けて体を支える。薙が、そして美緒でさえも、今後一切自分を見失わないことを誓うかのように。美緒は良く通る声を、少し大きくして薙に尋ねる。
「薙。薙は、正しい道を進んでる?」
薙を力づけるように、後押しするように、そう訊いた美緒に、薙は微笑んで答える。
「そう。信じたいよ。少なくとも美緒。君が、間違っていないと僕を信じてくれるほどには」
薙に多くを託され、期待された美緒は、軽く身を乗り出して、反射的に口にする。
「私。薙のこと信じてる。薙が正しい道を歩んでるって。そう!」
薙は、美緒が自分を分かっていてくれたことを、今更ながらに気付き、髪を風になびかせる。彼は艶やかに輝く月を見上げる。美緒は、二人の鼓動と合わせるように、振動する「孔雀」に体を預けて瞳を閉じる。
美緒も、薙と共感しあえたことが、たまらないほど胸に響いていた。
「ずっと、こんな旅が続けばいいな」
美緒も月夜を仰ぎ見てそう呟く。色々な場所に行き、色々なことを見て、聞いて、感じていたい。それが今美緒が抱く心情の全てだった。
風が美緒の肌を優しく撫でていく。やがて美緒は瞳をゆっくりと閉じると、自分の意識と体が、「夢世界」から離れていくのを感じ取る。
薙と「孔雀」の姿が遠のいて、離れ行き、ガルトォでの思い出がフラッシュバックして、明滅する光の中、弾け飛ぶように消えていく。
美緒は現実へと舞い戻る。瞳を開けて、目を覚ました美緒が時計を見ると、まだ五時前だ。ガルトォでの濃密な体験がそうさせていたのか、美緒の現実世界への忌避感は若干和らいでいた。
美緒は学校に行く途中も何だか胸が軽い。楽観が美緒の心を覆う。今も現実と夢世界の問題は解決していない。それは美緒も分かっていた。なのに彼女はどこか安心していた。
夢の世界では薙、現実の世界では大海。まるで表裏の関係にあるような二人がいれば安心出来る。心配することなど何もない。美緒はそう思ってもいた。そして彼女は覚悟を決める。例え夢、現実。両方の世界で、美緒をナナリスが責め立てようとも。
「旅を、終わらせる」と。




