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ボーイ・エー 3

 薙と美緒、そしてボーイ・エーが軽食を少し口にすると、しばらくして、小柄な少年がボーイ・エーに歩み寄り、耳打ちをする。小柄な少年は目つきが病むように鋭いが、ゲルティモの組織に教育されているのか、その仕草にはそこはかとない気品がある。


 美緒が見る限り、どうやらその小柄な少年より、ボーイ・エーの方が上役にあたるらしい。少年の話を聞いたボーイ・エーは、立ち上がると、申し訳なさそうに薙に伝える。



「薙さん。すみません。ゲルティモさんは、今夜の要件。賓客席にて二人きりで話したいそうです」



 その提案を聞くと薙はすかさず尋ねる。



「美緒は?」



「私が、ガルトォを案内するように、とのことです。ガルトォに悪いイメージばかり持たれるのは、ゲルティモさんの本意ではないのでしょう。私が美緒さんのことは責任を持ちますよ。薙さん、ご安心ください」



 薙は、その話に異を挟むことなく納得したのか立ち上がる。



「それなら、仕方ない。美緒。君はボーイ・エーと一緒にガルトォの街を歩いて回るといいよ。彼は信頼出来る男だ。安心していい」



 美緒はそのアイデアに両手を上下させる、半ばコミカルな動きを見せて、思わず慌てふためく。



「ちょ、ちょっと待った。薙。私、薙が傍にいるからどうにかなってるんだけど」



 薙は美緒のユーモラスな動きを目にして、楽しかったのか、口元に笑みを浮かべると、美緒を落ち着かせる。



「大丈夫。この街の本質は純粋。誰も美緒を傷つけないよ。きっとね」


「ちょ! ちょっと!」



 まるで打ち捨てられた子猫のように、薙に手を差し伸ばす美緒を置いて、彼は小柄な少年と一緒に賓客席の方へ歩き去っていく。



「待ってよ! 薙!」



 不安一杯の美緒は一目もはばからず、そう大声あげるも、薙には届かないままだ。するとボーイ・エーが、ナプキンで口元を拭い、優しげな笑顔を見せる。



「美緒さん。それでは行きましょうか。恐らく、ゲルティモさんと薙さんの話は四、五時間に及ぶでしょうから」


「そんなに!?」



 驚いて口が塞がらない美緒に、ボーイ・エーはこれからのプランを話して聞かせて、彼女の気持ちを鎮める。



「何。大丈夫です。僕と一緒に楽しいひと時を過ごしましょう。『シルク』という舞台を観に行くんです。素晴らしい歌劇ですよ。そのあと、ガルトォの観光地を案内致します」



 「シルク」。その不思議で奥行のある響きに、美緒は、さっきまで動転しきりだったのも忘れて、瞬く間に魅了される。「観劇」。ガルトォの殺伐とした街並みに、豊潤な文化の趣きをも期待していた美緒は、妙に冷静になり、ボーイ・エーと一緒に立ち上がる。



「行きましょうか。ボーイ・エーさん」



 ボーイ・エーは美緒の変わりっぷり、現金なところを見て微笑むと、美緒に合わせる。ボーイ・エーは几帳面な男のようで、美緒の座っていた椅子をテーブルの奥に仕舞うのを忘れない。美緒はその振る舞いを見て、ボーイ・エーが相当、組織にマナーを仕込まれたであろうことが分かった。


 ボーイ・エーは美緒をエスコートして、ディマソーの裏口から駐車場へと歩いていく。ディマソーの店員は皆、ボーイ・エーの顔馴染みのようで、彼を足止めする者は誰一人としていない。


 ボーイ・エーの築き上げた地位に感心する美緒。その美緒は美緒で、ガルトォに不慣れなイメージを拭えないまま、ボーイ・エーについていくしかない。美緒は心の内で、挙動不審にも見える自分の動きを自覚して、苦笑いするしかない。


 美緒とボーイ・エーが訪れた駐車場。ディマソーの裏口から地下へと降りたそこは、賓客しか利用を許されていないようで、高級車しか停まっていない。ボーイ・エーはその内の一台、黒塗りの車に美緒を連れて乗り込む。


 ボーイ・エーが来るのを待ち侘びていた運転手は尋ねる。



「シルクですか?」


「ああ。よろしく頼むよ。ガルトォで客を持て成せる場所は少ないからね。いいですか? 美緒さん」



 ボーイ・エーに訊かれて、美緒は恐縮するだけだ。



「はい。充分です。それに特別気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ」


「それは随分控えめな心持ちだ」



 ボーイ・エーが、そう洒落っ気を漂わせて呟くと、車は走り出した。車は、ディマソーから出発して、大きな交差点を二つほど、通り抜けると、ほどなくして劇場につく。その間、美緒は自然体を取り繕うので精一杯だったので、ボーイ・エーとの会話はほとんどなかった。


 ボーイ・エーに手を連れられて、車を降りた美緒は、劇場の造りがガルトォに不釣り合いなほど豪奢であるのに驚く。清潔で、耽美な装飾。その劇場は、ガルトォの隠れた「美意識の高さ」を表しているようにも美緒には思えた。


 美緒は、ボーイ・エーに案内されるがまま、赤い絨毯の上を歩いていく。劇場のスタッフは、ボーイ・エーを見ると、それがさも当然であるかのように、彼と美緒を特待席へと案内していく。



「ボーイ・エーさん。随分慣れた様子だなぁ」



 美緒がそう思いつつも連れてこられた特待席。それは二階席の個室だった。そこからは舞台を一望出来る。その景観の美しさは目を見張るほどだ。眺望の雅やかさにうっとりと見惚れる美緒は、個室にある調度品の数々にも深く魅了されていた。


 美緒は下手に調度品に触って、壊したりしないよう、両膝に両手をついてじっとする。すると緊張しっ放しの美緒を見兼ねたのか、ボーイ・エーが洗練された物腰で、双眼鏡を美緒に手渡す。



「美緒さん。これで舞台を観てください。それともう一つ。手厚い持て成しに遠慮する必要などありません。何かあれば私達が保障します」



 美緒はそう諭されても、何だか不釣り合いな場所に自分がいるようで、頭を軽くさげるしかない。



「はぁ、どうも」



 美緒は、ボーイ・エーの持て成しの心に感嘆していた。貧乏性の美緒が考えることなど、ボーイ・エーにはすぐに分かるらしい。ボーイ・エーの鋭い観察眼を前にして美緒は少し恥ずかしくもある。


 美緒が不慣れな環境や、状況に適応出来ないもどかしさを持て余している間に、開演時間は容赦なく近づく。やがて幕があがると、舞台が始まった。美緒は心を集中させて、とりあえずは両掌を合わせるとこう念じるしかなかった。



「あたふたしても仕様がないでしょ。美緒。ここは楽しみましょう。存分に」


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