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不条理都市 3

 美緒が一瞬だけ瞳を閉じて、胸元を抑えると、美緒と薙の二人はT字路に差し掛かる。薙は、さも面白味を見い出したかのように、右手をT字路の左右にそれぞれ伸ばしてみせて、美緒に訊く。



「右と左。どっちに曲がった方がいいと思う?」



 突然の質問にやや当惑する美緒。美緒には薙の意図するところが今ひとつ分からない。とりあえずは「当たり前」のことを口にする。



「えっ? そりゃ知人宅のある方でしょ?」



 美緒が口元に手をあてて、答えると薙は笑う。



「そう。みんな、そう思うよね。でもこの都市の仕組みは違う。選んだ人の意思次第で、建物の場所まで変わってしまうんだ。ここで僕達が選んだ道の行く先に目的地はある。丁度箱を開けるまで、猫が生きているか、死んでいるか分からない、『シュレディンガーの猫』のようにね」



 美緒は、薙の口にしたことの半分は意味が分からなかった。ただ、薙がこの都市の「不可思議」に、ある種の酔狂を見出しているのが分かった。


 危ういことこの上ない、この都市の秘密が、人の想像力をかき立て、心を解き放ちでもするのだろうか。美緒の漠然とした不安を、大らかに包み込むべく、この不条理都市は存在していた。


 美緒が心を決めてT字路を右に曲がり、しばらくすると、数多くある奇妙な建物の中でも、「一際」変わった構えの建物に美緒と薙の二人は辿り着く。それはモスクにも似た屋根を持ち、曲がりくねった装飾が施された邸宅だった。その邸宅の装飾性、デザインは美緒に絶妙の調和美をも感じさせる。


 美緒が仰ぎ見た目線の先。邸宅から不自然なまでに突き出たバルコニーは捩じれている。ひさしは落ちくぼみ、屈曲している。薙は心弾む様子で、その景観を愉快がる。



「ディットルベルガー。また建物に手を加えたらしい。それとも僕や美緒がそう望んでいるから、そう見えるだけなのか。真実は定かではないけどね」



 薙は、美緒を惑乱させもする解釈をすると、本の詰まったバッグを改めて持ち直し、邸宅の呼び鈴を鳴らす。美緒は正直心が休まらず、気が落ち着かない。そんな美緒にも一向に構わずに薙は物事を進めて行く。


 呼び鈴は澄みきった心地よい音を響かせる。しばらくの沈黙のあと、呼び鈴の音に応じたのか、無機質な声が薙と美緒、二人のもとに届く。この声の主が先に薙が口にした、薙の親友、ディットルベルガーなのだろうか。何やら声の響きは冷ややかで、諸手をあげて歓迎という印象はない。声の主は儀礼的な趣きさえ漂わせてこう告げる。



「門を潜り、十メートルほど中庭を直進したあと、左折。突き当たりの扉を開き、屋内へと入るように」



 とても友人を持て成す態度、指示、口振りに思えなかった美緒は、警戒して少し背中を逸らせる。だが一方の薙は、声の主の勧めに快く頷き、美緒を連れて中庭へと足を踏み込んで行く。



「ちょ、ちょっと!」



 薙に手を優しく連れられて行く美緒は、危機感が先に立ったのか、薙にそう呼びかけずにいられない。一方の薙は薙で美緒を安心させるよう、微笑を浮かべた視線を一度だけ送る。美緒は薙の合図にも似た振る舞いに一先ずは気を鎮める。


 中庭に進むと、薙は花壇に植えられた花を、不作法に踏みにじって歩いていく。その荒々しい所作に慌てた美緒が、花を少しでも整えようとすると、次の瞬間には、傷ついてしまった花はしぼんで消えゆき、その場所から新しい花が芽吹いてくる。


 美緒は、不可解極まりない出来事の一つ一つに戸惑ったが、薙は気にも掛けていないようだ。美緒は気持ちを落ち着かせようと、薙の手を思わず握る。しばらくの沈黙の行路にも耐えられなくなった美緒は、薙に尋ねずにはいられない。



「ねぇ、薙。さっきの人がディットルベルガーさん? 知り合いを迎えるには随分、冷たい印象がしたけど」



 美緒は、恐らくはこの邸宅の主であろう、薙の親友、ディットルベルガーを快く思っていない。その証拠に美緒の瞳には、猜疑さいぎとも、忌避感ともいえない陰りが差している。薙は美緒の懸念を振り払うように、カラカラと乾いた声を立てて笑い、間違いを修正する。



「違うよ。美緒。彼はディットルベルガーの執事、テノゼリだ。一見無礼にも見えるが、充分に礼節をわきまえた人物だよ。僕達を懇切丁寧に持て成してくれるだろうね」



 加えて薙は、疑念で一杯の美緒の心をケアするのも忘れない。彼女の心持ちを慮る。



「花。びっくりしただろう? 折角綺麗に咲いていた花を僕が踏みつぶして。でもこの邸宅の植物は変わっていてね。古いものが無くなれば無くなるほど、より美しく、環境に適した花々が芽吹くんだ。面白いだろう?」



 美緒はつい顔をあげて先の庭園の方を振り向く。そこではたしかに元より美しく、手入れされた花々が咲き乱れている。美緒はこの不思議な街、建物の構造、仕組みに驚きながらも、薙も実はこの不条理都市の仕掛けを、少しではあっても持て余しているのでは、とも思った。だから、美緒は自分がこの都市では非力だとは知りながらも、薙に伝える。



「薙。私に出来ることがあったら、その時は遠慮なく頼りにしてね」



 薙は美緒の気遣いに心底感謝したようだ。彼は右手を軽くあげて微笑む。



「その時は、そうするよ」



 やがて建物の突き当たりに着いた薙と美緒は辺りを見回す。だが奇妙なことにテノぜリに指示された場所なのに、扉らしきものは見当たらない。


 美緒は扉を探して二、三歩、薙から離れると建物の壁面を調べる。その様子が薙には微笑ましく映ったのか、彼は一言「美緒」と呼びかけると、一部分だけ赤褐色に染まっていた壁を柔らかく、右手で押す。赤褐色の壁は隠し扉だったようで、押し開かれた扉の向こうには通路が奥へと続いている。


 この邸宅はまさにからくり仕掛けの邸宅だった。ディットルベルガーの趣味嗜好に合わせて様々な仕掛けが施されている。美緒は、その奇妙さに畏怖にも近い感情を抱きながらも、薙に連れられて足を通路に踏み出していく。


 美緒は戸惑いからか、たまらずに薙の手をもう一度握る。薙も美緒を安心させるかのように、優しく握り返す。その薙の手の温もりに、包容力に、美緒は格別の安心感を覚えた。


 薙と美緒、二人の歩く通路はY字路に向かって、一直線に伸びている。暗がりの中を歩いていく二人にテノゼリの起伏のない声が届く。



「男性は右へ。女性は左へ行かれるのがよろしいかと」



 その言葉を聞いて、美緒は瞬間的に嫌な予感に襲われ、薙の肩にそっと手を振れる。薙は美緒の心情が分かったのか、彼女に少しだけ振り向いて、穏やかに諭す。



「平気だよ。美緒。何も心配ない」



 薙の余裕たっぷりの気遣いに、美緒はつい恥ずかしくなって、顔を一瞬だけ伏せた。その美緒の様子を見ても薙は、特段何も感じていないようだ。彼の意思は、強い鋼ででも出来ているようでもある。


 Y字路に二人が辿り着くと、薙は平然とした様子で美緒に別れを告げる。淡々とした薙を見て、慌てふためいた美緒は、両手を胸元で幾度か回転させて、彼に呼び掛ける。



「ちょ、ちょっと待った。薙。私、物凄く不安なんだけど!」



 薙は美緒の気持ちを補うかのように、笑って左掌をあげる。



「左の通路を行くといい。そのあとは、テノゼリの指示に従えば万事OKだよ。安心していい」



 薙は、半ば我を失う美緒を差し置いて、右側の通路をすたすたと歩いていく。取り残された美緒は、意を決して自分自身を奮い立たせる。両腕を勢いよく、地面に向かって振り下ろす。



「ええい! 何なんだ! ディットルベルガーってのは! よっぽど変わってるのね。人の心を手玉に取るのが趣味だなんてさ!」



 半分気合いを入れるかのような言葉を美緒は口にすると、彼女は薙のように淡々と指示をこなす心持ちに変えた。美緒はもうどんな仕掛けが目の前に現れようとも、驚かないと心に決める。



「さぁ。かかってきなさい!」


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