心理介護型 カナデ 1
美緒は力強く胸に言い聞かせると、薙とともに寂寞として、無機質な印象さえあるマーケットをあとにする。薙は、美緒がデザートの振る舞いと考えに感じ入るところがあったのを知ってか知らずか、彼女に伝える。
「これから渡航手続きの更新に行って来る。美緒はそこの公園で休んでおいてよ。すぐに戻るから。戻ったらどこかの喫茶店にでも入ろう」
美緒は、勝手の分からない街のど真ん中に、一人取り残されるのは少し不安だったが、「私も子供じゃない」と少し気負って薙の勧めに応じる。美緒は、今しがたデザートを見て、デザートと話をして、自由とは何かについて考えたばかりだ。彼女は自由には責任と代償がつきものだなどと、少し無理して自分に言い聞かせもしていた。
「それに」と美緒は街を見渡す。この街には美緒に何の危害も加えないデザートしかいないのだ。薙以外の旅人と出逢う可能性も微かにあるが、このボルワナの静けさからすると、早々旅人も訪れないだろうことが分かった。その二つを確認すると美緒は安心して、薙の乗り込んだタクシーを見送る。
すると薙が立ち去ったのを見計らったのか、時、交差するように美緒の目の前に、たくさんの羽根が舞い落ちると、一点に集まる。羽根の集合は徐々に人の姿に成り変わり、そう、ナナリス。彼女の風貌と顔貌を形作る。
「ナナリス!」
そう大声をあげると、畏怖して後ずさりする美緒だが、ナナリスは今、美緒を襲うつもりはないようだ。彼女はこう一言だけ美緒に告げて、跡形もなく消えて行く。
「束の間の休息。穏やかな薙とのひと時。それは私と薙だけのものだよ。お前なんかには決して渡さない。決して」
「待って! ナナリス。私は薙を奪おうだなんて考えてもいない。それにあなたは!」
美緒の懇願するような質問を遮るように、ナナリスは元の散り乱れた翼と成り変わると、風に運ばれ、去っていった。
呆然とする美緒は、未だにナナリスの意図、狙い、思うところが分からなくて、戸惑う一方だ。ナナリスが薙に執着しているのは分かる。そして美緒に嫉妬心に近い感情を抱いているのも。だがその嫉妬心のよって来たるところが、美緒には皆目見当がつかない。
「薙を渡さない?」「私と薙だけのもの?」。美緒はナナリスに畳みかけられた言葉を反芻して、考え込めど答えは出ない。取り敢えずは、薙の気を煩わせないために、ナナリスが現れたことは伏せていようと、美緒は心に決めていた。
ナナリスの来訪で、胸の鼓動が少し早くなっていた美緒は、気を鎮めて公園に足を運ぶ。美緒は、高まる動悸を落ち着かせて、買い物袋を両手にベンチに腰掛ける。
ナナリスのことが気に掛かりながらも、ほっと一息つく美緒。紅葉の美しい木々が生い茂る公園の眺めに美緒がうっとりしていると、その彼女の隣へ不意に、顔立ちの整った可愛らしい少女が座った。
美緒は不思議がる。「この街には今デザートしかいないはず。この子は人間の子かな? それとも子供型のデザート?」。美緒は訝しみながらもその子の顔を覗き込む。黒く長い髪の光沢が美しい少女は心の底から「幸せ」を噛み締めている。そんな印象だった。美緒は、フリルのついた服を着た少女に尋ねる。
「あなた、人間の子供? それともデザート?」
少女はあどけない表情で、品よく振る舞う。
「お姉様、この街にはデザートしかいなくってよ。だから私もデザートなコトよ。私は束の間の休息を、楽しんでもらうために派遣されたコトよ」
美緒は少女の一風変わった口振りに微笑ましいものを感じる。
「『派遣』って、どこから?」
美緒の素朴な疑問に、少女型デザートは首を傾げる。
「うーん、わかんない」
どうもこの少女は他のデザートと随分雰囲気が違う。感情が豊かだし、受け答えもどこか曖昧だ。まるで未完成のデザートのようで、何かが「欠けて」いる。本当の人間の少女にも似て、気まぐれで気ままな印象さえある。
美緒は、人間味が溢れ、あどけなさががまだ残る少女に、大きな興味を持つと、両足を楽しげにブラブラと揺らす彼女に問いかける。
「あなた、名前は? 何だか他のデザートと違うね。どうして?」
その質問に、少女は寂しげな表情を見せて、口元を拭う。
「名前は、ない。製造番号F-RZTF1302」
デザートは製造番号で管理されている。名前による人格の分け隔てさえされていない事実に、美緒は一瞬言葉を失い、少女に謝る。
「……そう。何だか悪いこと訊いちゃったね」
美緒がしんみりしていると、少女は突然ケタケタと声を立てて笑いだす。
「なーんてね。古いSFじゃあるまいし、製造番号でデザートを区別するなんてないコトよ。名前? 名前はちゃんとあるコトよ。名前は『カナデ』。よろしくね。お姉ちゃん」
「なっ!?」
美緒は軽々しく嘘をついて人を欺く少女、カナデに呆気にとられながらも、他のデザートとは機能や役目、もとい「人格」が明らかに違う様子の、彼女の愛らしさに惹きこまれて、挨拶を返す。
「よろしく。カナデちゃん」
カナデは、少し神妙な面持ちになると、「他のデザートと違うね」という先の美緒の疑問に答えていく。その表情は逞しさと憂いの狭間にある。
「私が他のデザートと違うのは、私が心理介護型デザートだからなコトよ。私は人の心をケアしてあげることが出来るコトよ。だから私には『豊かな感情』が与えられたコトよ。それで……、うーん。忘れちゃった」
カナデの途絶えがちで、記憶を辿り辿り説明するような話が終わると、美緒とカナデの二人は何を喋るでもなく、しばらくベンチで隣り合った。大きくて広い公園の片隅にあるベンチに、ポツリと人影が二つ。それはとても詩情に満ちた光景だ。
公園に吹き込む風は秋風のような優しさと温もりがあり、二人をノスタルジックな感傷へと誘っていく。
それにしても「心理介護型デザート」とは不思議な響きだ。役割もカナデの説明によると一種趣きが違っている。美緒は、カナデへ大いに魅了されて、彼女の白く透き通った肌の横顔を覗き込む。
口角をあげて、満面の笑みを浮かべるカナデは不思議なデザートだった。難しい専門用語を使ったかと思うと突然会話が途絶えてしまう。彼女の心は、移り気で気ままで、自由奔放な少女のそれそのもののように、美緒には思えた。
カナデは明らかに他のデザートとは違う。美緒がそう改めて感じていると、彼女は急に美緒の手を優しく握る。
「それじゃあ、心の探訪を始めましょうね」
柔らかく、温かい肌触りの持つ手でカナデは、美緒の右手を握りしめると瞳を閉じる。するとカナデと美緒の胸から一筋の光が伸びてきて混ざり合う。光は仄かなセピア色をした球体になり、球体は何かの映像を映し出していく。
美緒は恍惚としてその映像に魅入られてしまう。
「どこか、懐かしい」