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心理介護型 カナデ 3

 薙の冷徹でさえある口調。突然詰め寄られて、機嫌よく振舞っていただけのカナデも戸惑い気味だ。



「カナデ、よく分かんない」



 怒りを押し殺した様子の薙を、美緒はベンチから立ち上がり、慌てて宥める。



「薙。何をそんなに怒ってるの? 私が頼んだの。カナデちゃんは悪くないのよ?」



 薙は美緒の言葉にも構わずに、強く握り締めたカナデの手を払いのける。カナデは勢い余って前につんのめる。



「うわぁ」



 薙の乱暴な扱いに、美緒も当惑せざるを得ない



「ちょ、ちょっと待った薙。この子は何もしてない。それこそ彼女はプログラム通り、人の心を分析してただけ。それだけでしょ?」



 美緒の必死の説得にも、薙は冷たく凍ったような瞳で言葉を返すだけだ。



「それが、いけないことだと言うんだ。人間の本心、深層心理、その何れも分析出来たからといって、誰も幸せになれはしない。見えてくるのはグロテスクで、邪悪なものだけかもしれない。だから都市全体で回収したんだ。それなのにまだ残っているなんて。ボルワナの怠慢だ」



 薙の凍てついた面持ちは変わらない。激しい口調で吐き捨てると、薙は美緒の手を引っ張る。



「行こう。美緒」


「う、うん」



 美緒は何か薙に言い返そうとしたが引かざるを得ない。薙が怒るのには相当な理由があるらしい。薙は心理介護型デザートを快く思っていない。


 美緒はカナデとの別れが惜しくもあったが、今は薙と美緒、二人の旅の方が大切だと知っていた。そのことだけはたしかだ。だから美緒は口をつぐむ。


 「それに」と美緒は思う。この旅は「私だけ」のものではなく、「薙と二人」のものだと。薙のパートナーでもある美緒一人の意向で、夢世界の事情を詳しく知っている彼の意思を挫くわけにも行かない。


 すると薙に連れられるまま、彼のあとを追おうとする美緒の手に、カナデが小さなレンズのついた機械を握らせる。カナデは自分が傷つけられたことを、大して気にも掛けていないように笑う。



「じゃあね。羽根ちゃん。私のことをいつか思い出して、心の謎を繙きたくなったら、この機械を使ってね。それじゃあ」



 そう告げるとカナデは無邪気に、弾むように街の外れに駆けだして行く。美緒はカナデを寂しげな瞳で見送ると、薙に早足で追いついた。


 薙は今までになく不機嫌だ。薙は冷たく言い放つ。



「全く、本当に。人間の行動原理を明らかにしようなんて。不快なデザートだ」



 美緒はただただ、薙のあとをついていくしかない。薙に僅かばかりの反発心を抱きながらも、それは胸の奥に覆い隠す。


(なぜ? どうして? どんな理由で? 何があったから? 本当は心理介護デザートって?)


 幾つもの疑問符が美緒の心を駆け巡るが、彼女は口を閉ざして薙に引き連れられていくだけだ。


 美緒と薙の二人は、約束していた喫茶店での休憩もそこそこに、エアポートの滑走路に戻り、「孔雀」に乗り込む。その間中、薙は冷厳な面差しを崩さない。


 滑走路に着いた薙はデザートと渡航証の確認をする。デザートは、「了承しました」と一言だけ告げると立ち去って行く。美緒はプログラムに準じるだけのデザートに幾何いくばくかの孤独感を、それが幻想であれ見出していた。


 薙と美緒の二人が乗り込んだ「孔雀」を薙が稼働させると、「孔雀」はふんわりと空へと舞い上がる。離れて行くボルワナの景観が妙に寂寞せきばくとした印象で美緒の目には映る。「孔雀」はそんな美緒の物思いも置き去りにして、サーチライトが照らし出す、暗雲へと漕ぎ出していく。


 立ち込める暗雲は薙の心象の険しさと、この旅がただの名所巡りなどではないのを表しているようでもあった。


 「孔雀」で運ばれる美緒は、カナデのことがあったせいで、軽く口を閉ざすと、膝を抱えて甲板の片隅に座る。美緒は少し塞ぎ込んでもいるようだ。あれほど楽しく、心地よくもあったカナデとの「心の分析」が否定されて、美緒は言いようのない辛さ、悲しみを覚えていた。


 薙は薙で「孔雀」が軌道に乗ると、操縦をオートに切り換え、美緒の隣に立つ。薙は先にカナデを粗雑に扱ったことを悔いてはいるらしい。少しその瞳には憂いげで儚い灯がともってもいる。


 薙は美緒に何も言わず、何も訊かず、何も尋ねなかった。薙自身、カナデに冷たくしたのを深く省みてでもいたのだろうか。それともそうせざるを得なかった「事情」を疎んでいるのだろうか。


 薙の瞳は悲しげでいながら、強い決意に満ちている。どんな淡い想いも、感傷をも撥ねつける強い気持ちで支えられていた。


 「カナデのことより二人の旅の方が大切」。先に美緒は確かにそう思った。それなのに、やはり美緒は尋ねずにはいられない。薙の血色がよくなり、顔色が落ち着いたのを見計らうと、決心した美緒は薙に訊く。



「薙、あのデザート、カナデちゃん。心理介護型デザートはそんなに良くないの? 心を分析するのはそんなに危ないこと?」



 薙は美緒に質問されることを覚悟していたようだ。この種の質問なら隠し立てする必要もないとも彼は感じているらしい。美緒の問いに、薙は一拍置いて答え始める。だが相変わらず顔は冷たいままだ。



「心理介護型デザートは、都市ボルワナが、没落した理由の一つでもあるんだ」


「ボルワナの没落」



 「かつて繁栄していた」ということだけを知っていた美緒は、「没落」という言葉の持つ意味合い、穏やかならざるイメージを前に口元を手で覆う。動揺に近い感情を抱いている美緒を差し置いて、薙は「孔雀」の前方を見据える。



「ボルワナの住民はまるで中毒にでもなったように、過去や思い出の分析に没頭した。その結果、ただでさえ怠慢であった彼らは都市を放棄するまでになったんだよ」



 美緒はボルワナがどのようにして衰退していったかを耳にするにつけ、薙がカナデをあそこまで嫌悪した理由の一端が分かった思いでいた。美緒は「孔雀」に吹き込む風を手で遮りながら、たまらず悲しげに瞼を伏せる。



「放棄するまでに。ボルワナの人達には心理介護型デザートは、害でさえ、あったのね」



 薙には揺るぎない信念があるようだ。彼の基軸はぶれない。薙は切なげに、だが凛として頷く。



「そう。そして『都市管理局』が介護型デザートの廃棄を指示した時は手遅れだったというわけだ。ボルワナの住民は本当かどうかも分からない自己分析に溺れて、次々と都市をあとにした。これがどういう意味か分かるかい? 美緒」



 突然訊かれて、ボルワナの没落という事実だけでも、衝撃を受けていた美緒は答えあぐねる。



「えっ? どうなんだろう。それって、過去に、とらわれるということ?」



 美緒の咄嗟に口に出したにしては、抜群の閃きに薙は満足げだ。



「その通り。人の進むべき道は未来にしかない。過去、現在、未来の繋がりはあるとしても、決して過去に後戻りは出来ないんだ。それなのにボルワナの住民は、その事実を忘れてしまった」



 薙はそう口にしながらも、ボルワナの住民を責めたり、軽蔑したりする気配はない。淡々と一つの都市の失敗。一つの試みの失敗を憂いているようだった。薙は首を優しく横に振り、左掌を軽くあげる。



「だから、その原因を作った介護型デザートは、忌避すべきなんだよ」



 記憶を辿り、想い出に溺れることで未来が閉ざされる。美緒は薙の言うべきところが分かってもいた。だが美緒は躊躇いながらも、カナデとの経験から得た感想を口にせずにはいられない。



「でも、何て言うか。カナデちゃんと過去を思い返していくと、何かこう、心のしこりが解けていくような、そんな心地よさがあったんだけど。それは、間違っているの?」



 薙はあくまでも冷静だ。動じる気配はない。心理介護型デザートの問題については、薙の心の中では既に決着がついているようだった。



「間違いかどうかは分からない。ただ心理介護型デザートが人間にとって余り有益ではなかったというだけだよ」



 厳格でさえあった薙だが、一通りデザートの危険性について話したある種の安心感からか、一瞬だけ薙はヒューマンな温かさを垣間見せる。



「僕だって、思い出を振り返ることで、未来が開けるならそうしたい。でも、多分そうならないし、それではいけない。過去にこだわらず、未来から差し込む光だけを頼りに進んでいきたい。僕はそう思っているんだよ」



 美緒は強く風の吹き抜ける「孔雀」の外に視線をやると、この力強くありながらも、どこか凍ってしまったかのような、薙の切なさで覆われた心情を解きほぐしたい、そして出来るならば彼の心持ちに歩み寄りたい、近づきたい、と考えていた。


 実際、美緒は薙の旅の目的をまだ知らない。だが美緒が薙の「旅の共連れ」になったからには、何か理由がきっとある。「だから、薙に近づきたい」。両掌を合わせて、口元にあてる薙に、美緒は視線を戻すと、心を込めてそう感じていた。


 美緒が決意するのとすれ違うように、「孔雀」の横。雷鳴の轟き渡る場所を、鳥が群れをなして飛び去って行く。その光景を目にして、美緒は不意に、思いがけず、詩的に薙へこう語りかけていた。



「答えを探してるんだね。薙、あなたが進むべき未来の」



 薙の返事は心強く逞しい。



「そう。僕は未来を探しているんだ。例えそれが徒労、失敗に終わったとしても、決して間違いじゃない。だから、そうしてる」



 美緒は薙のその言葉を聞いたきり、黙り込んでしまった。美緒はひたすら物思いに耽る。薙の心情を慮りながら。



「薙。彼は一体何を抱え込んでいるんだろう。何が薙の心を強くしているんだろう」



 美緒は暗く俯きがちな気持ちを抱えながらも、二人の旅の行く末に、明るいイメージを馳せようとする。すると美緒達二人の旅路の果てに、光を放つ青い星が輝いているようにも美緒には思えた。


 その星は虚空に浮かぶ地球にも似て、美しく、美緒を心の底から充足させるに十分だった。


 すると青い星のイメージの彼方から光が射しこみ、遠くから美緒に呼び掛ける声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。ませていて、どこか人懐っこい声。

 その声は千羽のものだ。美緒が声のする方を振り向くと、次の瞬間、薙との旅の情景は霞み、消え行き、美緒の心と体は、現実の世界へと戻っていく。美緒の一面切実でさえある言葉を夢世界に残して。



「薙。またきっと、会えるよね」

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