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第四章 そう、これぞ仮嫁奮闘記

その日の朝は珍しく平和だった。駈が目覚ましの時間にちゃんと起きたことも珍しいが。

今日は小恋愛が起こしにこない。いつもは何だかんだ文句を言いつつも起こしにくるのだが。

若干の寂しさを覚えつつも、駈はマイハ二―(今日は『ワンの使いっぱしり』に出てくるヒロインのワイス)のパンツに向かって恒例の神聖な儀式を行った。

「やあ、ハニー。今日もピンクの縞々が輝いてるね。思わずペロペロしたい位だよ」

しかし、やはり小恋愛はやってこなかった。まだ、昨日のことを怒っているのだろうか? 駈はなんとなく虚しくなって、おとなしくリビングに向かった。

キッチンではいつもどおり小恋愛が朝食の準備をしていたが、そこにいたのは小恋愛だけではなかった。

シャルが猫のエプロンを付けて危なっかしい手つきで小恋愛を手伝っている。料理には慣れていないのか、大分手付きが危なかったが、そこは小恋愛が上手くフォローしていた。

「あ、おはようございますなのだ。だ、だんなさま」

「あら、起きたの? 愚兄」

駈に気付いたのか、二人がそれぞれ挨拶を寄こす。

『だんなさま』、普段の駈なら、思わずクラクラきて一人でシャドーボクシングを始めてしまうような魅惑のフレーズであったが、今回は違っていた。

「……何やってんだよ?」

駈がぶっきらぼうに尋ねる。

「はあ? 見て分かんないの? 朝ごはんの準備に決まってるでしょ」

「それは見れば分かるよ。そうじゃなくて、そっちの奴」

駈がシャルを指差す。刺されたシャルはあわあわしながら口ごもっていた。

「何言ってんの? 私のお手伝いしてもらってるに決まってるじゃない。あんた、バカ?」

「何でそいつが手伝いなんかしてんだよ」

「そいつじゃないでしょ。ちゃんと名前で呼びなさい。愚兄」

「お前も俺を名前で呼んでないだろうが」

「あんたはいいのよ。愚兄なんだから」

朝っぱらから険悪になりつつある空気を感じたのか、シャルが何とか声を出した。

「あ、あの、わっちが小恋愛に頼んだのだ。お料理のお手伝いさせてほしいって。だから、小恋愛は悪くないのだ」

シャルが消え入りそうな声で呟く。その様子にさすがにバツが悪くなったのか、駈も角を引っ込めた。

「……ちっ。余計なことすんなビシュ!」

吐き捨てるように言った駈の額に、小恋愛の投げたフォークが刺さる。朝からどこまでも容赦の無い妹君であった。

「自分の嫁に向かって余計なこととは何よ。余計なこととは。もうちょっと態度を改めなさい」

小恋愛の言葉に、額からフォークを引っこ抜いて、ピューッと盛大に血を噴き出しながら駈が反論した。

「お前の俺に対する態度も、もうちょっと改めてほしいんだが。って、ちょっと待て。誰が嫁だ。誰が。ふざけんな!」

そのあまりの態度に、スーパー○イヤ人改め、○―パー○イヤ小恋愛へと変化した小恋愛がつかつかと駈に近づく。

「こ・の・子・が」ビシ! バシ! ゴキ! メキ! (ローキック四連←駈、転倒)

「あ・ん・た・の」ドカ! ドカ! ドカ! ドカ! (踏み付け四連←駈、悶絶)

「よ・め・よ!」ガシ! (チョークスリーパー←駈、瀕死)

凶悪なコンボが決まり、駈のヒットポイントは朝からすでに赤くなっていた。しかし、残念ながら、ここには回復してくれるヒーラーも、ポーションも、薬草も無い。それでも駈は何とか起き上がって言い返す。

「ふざけんな。俺は契約なんかしてないぞ。……まさか」

駈が射殺すような視線でシャルを睨みつける。

「ち、違うのだ。わっちは何もしてないのだ」

シャルは泣きそうな顔で頭を振った。

「そのとおりよ」

ゴス!

言葉と共に降ってきたのは、○ム・カッファンが弟子入りにきそうな見事な半月脚だった。

「私が、私の意志でそう決めたの。この子は今日からあんたの嫁よ。喜びなさい、愚兄。一生結婚どころか、女の子と手を繋ぐこともないであろうあんたに、こんな可愛い嫁が出来たんだから。ほら、泣いて喜んでいいのよ」

「やだね。俺はみとめ……」

「あんたの許可なんかいらないのよ。今、この家で一番偉いのは誰? 言ってみなさい」

小恋愛が○―パー○イヤ人3ばりの気を放出しながら、駈を睨む。

しかし、駈も負けてはいなかった。

「ふざけんな! 俺は絶対こいつを嫁になんてしないからな!」

そう言い残して、駈は乱暴にドアを開けてリビングを出て行った。

 

「また、怒らせちゃったのだ」

駈が出て行ったドアを見つめながら、シャルがポツリと呟いた。

「いいの、いいの。大丈夫よ。ちょっと拗ねてるだけだから。基本的にガキなのよ。いつまでたっても」

そう言って、小恋愛は笑った。しかし、シャルの表情は晴れない。

「でも、わっちのせいで小恋愛と駈、ケンカになっちゃったのだ」

シャルの目に涙が滲む。そんなシャルを、小恋愛が優しく抱きしめた。

「だいじょぶ、だいじょぶ。こんなのいつものことなんだから。それよりもほら、料理の続き。いい、やっぱり料理は嫁の基本スキルよ。料理が上手かったら、夫が浮気する確率だってぐっと減るんだから」

「ほんとかー!」

シャルが顔を輝かせて、小恋愛に尋ねる。

「ほんと、ほんと。だから、ほら、がんばって」

そして、二人はまた料理に戻っていった。



ティーン向けファッション雑誌『CONCON』。一〇代女子から圧倒的な人気を誇る業界最大のファッション雑誌である。その撮影がここ、代々木公園で行われていた。そして、そこにモデルにあれこれ指示を出しながら写真を撮り続ける一人の辮髪(分かりやすく言うと○―メンマンもどき)男がいる。

権田写楽ごんだしゃらく、女性の魅力を最大限に引き出すと評判のカリスマ写真家で、彼に撮ってもらうことができれば一人前、とまで言われている人物である。その名前とビシッと決まったスーツ姿から、ゴツクて厳めしい男かと思いきや、

「そうよ。いいわ。いいわよう。アナタ輝いてる。もっと目線をこう。そう。それ、最高よ。今日、あなたは新しい一歩を踏み出すの。さあ、もっと秘めた自分を解放して。そう、フィーバー!」

バリバリのオネエ系であった。しかし、このノリに慣れている現場のスタッフは別段引くこともなく、順調に仕事を進めている。

「はい、お疲れ様―。今日のお仕事は終了よー」

写楽の満足げな声と共にその日の撮影は終わり、周りからはお疲れ様でしたの声が響く。

「ふう」

撮影を終えた小恋愛も、スタッフからドリンクを受け取りベンチに腰を下ろしていた。

「小恋愛、お疲れー」

そんな小恋愛に声を掛ける人物がいる。

友里来々ともさとくくる。小恋愛よりも古くからこの業界で働いている友人で、最近ではモデル業の他にタレントとしての仕事もこなしており、つい先日ファースト写真集を出していた。現在、学校には行っていないが、小恋愛とは中学時代からの親友である。

長くそれでいて流れるようなウエーブの掛かった茶色の髪に、小悪魔的な印象を与える大きな瞳。細身でありながら出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。まさにタレントオーラ全開の娘っこであった。しかも決して高飛車な女王様といった感じではなく、どちらかと言えば頼れるお姉さんといった印象である。そのため、現場のスタッフにも受けが良かった。

「お疲れー。今日も写楽さん。熱かったねー」

「ほーんと。私、あの人のテンションが低いとこ見たことないもん」

そう言って、二人は笑い合う。

「あ、そう言えば、お兄さん元気?」

「ぶっ!」

小恋愛は飲んでいたドリンクを噴き出しかけた。来々瑠の口から駈のことが出るとは思わなかったのだ。

「な、何で?」

「だって、いつも言ってるじゃない。ほんとどうしようもないとか、私がいないと何にもできないとか。お兄ちゃん好き好き大好き愛してるとか」

「言ってない! 最後のは言ってない!」

小恋愛が顔を真っ赤にして叫んだ。周りにいたスタッフも思わず視線を向ける。周りからの視線を受けて小さくなった小恋愛を、来々瑠は楽しそうに眺めていた。

「わ、私はあんなの好きじゃない。ほんとにだーいっきらいなんだから」

「えー。ほんとー?」

「ほんとだって」

小恋愛はあわあわしながら両手を振る。

「ほんとに嫌いだったら、毎回毎回あんなに楽しそうに愚痴ったりしないと思うけどなあ」

「楽しそうになんて愚痴ってない。ほんと、私はあのバカのせいですっごく迷惑してるんだから」

耳まで真っ赤にして、必死に弁明する小恋愛。

「ふふ、はいはい。分かった分かった」

来々瑠が幼い子をあやすように小恋愛の頭を撫でる。

「むー、ほんとに分かってる?」

「分かってるわよー。小恋愛はほんとに可愛いなってこ・と♡」

「むー」

小恋愛はほっぺをリスのように膨らませて、まだ納得できない様子で唸っている。

「私はあいつのことなんてほんとにきらいなんだから。今だって、もし目の前にいたら絶対一発殴っ「小恋愛ちゃーん。お兄さん来てるわよー!」」

写楽の大声が現場に響く。

「…………」

「で、どうするの?」

来々瑠は必死に笑いを堪えながら小恋愛に言った。心底楽しそうだ。

「……行ってくる」

そして、小恋愛はガックリと肩を落として写楽の元へと向かった。


小恋愛が写楽の元を訪れると、そこでは駈と写楽が真剣な表情で何やら話し込んでいた。

「そもそも女性というものは神秘の生き物なのよ」

「ふむふむ」

「故に女性というものは非常に難しいの。全てが同じようでいて、しかし、何一つ同じではない。繊細な、そうとても繊細なガラス細工のようなものなの。だから、彼女達の魅力を最大限に引き出すには自らのパッション、そうパッションをさらけ出し、お互いの魂を深く結びつける必要がある訳なの。それはつまり(中略)のようなスピリチュアルなものに加えて、深くそして広い(中略)ということになり、その結果、このような結論に達するって訳なの。分かる?」

「分かりません」

きっぱりと言い切る駈に、写楽は怒る訳でもなくただ大きく頷いた。

「うん、正解。すぐに全てが理解できるほど女性というものは甘くないわ。女性というのは手が届きそうで届かない至高の宝石。ダイヤや真珠が石ころに思えるほどまばゆい光を放つ神秘の宝石。そのアンタッチャブルな魅力に(長いので省略♡)なのよ」

熱の入った演説を終え、写楽は真っ直ぐに駈を見据えた。

「あなた、夢はある?」

駈も真っ直ぐに写楽を見つめて答える。

「あります」

「教えてもらってもいいかしら?」

「ハーレムを作るごぼ!」

「お疲れ様でしたー」

これ以上の失言を封じるため、○旋丸で駈を沈黙させた小恋愛は、そのまま駈を引き摺って足早に現場を去っていった。


まったく、困った兄だ。小恋愛は毎度の如く頭を痛めていた。

どういう訳か、駈は小恋愛が電車で帰ると伝えた仕事の日に限ってこうして撮影現場に現れるのだ。いつもは担当のマネージャーである藤森華奈(ふじもりかな、二六歳、独身)が車で送ってくれるのだが、彼女は他のモデルのマネージメントもしているので、常に小恋愛を送ってくれる訳ではない。

その送ってくれない日に限ってこの男は現れるのだ。小恋愛は当初こそ駈にうざったさと嫌悪感を露わにしていたが、今ではこんなバカでもそれなりに役に立つということが分かってきた。

日も暮れると電車の乗車人数は急激に増加する。仕事帰りのサラリーマン。学校帰りの学生。そして、次の日が休みなのか遊びに向かう若者。そんな者達でごった返す電車内は、まさに人のすし詰め状態だった。

本来、小恋愛にとっては帰りの電車内は憂鬱な時間のはずだった。今時の若い娘が一人で電車に乗って帰宅。モデル友達は皆、都心に住んでおり、小恋愛のように郊外に住んでいる者はいなかった。

小恋愛がモデルの仕事を始めたのは中学二年の時、原宿でスカウトされたのがきっかけだった。小恋愛は当初こそモデルという仕事に不安もあったが、親友の友里来々瑠がそこの事務所に所属していたことと、可愛い服を着るのが好きだったこともあり、モデルを始めることを決意した。

両親も最初は心配そうな顔をしていたが、小恋愛の決意が固いことが分かるとその意志を尊重してくれた。しかし、どんな仕事をしていても良い事ばかりではない。

どうやら、自分は客観的に見て、男に好かれる性質らしい。小恋愛がそれに気づいたのが小学生の時。その頃から少なからず告白も受けたし、中学に上がってモデルの仕事を始めてからは、さらにその頻度が増した。町を歩けばナンパされたことなど一度や二度ではない。

別にそれほど男に飢えている訳でもなかった小恋愛にとって、それは苦痛でしかなく、しかも、それが逃げ場の無い満員電車の中ともなれば、声を掛けられるだけでなく痴漢に会う可能性も十分にあった。先日、西岡家に遊びに来た小恋愛のモデル友達の東雲小春しののめこはるは、以前に電車で痴漢に遭遇したことがトラウマとなり、それ以来電車に乗ることができなくなってしまったと言う。

しかし、小恋愛は生まれてこの方、痴漢というものに会ったことがなかった。

もちろん、それには理由がある。それは今、小恋愛の目の前にいるバカのせいであった。

どういう訳か、電車で帰宅すると言った日に限って撮影現場に現れるこのバカは、さんざん現場に居座ったあげくに小恋愛にしばかれて一緒に帰宅する。

正直なところ小恋愛は、『○ニメイト』だの『○んだらけ』だのといった、いかにも自分はオタクですと言っているような袋を両手に下げている駈と一緒に帰るのは嫌だったのだが、満員電車などに乗った際は、必ずそのバカが何も言わずに小恋愛を守るようにして前に立つのだ。

今回もそう。ふと、小恋愛が駈を見上げる。昔は同じくらいの身長だったのに。いつの間にかあっさりと小恋愛を抜いてしまった。今、小恋愛の目の前にいる駈はいつものようにヘラヘラしてはいない。四方八方から来る圧力に必死に耐えながら、小恋愛のスペースを確保していた。

「ん? どした、小恋愛?」

小恋愛の視線に気づいた駈が声を掛ける。

「え?」

ずっと駈を見つめていた小恋愛が、少し惚けた声で答えた。

「ゴメンな。狭いか?」

駈が申し訳なさそうに口を開く。小恋愛は慌てて首を振った。

「ううん。大丈夫」

「そうか。よかった」

そう言って駈は笑った。それはいつもの締まりのない笑い顔ではなく、小さい頃から小恋愛のずっと好きだった駈の顔で。

小恋愛の胸が大きく高鳴る。顔にも徐々に赤みが増し、呼吸も少し荒くなった。

しかし、そのことを気づかれたくなかった小恋愛は慌てて顔を伏せる。

(何なの、このバカ。そんな顔すんじゃないわよ)

小恋愛はそれから駅に着くまでの間ずっと、自分の赤くなった顔を見られないように必死に顔を伏せ続けた。

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