不条理都市 2
美緒の願いをその船体に刻み込むかのように、「孔雀」の航行は続き、やがて船体の前方には奇妙な建物の一群が現れる。
建物の一つは階段が逆さに作られていて機能性がない。またその一つは、ガラス張りの建物の屋上付近に扉が据え付けられており、どこから入るのかが分からない。それらはまるでだまし絵のように、トリックが仕掛けられているかのようだ。
建物のほとんどは銀色の塗装がされていて、ただでさえ冷たい印象のある街並みに、無機質さ、血の通わない無情感を与えていた。
「不思議な場所」
美緒が吐息混じりに零すと、「孔雀」は街の中心から少し離れた平原に着陸する。この都市にはエアポートとでもいうべきものがないようだ。だが同時に先の平原のような、船を停泊させるに相応しい場所も、確保されている。そのことから察するに、来客を拒否しているわけではないらしい。
薙は「孔雀」の船体がゆっくりと動きを止めたのを確認すると、「孔雀」の奥から、古びた本を山と詰め込んだバッグを抱えてやって来る。本は今にもバッグから溢れ出そうだ。詰め込まれた本はよほど薙が読み込んだのか、色褪せ、ところどころページが破れている。
薙はその本の数々を愛おしげに見つめて、美緒に伝える。
「この都市には僕との再会を待ち侘びている人がいてね。その方は読書家なんだ。彼は人が読んでいる本で、その人物の気持ちまで察してしまう。そういう方なんだよ」
「気持ちまで? それってスゴくない?」
美緒が確かめるように、感嘆を交じえて零すと、薙は嬉しそうにバッグを抱えあげる。
「だからその人と会う時には、お気に入りの本を持っていくのが通例になっているんだよ」
「通例」。その言葉を聞いて、美緒は少し引っ掛かったのか、思わず薙に尋ねる。
「『通例』って、この街に来るのは初めてじゃないの? 薙」
薙の答えはいつも軽妙な語り口だ。
「そう、初めてじゃない。結構頻繁に来るんだよ? この前来たのは十数年前だったかな」
十数年前。薙を少年と思っていた美緒には意外な数字で、当然計算が合わない。美緒は眉間に皺を寄せて尋ねる。
「十数年前? 薙、あなた一体何才?」
その手の質問は、薙には聞き慣れたもののようだ。彼は笑って答える。
「『この世界』では時間に縛られることはないんだ。その人の心掛け次第で老人にもなれるし、少年にもなれる。自由なんだ。だから、『年齢』という考え方は存在しないんだよ」
「そう、なんだ」
これもまた一つ謎めいた、不思議な事実を前にして、若干美緒は口をつぐむ。人型機械都市ボルワナといい、あちこちに点在する光の源といい、そして今しがた聞いた薙の話といい、この夢世界は、目を見開かせられる仕組みに満ちている。アメイジング。美緒は服の襟元を力を込めて握ると、その幻想性に一興を見い出し、薙のあとをついていく。
薙は「孔雀」から降りて、街へと歩みを進めている。美緒と薙は、不可思議な街並みの奥へとひたすらに踏み込んでいく。
奇妙な造りの建物が並ぶ街で、ただただ薙のあとを追うしかない美緒は、一瞬、背後に人の気配がしたので振り返る。薙は前を見据えてひたすら歩いたままだ。一方美緒の見据えた先には、ナナリスの、肖像画にも似た横顔が空に映し出されていた。
ナナリスの瞳は寂しげで、深い憂愁が滲んでいる。美緒が彼女の切なげな表情を見て、たまらずに「ナナリス?」と呼びかけようとするや否や、一際強い風が吹いて、ナナリスの横顔は音もなく、儚げに消えた。
「ナナリス。何か、胸を突く」
美緒はわけも分からずに、言葉では言い表せない、ナナリスへの同情心で胸が締め付けられていた。美緒の心の片隅で眠る「何か」に彼女は似ている。その「何か」が分からずとも、美緒は一面ナナリスに深い共鳴を感じていた。
薙と美緒が足を運んだ街の中心部では、整備されているはずの道が曲がりくねり、複雑に交差している。先のボルワナ同様、人の気配はほとんどない。
むしろボルワナの方が、デザートがいた分、活気があったようにも美緒には思えた。この街では、全ての「目に見えるモノ」が、掴みどころがなく、リアリティに欠ける。
車道を横切る女性を、ワーゲンが擦り抜けていく。ネオンサインが建物から落下したかと思うと、元の場所に戻る。また、階段をのぼった紳士服の男性が、今度は階段の裏を降りてくるといった具合に。
これらの情景は美緒を戸惑わせるに充分だったが、薙は一切動じず、彼いうところの「知人宅」を目指している。美緒は、非現実性に満ちた光景の数々に気味の悪いものも感じて、思わず薙に尋ねる。
「ねぇ、薙。この街、何だか変じゃない? 気が変になりそう。まるで、ピカソの絵の中にでもいるみたい」
薙は、美緒が抱いている違和感を、全く感じていなかった。全ての光景は、美緒にとっては不思議でも、薙にとっては当たり前で、極々日常的な光景でもあり、彼は不自然には全く思っていなかった。薙は美緒の心情を気遣う。
「怖いかい? 美緒。確かにこの街の光景は、人を動揺させるに充分だ。でもその背後に、何かしらの規則性があると気付けば、慌てる理由などなくなるんだよ。むしろその絶妙の仕組みに驚きさえするんだ」
美緒は、まるで哲学者のような物言いの薙に若干戸惑った。薙の今の語り口、中身は彼が完全な「子供」ではないのを表してもいた。
美緒は、胸に静かに左手をあてて、今この瞬間芽生えた、寂しげな気持ちを覆い隠す。
「薙は……、大人、子供、どっちなんだろう」
美緒は、薙が「若さ」でも「成熟」でもない、微妙な立ち位置にいるのを敏感に感じ取っていた。それは薙と美緒。この二人の旅に何か関わりがあることなのだろう。人は成長し、変わっていく。それは一面寂しいことだが、仕方なくもある。「成長」、「変化」。それこそ、この薙と美緒の旅の目的の一つなのか。
美緒は痛々しくも切実なその事実に、心の奥深くを小さな針で刺されたかのように、胸に留めて置く。
「薙。胸が、痛いよ」




