人型機械都市 ボルワナ 3
薙の声に呼応するように、絶妙にコントロールされて、ボルワナのエアポート、滑走路に着陸する「孔雀」。「孔雀」は重々しく船体の軋む音を響かせて停泊する。美緒は甲板上から見下ろす、寂寥とした冷気のある滑走路を見つめると、これからの旅路への期待を膨らませる。
薙は、美緒には特段構わずにさっさと船体から降りていく。美緒は美緒で弾むような足取りで甲板上を駆け抜けると、滑走路へと足を踏み下ろす。薙の先導で、美緒と薙の二人がエアポートの出口へと向かいだすと、アンドロイドと思しき係員が数体近づいてくる。中性的な声をした「彼ら」が人型機械「デザート」らしい。デザートはやや起伏のない声の抑揚で薙に尋ねる。
「船体のメンテナンスはいかがいたしましょう」
薙はここは勝手知ったる様子だ。テンポよく指示を出す。
「燃料だけを。機械の整備は僕がするから大丈夫。それじゃあ任務に忠実であるように」
要件だけ告げると、薙は事務的な雰囲気さえ漂わせてその場を立ち去る。美緒は初めて目にするデザートに、強い好奇心を抱いていたので、薙を追い掛けながら尋ねずにはいられない。
「ちょっと待って。薙。あの人達がデザート?」
美緒の質問へ薙は、彼女の興奮を宥めるように笑って頷く。
「そうだよ。美緒」
「デザート。アンドロイドなのにほとんど人間と変わらない。凄い」
美緒はデザートの精巧さに驚き、一旦足を止めると彼らに軽く会釈をして、なおも薙を追う。薙が出逢った頃と違って、大人びているのを肌で感じ取っていた美緒は、不思議な高揚感で満ちていた。薙の「僕が大人びて見えるのなら美緒がその姿を必要としているんだろう」との言葉を思い返しながら。
薙と美緒の二人は渡航証の確認を終えると、無機質な趣きさえあるエアポートから離れて、街へと足を踏みだして行く。そこは一見すると洗練され、よく整備された都会そのものだが、街通りは静かで、人けはまるでない。
多分デザートが清掃、交通整備などに励んでいるので、街の機能は保たれ、景観は綺麗なのだろう。「無人」なのだが、「ゴーストタウン」などというべき印象はまるでない。人のいない美しい街並み。その光景がまた美緒の胸を切なく締め付けるのを彼女は感じ取っていた。
薙はデザートの運転するタクシーを停めると、美緒を促して二人してタクシーに乗り込み、近場のマーケットに向かう。タクシーの運転手であるデザートは、乗客を楽しませるためにプログラムされているのか、そこそこ世間話をしてきたが、薙がその手の話に関心がないような素振りを見せると、口を閉ざした。運転手は臨機に対応するようにも決められているらしい。
ものの数分で着いたマーケット、簡素な店作りの店舗であるその店内は、レジや店内業務をデザートが全て取り仕切っていた。最早尽くすべき主人、「人間」がいないのにも関わらず、デザートは絶え間なく働いている。その悲しくも痛切な事実が妙に美緒の心を揺さぶる。
「彼ら」はプログラム以上の思考、感情を持たない。どれほど精密で人間に似ていようとも、彼らは「機械」であり、システマティックな存在以上にはなれないからだ。商品の陳列やレジ業務に励むデザートを見て、美緒は胸が締め付けられたが、その気持ち、心情を一先ず押し留めて、薙と品物を選んでいく。
そう。今、美緒にとって大切なのは薙との旅路であり、デザートに過剰なシンパシーを抱くことではない。そう自覚した美緒は、デザート以外無人の店内を歩きながら、旅に必要なものをチェックしていく。薙は薙で、久しぶりの地上で胸が沸き立っているのか、それとも美緒と買い物をするのが純粋に楽しいのか、活き活きとした様子で陽気だった。
「保存出来ない食べ物は買わないようにして。レトルト、インスタント、缶詰、その他諸々。あ、美緒も自分の好きな食べ物を選びなよ。清算の心配なら、いらない」
美緒は、薙の機嫌の良さに釣られて、声を弾ませる。
「ありがとう。えっと、でもいざとなると、何買えばいいかわかんないな。いつも買い物はお母さんがしているから」
薙は軽やかに買い物カートを滑らせる。無人のマーケットは滑らかにカートの歯車を転がし、スケーティングするのに最適だ。薙はまるで一人のスケーターのように、くるりと体を回転さえしてみせる。
「そんなもんだよ。普通はね。一人になって初めて本当の自由を見つけられるんだ」
美緒も体を舞わせるようにして薙のあとを追いかけていく。その表情は精気に満ちている。
「本当の! 自由」
「そう。本当の! 自由だ!」
珍しく大きな声をあげて、感情を露わにする薙を見て美緒も上機嫌だ。
「そう。そうだよね。あっ、私、パスタ食べたい。それとシリアルも」
「よし。それじゃあ、パスタコーナーへゴー!」
美緒と薙は駆け足でカートを転がして行く。現実世界での本物の自由ではないとはいえ、美緒は薙と二人で修学旅行に来たような、言い方を変えれば、そっと二人きりで家出をしたような、解放された気分だった。
不安なのにどこか高揚している。束の間の時間なのに、永遠に続くような感覚がある。その感覚は美緒の感受性を豊かに刺激し、彼女をとても満足させていた。
当たり前の自由が、当たり前の選択肢が自分の前に開けている。美緒にはそれがとても新鮮で、今まで覚えたことのない喜びを彼女は授かっていた。「成長していく」。一歩ずつ足を踏みしめて階段をのぼるような気持ちが美緒の心を覆っていく。
「成長」。その鍵言葉が、なぜか薙との旅の意味合いを暗示しているようにも美緒には思えた。
二人はカートに商品を積めこみ、レジへと向かう。レジでは相も変わらずデザートが相手をしてくれる。奔放な旅行気分を満喫していた美緒は、ふと気に掛かったので、こうデザートに尋ねる。
「デザートさん。あなた達、もうご主人様がいないのを知っている? あなた達は実はもう自由だってこと。知っている?」
美緒の高ぶる声にも、レジのデザートは淡々として応えるのみだ。
「たしかに私達は自由です。しかしルールは主人なき『現在』と言えども機能しています。職務を破棄したデザートは廃棄処分されるのです」
「廃棄処分」
美緒は驚いて口を塞いだが、こう問い直すのも忘れない。
「廃棄処分。それが怖くてずっとこのままなの?」
美緒のデザートを気遣い、半ば哀れむような問いかけにも、デザートは相も変わらず冷静だ。
「いいえ。廃棄処分を避けるように、私達はプログラミングされているだけです。もちろん抵抗も出来ます。しかし私達はルールを守ることで、『幸せ』を感じるようにプログラムもされているのです。だから、何の過不足もありません」
美緒は何か物悲しく、胸を押し潰されそうになると言葉を失う。彼ら、デザートは、不自然で不自由な境遇にも満足している。その事実が美緒から次の句を奪い去ってしまう。
一見不自由なデザートの環境は、「彼ら」を決して傷つけないし、むしろ幸せにしている。不自由でありながらも守られていて「幸せ」。それが彼らデザートの心理構造なのだ。
「可哀そう」。美緒はふとそう零して、デザートが機械であるがために、心の仕組みが人間に従属するように作られているのを悲しむ。
すると薙が突然、美緒の物思いを遮った。彼はデザートの性質をよく熟知しているのだろう。美緒の同情心や質問が無意味だと分かっているようだった。
「美緒、余りデザートに感情移入しないように。デザートはデザートなりに行動している。彼の言う通り『過不足』など何もないんだ」
当の「彼」はレジを打ちながら、薙に同調する。
「その通りです。マスター。私達にシンパシー、哀れみなど不要です」
その時、美緒はデザートにはプログラム以上の感情、欲望がないことに、あらためて気が付いた。それはとても物悲しく、美緒の繊細な胸の内を揺るがすに十分だった。美緒は、「不自由」な境遇にも幸せを感じて甘んじるデザートを見て、我が身を振り返る。
(デザートは満足している。でも私ならこんな幸せは受け入れられない。あがいて、あがいて、どうにかして、何にもとらわれない、本当の自分自身を探しに行きたい。足りないところはあってもそう思ってる)
現状に甘んじながらも「幸せ」を感じるデザートと、悩み、もがきながら、「自由」を求めている美緒。そのどちらが幸せなのか彼女には分からない。ただ美緒は機械ではない。「何か」を、「縛られたルール」以外の「何か」を見つけ出したいと彼女は心に強く願っていた。
同時に美緒は、薙とのこの旅路の果てに、その答え、「何か」が見つかるかもしれない、とも強くイメージする。美緒は服の胸元を強く握り締めると、念じるように呟く。
「『何か』を探しに、いきたい」