表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/50

幻想世界 3

 美緒は、幻想世界の濃厚な体験のせいで、しばらく頭がぼんやりとしている。だが授業が終わると、気持ちを入れ替えて一つのアイデアを思い立つ。それは薙との旅のこと、ナナリスのことなどを大海に打ち明けるというものだった。すぐには信じてはもらえないかもしれないが、ここまでナナリスの干渉が続き、危険を感じていた美緒は誰かに相談した方がいいと考えていたのだ。


 協力を仰ぐなら、親身になる時には親身になってくれる大海しかいないとも美緒は確信する。それともう一つ、美緒は、大海と一緒なら、「失われていく現実の魅力」、「薙の夢に魅了されていく心情」を解き明かし、乗り越えられるとも思っていた。


 美緒は、いつも大海が自転車を停めている空き地に腰を降ろして、彼を待つ。美緒は大海の自転車に少しだけ背を預けると、ぼんやりと空を仰ぎ見る。


 青い空には白い雲がゆったりと流れていく。白い雲は時に太陽を覆い隠し、陽の光を遮った。


 一瞬途絶える陽の光。白い雲は透き通っている。美緒は雲を眺めながら、イメージを膨らませる。暗雲に飛び込む、薙と美緒を乗せた「孔雀」。その先に垣間見える青空。その空は美緒に託された「小さな自由」にも似ている。


 薙と美緒の「小さな自由」を道しるべにする旅。その旅が、時間が、経験が薙と美緒の二人にとってどれほど大切で、貴重か。それは美緒には分かっていたが、「夢世界」に入り込み過ぎるのが、彼女は危ういのも知っていた。揺れる心。そのバランスを取るために、大海が美緒には、今、必要だった


 口をうっすらと開けて、空を仰ぎ見る美緒。するとその彼女に話しかける声が聞こえる。意外とあっさりとしていて、淡々とした声。心身ともに健康そのものの声の主。それはまさしく大海だった。大海は不思議そうに美緒に歩み寄る。



「何だ。羽々根か。何してる。俺の自転車に何か用か?」



 美緒はイメージの世界から抜け出すと、マジマジと大海の顔を見つめる。余りにひたむきで、思い詰めた美緒の視線に、大海はたまらず怪訝な顔を浮かべて、冗談を口にする。



「何なんだよ。気持ち悪いな。俺の『美しい顔』がそんなに珍しいか? なぁ、羽々根。俺とお前はただでさえ仲を疑われているんだから、あんまりまとわりつかない方がいいぞ」



 美緒が見つめる大海の顔。決して色男ではないけれど、どこか愛嬌があって優しい。決して美形ではないけれど、人当たりが良さそうだ。美緒は大海の顔を見つめなて徐々に感極まってしまう。



「大海って、どこか薙に似てる」



 大海は性格も、容姿もそれとなく、旅を始めた頃の薙に似ている。初めて会った時から好きだった大海。今でも、時に険がありながらも親切にしてくれる大海。優しく鷹揚でもある大海。


 大海との思い出が想い起され、美緒は気が付くと、感情がピークに達して、彼に抱きついていた。大海は激しく狼狽えて、顔にも赤みがさす。



「おい! 何だ。やめろって。何考えてんだよ! お前は!」



 大海は恥ずかしさもあって、美緒の体を引き離す。



「一体何なんだよ? 何かあったのか?」



 美緒は相変わらず夢現な印象だ。大海が、美緒の取った咄嗟の行動を持て余していると、彼女の頬に、涙が滝のように零れ落ちる。大海は慌てふためいて、美緒の両肩を今度は自分から揺する。



「何なんだよ。いきなり抱きついたり、泣き出したり。どうした? 羽々根。ワケをしっかり言ってくれよ」



 美緒は大海の頼みに応えられず、ただただ泣きじゃくるだけだ。大海は困り顔だ。



「なぁ。一体何があったんだよ。正直に話してみ? 泣いてるだけじゃ分かんないって」



 美緒はようやく冷静さを取り戻したのか、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら話を始める。だがその中身は纏まりがなく、初めて聞く大海には意味が分からない。美緒は瞳にハンカチあてながら訴える。



「あのね。『夢』がどんどん大きくなっちゃって。『現実』がしぼんでいくの。消えちゃいそうなんだ。だから、私、どうしたらいいのかって」


「はぁ?」



 大海は美緒の正気を疑う。抽象的すぎる言い分をいきなり理解しろというのも無理な話だろう。大海が眉をひそめて必死に美緒の心情、言わんとするところを理解しようとしていると、美緒はもう一度大海に抱きつく。



「どうしよう! 薙!」



 いい加減、大海の戸惑いも、若干の苛立ちと話を整理したい気持ちに取って代わる。



「待てよ! 『薙』って誰だよ!? 今日のお前、全っ然ワケわかんねぇぞ! もちっと話をまとめてくれ。何があったんだ?」



 美緒は涙を堪えきれなかったが、どうにか気持ちを鎮めて、自分の身に現在起こっている出来事を、一つ一つ丁寧に大海へ話していく。「全て」は分かってもらえないはず、と前置きした上で。


 美緒は、薙の夢世界。そこでの薙と美緒の旅路。ナナリスの妨害。そして今一番大切な「現実から失われていく魅力」について、極控えめに話した。すると大海はしばらく黙り込み、口元に手をあてがうと言葉を捻り出す。



「『薙』、『孔雀』、『ナナリス』」



 大海は神妙な面持ちを見せたかと思うと、今度は笑いを押し殺す。



「クッ、ククッ」



 それにはさすがの美緒も憤る。



「ちょっと! 大海! それないんじゃない!?」



 大海は笑いを堪えながら、何とか弁解する。



「イヤ、悪かった。悪かったよ。でも何を悩んでるのかと思ったらそういう話か。大丈夫。『夢と現実』につながりなんて何もないし、思い込みだって」



 話をさらりと受け流した大海に、美緒はつい口を尖らせる。



「人が折角打ち明けたのに、小馬鹿にして終わり? それってヒドクない?」


「だってさぁ」



 からかい半分の大海。どうやら彼は美緒の話を真に受けるつもりはなさそうだ。だが大海はもう一言何かを言いかけて、不意に表情が変わる。



「羽根……。ナナリス。羽根を纏った? 羽根!?」



 大海は、そう口にするや否や、思い付いたようにポケットから、孔雀の羽根を取り出す。それは以前美緒の体に付着していて、大海が記念にと持ち帰ったものだった。大海が沈痛な面持ちで見つめる羽根は、七色の輝きを放っていて現実のものとは思えない。光を放散する羽根を見た大海は、ここにきてやっと美緒の話を信じるつもりになったらしい。



「これが、そうか?」



 美緒は身を乗り出して羽根に触れる。



「そうだよ! これ! ナナリス。彼女の羽根だ! これで私の話も!」


「信じるしかない」



 そう話を理解したとなると大海は積極的だ。美緒の抱えた問題を解決するために、次々とアイデアを出していく。大海は、美緒の右肩に手をあてて真剣な表情を見せる。


 美緒と大海は話し合い、まず夢から現実への介入があった時は、すぐに大海に助けを求めること。ナナリスの干渉が過ぎる時は、家族、警察にも保護を求めることなどを、取り決めていく。大海は右掌をあげる。



「でもこれだけじゃ十分じゃないな。今日みたいに時間が止まってしまうこともあるんだろ?」


「そう」



 美緒が首を縦に振ると、大海はドキリとするアイデアさえ告げる。



「羽々根、ナイフか何か持っていた方がいいかもしれない。もしもの時の。護身用だ」



 「ナイフ」と聞いて、美緒は戸惑うものがあったが仕方がない。本当にいつどんな危険に晒されるか分からないのだ。美緒は大海の提案を受け取る。



「ナイフ。分かった」



 大海は、優しく美緒の肩に、もう一度触れる。



「多分、俺に出来ることは限られてる。その『薙』って子に助けを求めるのもいい。だってその子は、ナナリスって女が、現実に干渉しているのも知っているんだろ?」


「うん」



 美緒が頷くと、大海は薙の存在を半ば疎みでもするかのように、少し吐き捨てるニュアンスで、口にする。



「ならそうした方がいい。旅の責任はそいつにあるんだから」


「分かった」



 美緒は、大海の薙への心証が少し悪くなってしまったのが、どこか悲しかったが、全てを打ち明けた安心感からか、自然と笑みも零れる。大海。見かけによらず頼りになる男。普段はふざけてばかりだが、いざという時は決断力のある男。


 大海の本当の姿に、あらためて触れることの出来た美緒は、心の底から安心する。



「良かった。大海に話して」



 大海は用事が済んだのを確かめると、早々と美緒と距離を置く。一緒にいるところを見られるのを、極力避けようとしているようだ。大海は急ぎ自転車に跨り、美緒を落ち着ける。



「まっ、俺って、何も期待出来ない、あてにもならない男だけどな。理解者がいるといないとでは色々変わってくるって」



 大海は、自転車を漕いで、美緒から離れていく。そのはずだった。だが彼はふと振り返るととても寂しげで、切なげな顔を浮かべる。大海の口にする言葉が美緒の胸を打つ。



「羽々根、羽々根の心の置き場はどこにあるんだ? 現実に魅力を感じなくなるとして、『夢世界』とより深くつながるとして、お前は俺達のことを忘れてしまうのか? 笑顔の思い出も。涙の記憶も。何も彼も夢世界の彼方に消えちゃうのか?」



 美緒は、大海の詩的でさえある問い掛けに、心が激しく揺れるのを感じる。だが無理をして、強がった笑顔を浮かべるしかない。



「そんなこと、あるワケないじゃん。忘れるワケないじゃん」



 美緒の作り笑顔を悟ってしまった大海に、彼女は俯いてもう一度ぼそりと零す。



「私は、大海達のことを忘れやしない」



 美緒のその姿を見て、美緒の本心が分かったのか、大海は少し気持ちが楽になったようだ。いつもの底抜けに明るい笑顔を見せる。



「良かった。それ聞いて安心したよ。心地いい夢からは中々抜け出せないからな。夢って中毒性の『媚薬』のようなものだから」



 最後の、大海の気取った物言いに、美緒もつい微笑む。



「気取ってら」



 大海は美緒の笑顔を確かめると、自転車で走り去っていく。大海の後ろ姿を見送る美緒は、穏やかな心持ちで満ち満ちていた。帰路に着く美緒は、雲が晴れた空に、煌々と輝く太陽に両手を伸ばす。



「大海。ホントに『大きな海』だね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ