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歌劇「シルク」 1

 舞台中央、シャンデリアの灯が煌々と照らす社交場には、一人の若い女性が倒れ伏している。その傍には二人の男性が膝を落とし、彼ら二人を取り囲むように人だかりが出来ている。若い女性は、歌劇のタイトル「シルク」の通り、絹のドレスを身にまとっている。


 女性のシルクのドレスは、彼女の朱色の血で染め上げられ、この歌劇が決して単に雅かなドラマでないのをも表している。


 女性が倒れ伏す場所。そこはどうやら舞踏会の会場らしい。先の男性二人は捜査官か何かのようだ。美緒は、「シルク」のオープニングの情趣に深く心を打たれたようで口元を両手で覆う。ボーイ・エーは冷めた表情を見せるも興味深げだ。


 美緒とボーイ・エーの二人が視線を送る、舞台に立つ捜査官二人の男性は、現場の状況を調べ終えたようだ。年配にあたる男の方が先に口を開く。



「犯人は予告文通り、殺人に及んだ。奴は資産家令嬢、ジーナ・トメルカを手に掛けた」



 年配の捜査官に、多大な敬意を払い、彼を慕っているであろう、もう一人の捜査官、若い青年が言葉を引き継ぐ。



「予告文では、殺人を続けるとも宣言されています」



 年配の捜査官は、若く優秀な様子の青年捜査官が見せた危機意識に賛嘆して、彼に尋ねる。



「タバタ、その予告文をお前はどう読み解く?」



 美緒は冒頭から歌劇にのめり込み、「タバタ」という名前を頭に刻み込む。ボーイ・エーは口元に人差し指をあて、顎をもたげて舞台を見つめる。二人が注視する青年捜査官タバタは、予告文を繙いていく。



「予告文には、富裕層への怒りが書き込まれています。恐らく犯人は、貧困層の人間。彼が次に標的とするのも富める者。タテオカ警部。彼は確信犯です。止めなければ」



 「タテオカ」。美緒はこの屈強でありながら、温情と人間味に溢れた印象を漂わせる、年配捜査官の名前をまた胸に留めておく。美緒が見据えるタテオカは立ち上がる。



「ジーナ・トメルカ。起業家、レド・トメルカの娘。タバタ。お前の推理は妥当だろう」



 恐らくこの歌劇の中心人物になるであろうタテオカは、タバタの推理を評価して、両手を広げると嘆く。



「美しい舞踏会が血に染まる。全く、理不尽だ」



 美緒が魅入る舞台上では、事件の凄まじさを象徴するように、暗く、重い音楽が奏でられていく。歌劇場に響き渡る管弦楽は、観客達を「シルク」の世界に取り込んで離さないようでもある。重厚な旋律に後押しされるように、美緒は個室から半ば身を乗り出す。



「面白そう。私、こういうの、好き」



 美緒がそう呟くと、ボーイ・エーは至極満足そうに、彼女に語りかける。



「この舞台は、ロングランを記録しているんですよ。その点ガルトォの人々が共感するところもあるのでしょう」


「そうなんですか」



 美緒が吐息混じりに、興奮して見つめる舞台は、畳みかけるように展開する。舞台は犯人が、タテオカとタバタを嘲笑うかのように、凶行を続ける様相を描いていく。


 血塗られた舞台、朧げにしか映らない犯人の影、被害者の泣き叫ぶ声。それらが一体となり、「シルク」の重層な物語が形作られていく。


 一人、また一人と生まれる犠牲者。犠牲者の共通点はただ一つ。全て資産家だということ。警察の捜査の手を免れる殺人犯は、街の噂を呼び、やがて「キリング・リッチ(資産家殺し)」と通称されていく。この展開にはボーイ・エーも一興を見い出したのか、思わず感嘆の声を漏らす。



「犯罪劇としてとても面白い」



 美緒は、自分の想像以上に舞台に夢中になっていたらしい。ボーイ・エーへの返事もそこそこに固唾を飲む。



「あ、はい」



 ボーイ・エーは、椅子にもたれると、両指を組み合わせる。その表情は思慮深い。彼はこの資産家殺し、「キリング・リッチ」の物語に大きく関心を引かれたようだ。一方美緒が、深く入り込む舞台では、次々と事件が起こっていく。


 今度は裁判官、弁護士などがキリング・リッチによって暗殺されていく。舞台中央で両手を広げ、悲嘆しながらもタテオカは推理していく。キリング・リッチの最後のターゲットは、資産家でもある、知事ノルデオ・ガノになるだろうと。


 タテオカの推理に殉じて、厳重な警備下に置かれるノルデオ・ガノ。だがそれにも関わらずノルデオ・ガノは、キリング・リッチに狙撃され、あえなく命を落としてしまう。美緒は額に手をあてる。



「そんな」



 ボーイ・エーは、美緒が舞台に魅入られていること自体には充足しているが、物語の展開に思うところあったのか、少し冷徹な面持ちさえ見せている。


 舞台、ノルデオ・ガノを守り切れず、悔しがるタテオカとタバタ。だがその二人を弄ぶかのように、その夜、ネット上にタテオカを震撼させるメッセージが広められる。



「詰んだな。タテオカ、次はお前だ」



 舞台奥のスクリーンに映される、その不気味な宣告を目にして、美緒は思わず握り拳を掴み、声をあげる。



「タテオカさん、頑張って!」



 やや取り乱し気味の美緒。その美緒の唇を人差し指で、軽く塞ぐボーイ・エー。ボーイ・エーは、先から予兆があったのだが、ここに来てなぜか物語に関心を失ったようだ。だがボーイ・エーは熱中する美緒の興を削ぐようなマネはしない。ただ舞台を傍観するだけだ。


 両指を絡め合わせ、集中する美緒を惹き込むように、舞台は次のシーンへと進む。


 厳戒体制にあった、ノルデオ・ガノでさえ仕留めたキリング・リッチの手腕をタテオカは想像するに、自身が孤立無援の状況にあると理解する。沈黙で口を閉ざし、服の襟元で口元を覆うタテオカはついにキリング・リッチとの勝負を覚悟する。


 舞台はタテオカの決意を引き継ぐように、ある豪雨の夜を描き出す。激しい雨が降りしきり、雷鳴が轟き渡る、激しい空模様の只中、帰宅したタテオカを待ち受けていたのは、彼、そう。キリング・リッチだった。彼はタテオカの妻と娘に銃を突き付けて、タテオカを出迎える。


 キリング・リッチは顔を隠すこともなく、証拠が残るのを厭う様子もない。キリング・リッチは勝利を確信しているのか、それとも結末を予期しているのか。何一つ隠し立てする様子、気配すらない。


 夜闇の中、向き合うタテオカとキリング・リッチ。パーカーに覆われたキリング・リッチの顔は、微かに見える程度だ。


 美緒は手に汗が滲むのを感じる。美緒はタテオカに大きく感情移入して、無意識に何事かをぶつぶつと呟いている。美緒のその声なき声援に応えるかのように、タテオカは低く抑えた声で、キリング・リッチに尋ねる。



「動機を、聞かせてもらおうか。この事件、ただの無差別殺人事件ではなかったはずだ」



 キリング・リッチは、タテオカの推理に満足している。だが一種の落胆をも隠せない。



「残念だよ。タテオカ、私はあなたと対決しなければならないのを心底残念に思う」



 クライマックスを迎え、意味ありげなキリング・リッチのセリフに息を飲む美緒。美緒から少し距離を置いて座っているボーイ・エーは、どこか冷淡な眼差しを舞台に送る。


 舞台上、しばらくの沈黙が、タテオカとキリング・リッチを覆う。キリング・リッチは、タテオカの疑問に答える形で、厳かに、自らの動機を口にする。



「この街の腐敗。それは魂の堕落だ。貧者から資産家は富を奪い、悪びれる様子もない。拝金主義一色で街は染まった。そこに神の声は聞こえない」



 そのセリフを聞いたボーイ・エーは、半ば舞台に興味を失っていたにも関わらず、キリング・リッチに同意するかのように力強く頷いた。一方美緒は深く舞台の虜となっている。


 タテオカは、黙ってキリング・リッチの言葉に耳を傾ける。狂気めいた動機を明らかにしたキリング・リッチは、なおも声高に叫ぶ。



「私は象徴的人物を狙った。この街の腐敗の。人々を堕落せしめた拝金主義を一掃するために」



 立ち尽くすタテオカは射るような瞳でキリング・リッチに尋ねる。



「面白い。それが自分の使命だったとでも?」


「その通りだよ。タテオカ。私は審判をくだしていたんだよ。神の名を借りて。そう。資産家を根絶やしにすること。それは私の使命だったんだよ」



 その気狂いじみたセリフにボーイ・エーはどこか感心している。それはボーイ・エーがタテオカにではなく、キリング・リッチに共鳴している証のようでもあった。美緒はボーイ・エーの心情、彼の仕草に表れる感情の機微などには、一切気づかずに、両の拳を握りしめる。



「タテオカさん」



 美緒がそう口にしたその瞬間、舞台に雷鳴が轟き、キリング・リッチの顔が、はっきりと照らし出される。その顔を見て、多くの事件をこなしてきたであろう、さしものタテオカも狼狽える。



「何て、ことだ。キリング・リッチ。連続殺人犯が大司教の息子だったとはな。ジト・ラモ」



 「ジト・ラモ」。その不穏で不気味な名前の響きに、美緒は身震いさえ覚える。キリング・リッチ、いやジト・ラモは満面の笑みを浮かべる。



「私を知っているとは光栄だよ。タテオカ。最後に私の審判がくだされるのを見届けるといい! 神の名を借りた偽善者、父ギド・ラモの息子に死がもたらされることによって!」



 ジト・ラモ。通称、キリング・リッチ。タバタが冒頭予想した通り、彼は狂気の確信犯だった。彼は、この街の魂の腐敗を押し留めるために、資産家殺しを繰り返した。最後に自分自身に制裁を加えることで、連続殺人劇に幕を降ろそうとしている。


 ジト・ラモは先のセリフを言い放つと、短銃をこめかみにあてる。たまらずに駆け出し、タテオカは叫ぶ。



「やめろ! ジト!」



 ジト・ラモは多大なるカタルシスを感じ、恍惚とした表情で涙ながらに喚く。



「世界は浄化され! 私は行く! 神の寵愛を一身に受けて!」



 次の瞬間、弾丸はジト・ラモの頭を貫いた。キリング・リッチ、自殺。それと同時に今ここで、資産家連続殺人事件は終わりを告げた。犯人、ジト・ラモの死によって。


 美緒は興奮の余り、言葉を失っている。だがやはりボーイ・エーだけは、劇とはやや感情を切り離して、舞台を眺めている。


 舞台では後日談が繰り広げられる。タバタがタテオカに話しかける。



「キリング・リッチ。彼の言葉、少しは的を射ているとは思いませんか? 確かにこの街は拝金主義に染まってしまった。それに!」



 キリング・リッチの強力な洗脳力と思想に半ば染まってしまったかのようなタバタの言葉を、タテオカは遮ると、ゆっくりと背伸びをする。



「やめておけ。俺達の仕事は、犯人を捕まえることだけだ。行くぞ。タバタ」



 タテオカは、キリング・リッチのシナリオを止められなかった悔しさを、少し口元に滲ませると、警視庁の階段をのぼっていく。タバタも慌ててタテオカを追いかける。



「待ってくださいよ! タテオカさん!」



 こうして舞台、「シルク」は終わった。幕が降り、客席は拍手で埋め尽くされる。客はみな、カタストロフィーに酔いしれているようだ。


 美緒も、我を忘れるくらい拍手をしてみせる。美緒は柄にもなくこんな賛辞の言葉を舞台に送る。



「良かった、良かった! ブラボー! ブラボー!」



 するとその美緒の隣で、手を控えめに叩いていたボーイ・エーが、朴訥と感想を口にする。



「面白かったですね。美緒さんも楽しめましたか? 何度か話しかけたのですが、応えてはくれませんでした」



 美緒はようやく我に帰り、慌てて取り繕う。



「そ、そうだったんですか? すいません。面白かったみたいです。熱中してた、のかな?」



 ボーイ・エーは、大切な客人を持て成せたこと自体には納得しているようだった



「それは良かった。では帰りましょう。カーテンコールが終わる頃には、通路が混み合いますから」



 舞台の余韻に浸っていたい美緒だったが、ボーイ・エーに促されては仕方なしと、特待席をあとにする。カーテンコールが行われ、スタッフ、キャスト一同に送られる歓声が、美緒の耳にも届いていた。舞台での最後の締めくくりに後ろ髪引かれる思いがありながらも、美緒は急ぎ足、ボーイ・エーについていく。


 美緒の心には凄絶な、タテオカとキリング・リッチのやり取り、一騎打ちの様子が焼き付いていた。



「凄かったぁ」

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