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翼の生えた女性 1

 気が付くと、美緒はいつの間にか「孔雀」の甲板上にいた。「孔雀」は空の上を旋回し、乱気流を避けようとしている。「孔雀」の舵を懸命に操っているのは薙だ。稲光の迸る最中、彼は美緒に向かって叫ぶ。



「美緒! 手伝ってくれ! スゴイ風だ! 一人じゃ抑えられそうにない!」



 薙がひたむきに船体を操舵し、難所を乗り切ろうとする姿に、美緒は激しく心を動かされて、現実世界で何を考えていたのか、薙に何を尋ねようとしていたのかを、一先ずは先送りにすると、薙の頼みに応じる。


 吹き荒れる風は、二人の体を倒してしまいそうなほど凄まじい。美緒の服は風に猛々しくも煽られ、彼女は今にも倒れそうになりながら、甲板に力強く足を踏みしめて、舵をしっかりと握る。


 美緒は舵に強い力を感じる。「孔雀」の船体に吹き付ける風は容赦がない。ふと美緒が見つめた薙の横顔は真剣そのものだ。薙は舵を大きく東へ切る。



「この困難を乗り切れば二人はきっと『何か』を見つけられる」



 美緒は、薙が口にした暗喩とも取れるような、逞しい言葉を拠り所にして、薙と二人で何とか「孔雀」を暴風域から逃れさせようと舵を握る。


 風は未だに荒れ狂うようでやまない。暴風域からも孔雀はまだ逃れられそうにない。その時、薙は前方に一筋の光を見つけたのか、この状況に希望を見い出したようだ。



「美緒。今から『孔雀』の速度を上げるよ。一直線に突き進み、この暴風を乗り切ってみせる!」



 そう薙は力を込めて宣言すると、舵の下部に設けられたレバーのようなものを右手で素早く降ろす。すると「孔雀」のプロペラは轟音を響かせて、回転速度を上げていき、「孔雀」は猛スピードで、渦巻く風の中を直進して、見事乱気流から離脱した。


 「孔雀」は穏やかな気流に乗って、夜空の上をゆったりとしたスピードで前進している。先までの船体の軋み具合、重々しい振動が嘘のようだ。


 甲板には涼しげに穏やかな風が吹き込んでくる。美緒が見ると窮地を脱した心地良さからか、緊張から解放されたからか、薙は心地よさそうにハミングしている。その薙の姿を見て美緒は、「ああ、私は夢の世界に戻って来たんだ」と不思議な安心感を覚えると、薙とシンクロするかのように清々しい思いを堪能する。


 一通り休息を終えたあと、美緒はやはり胸に引っ掛かっている疑問を薙に訊いてみようと心に決める


 疑問。そう。それはあの翼の生えた女性のことだ。そしてもう一つ。謎めいたヒューマンバードの話。美緒は、薙が落ち着きと元ののんびりとした気性を取り戻したのを確かめると、両掌を軽く広げて彼に尋ねる。



「ねぇ。薙。翼の生えた、不思議な女性のことについて何か知ってる? あと、ヒューマンバードっていう名前とか。曖昧だけどゴメン。そんな話のこと」



 薙はその二つのキーワードを聞いて、少し表情に陰りが差したが、すぐにいつもの快活な顔に切り替える。美緒に余計な心配をさせたくないという気配りか、それとも彼特有の悪戯心を働かせるつもりなのか。とにかくも薙は、美緒の質問に答える。



「そうか。美緒はその二つのキーパーソンにもう触れたんだね」


「知ってるのね!? 薙」



 思わず身を乗り出さずにいられない美緒を前にして、薙はやはり美緒のことを思ってか、軽く口元に人差し指を立てる。



「うん。知ってるよ。でも今は内緒」


「知ってるのに、教えてくれないの? 私、困ってるのに」



 そう頼み込んでふてくされる美緒の心情を気遣うように、薙は彼女に歩み寄る。舵取りは、今はオートにでもしているのだろうか。「大丈夫」。そう言って薙は美緒の肩に触れる。美緒は薙の心遣いでとにかくは落ち着いたのか、薙に舵取りのことを尋ねる。



「舵は? 薙」


「んっ? 舵なら自動操縦に切り換えた。余程のことがない限り、自動でも対応出来るんだぜ」


「へぇ、そうなんだ」



 そう感心する美緒は、「孔雀」の仕組みはよく分からないし、多分説明してもらっても理解出来ないだろうけど、「便利だね」とだけ一言言葉を添える。薙は、美緒が焦って、急かすように羽根の生えた女のことと、ヒューマンバードのことを質問する気配がないのを知ると、湯気の立つマグカップを美緒に差し出す。



「何?」



 マグカップの中身を覗き込む美緒を見て、薙は怪訝そうに掌を広げる。




「『何?』ってホットココア。体、温まるよ」


「……ありがとう」



 不意に薙が見せた優しさに心ほだされて、マグカップを受け取った美緒だが、この前、薙が言った言葉を思い出す。



「人の善意を少しは疑えよな」



 美緒の体からさっと血の気が引いていく。



「ということは! この飲み物もただのホットココアではない!? タバスコか何かが入っているとか!?」



 ホットココアを口にするのをためらう美緒を見て、薙は不思議そうに右目だけを見開く。自分のホットココアを飲む薙の声は優しげだ。



「どうした? 美緒。飲まないのか? アツアツの内にのんだ方がいいぞ」



 薙の優しい気遣いにも関わらず、なおも遠慮がちな美緒を見て、美緒が何を躊躇しているのか薙は気付いたようだ。



「何だ。俺を疑ってるのか。大丈夫。普通のココアだよ。毒なんか入ってないから、安心して飲みなよ」



 その薙の言葉で、美緒の疑念もようやく晴れてきたのか、彼女は一口ココアを口に含む。ココアの香りと味わいが、美緒の体中に広がっていく。



「あぁ、美味しい」



 美緒は少し控え目に、上目づかいで呟くと、次の瞬間には畳みかけるように薙に言ってのける。



「だってさ、薙が『人の善意を少しは疑え』なんて言うからさ。それに薙って、どこか信用出来ないし。勘繰っちゃった」


「そっか。疑っちゃったか。俺のこと」



 薙はそう口にしながらも美緒に勘繰られたこと自体は、気にも掛けていないようだ。だけど少し寂しげにも感じ取れた薙の様子を見て、初めて美緒は彼に頭を下げる。



「ゴメンね。ありがとう」



 薙は「いいよ」と一言言うと。「孔雀」が航行する夜空の星をゆったりと眺める。薙は何も言わず、何も口にしなかった。美緒は熱々のココアがじんわりと体中に染み込んでいくのを感じる。


 ヒューマンバード。翼の生えた女性。その二つは確かに気掛かりだったが、薙が今は話すつもりがないのなら、その気になるのを待とうと、美緒は気持ちを切り替えていた。そう物思いに耽る美緒には、夜空の半月がそれは美しく見えた。



「本当に、キレイね。この世界は」


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