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不条理都市 1

 美緒が薙との再会を胸に期して目を覚ますと、千羽が美緒の肩を揺さ振っている。美緒がベッドで横になる簡素な部屋は、幻想性に満ち、鮮やかな色彩を放つ、薙との旅とは対照を成している。


 千羽が枕でじゃれるように、美緒の体を軽く叩いている。



「お姉ちゃん、早く起きてよ。今日、私の出掛ける服、選んでくれるって言ったでしょ?」



 目をこすりながら、寝ぼけ眼で美緒は考える。何せ濃厚な夢を見たあとだ。多少の疲れもあった美緒には、この日、「今日」が何か特別だった日であったことに気が付かない。じれったそうに「もう!」と両拳を振り下ろす千羽を見て、ようやくのこと美緒は思い至る。



「そうだった! 今日、父の日!」



 美緒はそう声をあげるなり、気だるい体を起こして服を着替える。千羽に両手で背中を押されて階段を降りた美緒は、食事もそこそこに支度を済ませると、母の麗奈とともに、ショッピングモールへと向かった。


 「父の日」のプレゼントを買いに来たお客で溢れる店内で、麗奈はネクタイを、千羽は自分の小遣いからハンカチを一枚と、実用性のある商品を選び、会計をあっさりと済ませる。


 美緒は美緒でふとフラリと、父の日記念セールコーナーから抜け出す。するといつの間にか、美緒は小物コーナーに来ていた。天使の置物や、小象のアクセサリーが美緒の目に映る。どこか童話風で、柔らかみのある世界。人間風にカリカチュアされたネズミが優しく美緒に微笑みかけている。


 美緒は、戯画化されたネズミを見るにつけ、薙の夢世界に住むIT長者、ジョニー・ステファーのことを思い出す。



(このネズミ、ステファーさんにそっくり。こういう的外れなプレゼントをする娘ってのも茶目っ気があっていいよね)



 閃きにも似た感情が芽生えた美緒は満面の笑みを浮かべる。すると美緒のあとをついてきたのか、千羽が美緒に呼びかける。



「さっすが、お姉ちゃん、父の日のプレゼントにもサプライズを用意するんだね」



 千羽の一言で美緒の意思は固まった。「よっしゃ、決定。妹よ、ナイスアドバイス」と、美緒はガラス細工のネズミの置物を買った。


 その晩の食事時、美緒達三人は、それぞれ父、浩一へプレゼントを贈る。麗奈からはネクタイ、千羽からはハンカチ。そして美緒からはステファーならぬネズミの置物。



「はい。お父さん。これ私からのプレゼント」



 使い道の分からないネズミの置物を貰って、正直、浩一は面食らっていたが、美緒の遊び心が通じたのか、満面の笑顔をも見せる。



「どうも、みんな。プレゼントありがとう」



 家族団欒の穏やかなひと時。美緒の一工夫したプレゼントにも喜んでくれた父の浩一。だが美緒は心和む時間、心浮き立つ時間であったのにも関わらず、どこかそれが「色褪せて」見えるのも微かだが感じ取っていた。



 それは濃密な夢世界での経験が影響しているからだと知りながらも、美緒はそのことを胸の奥深くに一先ずは沈める。


 美緒は自室に戻ると、先に芽生えた不思議な感情について思いを巡らせる。薙との旅は、美緒の心情を徐々に朗らかにしているが、その余りに彩り鮮やかな世界の魅力に美緒は虜となり、少しだけだが現実世界への興味が薄れているのだ。少し驚いて自分の口を塞ぐ美緒に訪れたそれは、薙との旅の思わぬ副作用でもあった。


 美緒は気持ちに少し陰りが差し、心閉ざす一面があったが、ここは一つ「今日だけだろう」と美緒は呟くと薙との旅に気持ちを向ける。


 薙との旅はどこを目指しているのか、いつまで続くのかも分からないが、大きな「喜び」をもたらしてくれているのはたしかだ。だから美緒はとりあえず「副作用」らしき感情について目をつむり、薙との旅は終わって欲しくないと勝手気ままに、自由な気風のまま思っていた。


 課題をこなし終えた美緒は早速ベッドに入ると、薙との旅の再開を心待ちにする。薙は中々の好男子だし、悪い奴ではない。何よりも薙との旅が終わらない限り、カナデとの思い出にも似た経験を数多く出来ると思うと、美緒の心は弾む。


 美緒は、半ば薙との旅、薙の夢世界の魅力に溺れるようにして、期待に胸を膨らませながら眠りへと落ちて行く。


 美緒は少しずつ夢の世界に入っていったのだろうか。現実とは違う肌触りを彼女は感じる。それと同時に何だか美緒の額の辺りが冷たく、濡れている。「冷たい。湿り気がある」そう訝しむ美緒の意識はまだ鮮明ではなく、はっきりとしない。


 「薙の夢に戻って来れた、のかな」。そう胸の内で呟いた美緒は、ゆっくりと瞼を開く。するとそこは案の定「孔雀」の甲板の上だった。額の湿り気の正体。それは薙が親切にも美緒の額に乗せていた濡れタオルだった。美緒は上体を起こすと、タオルを額からどける。



「薙?」



 「孔雀」の舵を握っている薙は、目を覚ました美緒に気が付いたのか、美緒の心持ち、体調を気遣ってくれる。



「起きたかい? 美緒。少し気を失っていたみたいだ。僕の夢世界では心身ともに大きな労力も必要とするらしい。疲れてたんだね。きっと」



 薙の優しい気配りと介抱を前にして美緒は少し、気恥ずかしさを感じながらも立ち上がる。ぼんやりと淡い想いを抱えながら。



(この旅、ホントに終わって欲しくない)



 美緒の視線の先、ハミングしながら、舵取りをする薙を彼女は見つめると、少し気になっていたことの一つを、ぼんやりと思い出す。それは旅の当初から美緒の心に引っ掛かっていた物思いでもあった。美緒は薙の心情、淋しさ、あるいは心の強さに想いを寄せて行く。



(薙って独りぼっちなのかな? 両親は? 兄弟は? 友達は? いないの?)



 美緒の目に映る薙の横顔、憂いげでありながらも、たくましい彼の横顔を見るにつけて、美緒の薙へのシンパシー、共鳴とでもいうべきものが高まっていく。



「薙が孤独じゃないのが、私一人のお蔭だったら、もう少し助けてあげよう」



 胸が引き裂かれんばかりの切なさに覆われた美緒が見上げると夜空は、遥か遠方で途絶えて、そこから青空につながっている。


 交差する夜空と青空。空の色合いのコントラストとでもいうべき眺め。それは不自然な光景のはずなのに、美緒は何の疑いもなく、青空へと飛び込む「孔雀」へと身を委ねる。美緒は、最早この夢世界においては、何が起きても、どんな情景が目の前に開けようとも不思議はないと捉えていた。


 夜空と青空の境目へと近づいていく「孔雀」。孔雀は夜空の領域から脱すると、青空の只中へと航行していく。「青空って、久し振りだ。太陽の陽も」、美緒がそうふと口から零すと、薙の表情に、みるみるうちに明るさが増し、赤みが差した。彼は陽気に口にする



「次の目的地まであと僅かだ。そこは不思議な造りの建物だらけの街でね。その内の一つの主人が、僕達を歓迎してくれるはずだよ」



 薙はその「主人」のことを思い浮かべたのか、心楽しそうに笑う。青空を前進する「孔雀」は陽射しを一身に浴びて、船体を静かに揺らす。


 薙が冷静に舵取りをしているのに安心した美緒が顔を上げると、空には、陽射しの源、薙との旅で、初めて目にする太陽が眩しい光を放っていた。薙はまた一つ、この夢世界での謎解きをするように、太陽を仰ぎ見ると、淡々と、だが清々しげに口にする。



「今まで、太陽がなくて光はどこから差し込んでいるのかと気にもなっていただろう? だけどこの『夢世界』は不思議な謎と神秘に満ちていてね。光の源はそこかしこにあるんだ」



 そう不可思議な言葉を口にした薙はあちらこちらを指さす。



「ほら、あの雲にも。僕の掌にも。そして美緒の胸の内にも。光はそこかしこから差し込んでいるんだよ。太陽だけが、ただ一つの光の源ではないんだ。この世界ではね」



 そう繙いてみせる薙は、とても気持ちが良さそうだった。光の源は一つではなく、あちらこちらに潜んでいる。その不思議で面白味のある話を聞きながら、美緒はまたふと気付く。



(んっ? 何だか薙の髪が前より少し伸びたみたい)



 美緒はより落ち着きを持ち、紳士然とした振る舞いを見せる薙の、かつての言葉を振り返る。



「僕の姿は、見る人の心持ちが投影されている」



 それは、美緒にはとても意味深く、彼女の心に強く響いて、胸のどこかを針で一刺しするする痛みを伴うようでもあった。見る人の心持ちが薙の姿には「投影」される。「ならば」と美緒は薙とともに次の目的地へと向かう「孔雀」の進む先を見据える。



「私は、成長して、少しずつ自分から遠のいていく薙を求めているんだろうか。薙がこの気ままな旅を終わらせて、離れ離れになるのを求めているんだろうか」



 美緒は、淋しさで胸が締め付けられるようでもあったが、「多分、そうなんだろう」と瞼を伏せて、思い巡らせる。「薙が自分から遠ざかる。そして自分自身も大人びた薙を求めていく。それは多分現実世界でも私が変わっていく、印」。そう確信めいた気持ちを手に入れると美緒はまた、それはそれでいいとも思っていた。


 「大人になっていく」。一人の人として避けられない道、課題が美緒の前にも開けているのを彼女は切に感じ取る。それはまるで美緒一人ではコントロール出来ない「強い力」がこの旅を牽引している証のようでもあった。


 「孔雀」は旅を続ける。ナナリスのこと、ヒューマンバード、そしてこの旅の行く先について、何かの意味があることを仄めかせて。美緒は胸へ刻むように服の胸を両手で強く握り締める。



「きっと、この旅の先に二人は『何か』を、探し出す」

 


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