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第二章 そう我こそは真の漢(オタク)

神奈川県川崎市。

都心から電車で二、三〇分ほど行ったところにあるベッドタウンで、開発が進む昨今、未だに豊かな緑と昔ながらの街並みを多く残す町である。

衝撃の出会いからほどなく、駈は自分の家へと帰って来ていた。両親が仕事で一年の大半を海外で過ごしているため、今この家で暮らしているのは駈とその妹だけだ。

妹の名は西岡小恋愛にしおかここあ、駈と同じ高校に通う一五歳の高校一年生。駈とは再婚した親同士の連れ子という関係なので、血縁関係はない。チャームポイントは日本人形を思わせる長く艶やかな黒髪で、パッチリとした魅惑的な瞳に、健康的でスレンダーなボディ。道を歩けば間違いなく人目を引く超絶美少女である。

高校に通う傍ら、ティーン向けファッション雑誌の専属モデルもこなしており、面倒見の良い性格で男女分け隔てなく接することから、男女両方からも非常に人気が高い。両親不在の西岡家の家事を一人で切り盛りしており、ご近所からはどうしようもない兄、よくできた妹という評判が定着していた。

玄関の扉を開けると、リビングから楽しそうな話し声が聞こえてきた。どうやら、小恋愛とその友達のようだ。

一応、兄としては挨拶しておかねばなるまい。さりとて普通の挨拶ではやはり面白みに欠けるというものだろう。ここは小恋愛の兄としてウイットに富んだ小粋な挨拶を披露するべきだ。やはり第一印象は重要である。そう考えた駈は、おもむろに制服のズボンを脱ぎ捨て、ティッシュを片手にリビングの扉を開けた。

「フッ、小恋愛、困るじゃないか。このティッシュ、特売品だろ? 僕のピー(一八歳未満にはお聞かせできません)タイムにはいつも最高級の『○沢保湿』にしてくれとあれほど言ってあるのに。まったく、困った子猫ちゃんだ」

その瞬間、○グナスの○イヤモンドダストでも受けたかの如く、リビングの空気が凍結した。

「ふっ、決まったぜ」と勝手に思い込んでいるドアホウこと兄、駈。

突然の出来事に加え、このもはやどう考えても修復不可能な状況をどう言い繕おうか必死になって考えている妹の小恋愛。

そして、あまりの衝撃に固まるしかない小恋愛の友達A。確か、彼女は小恋愛のモデル友達だったと駈は記憶していた。

やがて時が動き出し、あまりにも勇気の要る第一声を発したのは小恋愛の友達Aであった。

「あ、私そろそろ帰らなくちゃ」

棒読み口調でそそくさと玄関に向かう友達Aを、二人はただ見送ることしかできなかった。

パタンという音が聞こえてからほどなくして、小恋愛の体が震えだした。無論、笑いを堪えている訳ではない。チャームポイントの美しい黒髪が蛇のように大きく波打っていた。

「ぐ~け~い~!」

鬼が見えたような気がした。いや少なくとも駈には見えた。ゴオオという闘気の噴き出し音が聞こえてきそうなほどの怒りを宿した小恋愛が、ゆっくりと駈に近づいてくる。

殺られる。駈は本能でそう感じとった。しかし、逃げたくても床に縫い付けられたように足が動かない。

「さっきのは何?」

「い、いやあ。小恋愛のお友達なら一応、御挨拶しておいたほうがいいかなあって」

「ほう、それであの挨拶な訳?」

小恋愛の放つ○スモに押されながらも、駈は何とか言い訳を開始した。

「いやあ、お笑い芸人が人気の昨今、やはり挨拶にはウイットに富んだものが必要かと……」

「ほほう」

うつむいているため、小恋愛の表情は分からない。ただ、目だけが怪しく光っているような気がした。

小恋愛が一瞬消えたかと思うと、あっという間に駈の眼前に現れる。

「どこの」バキ! (左ジャブ←駈、よろめく)

「世界に」ボキ! (右ストレート←駈、回避不可)

「あんな」ゴキ! (ボディーブロー←駈、倒れこむ、が、無理やり起こされる)

「挨拶」メキ! (右フック←駈、意識が遠のく)

「かます」べキ! (左フック←駈、頭の中で今までの思い出がBGM付きで流れる)

「兄が」ズゴ! (右アッパー←駈、胸のランプがピコンピコン)

「いんのよおおお!」ミシ! (ジャンピング踵落とし←駈、体から聞いちゃいけない音が鳴る)

必殺のコンボが決まり、悲鳴を上げる間もなく駈が崩れ落ちた。その頭を小恋愛が踏みつける。

「いいこと、愚兄。今度、私の友達の前であんな真似をしたら、あんたの大事にしてる人形をあんたの口とピー(自主規制)の穴に詰め込んで、奥歯カタカタ言わせてやるわよ。いいわね?」

「…………」(駈、頭でヒヨコがピヨピヨしているため答えられず)

ズボ! (小恋愛の踵、こめかみにめり込む)

「返事!」

「ばび(はい)!」

「よろしい!」

ズタボロの体で何とか返事を返した駈の頭から、ようやく足がどけられる。薄れ行く意識の中で駈は思った。今日は水玉だ、と。



「清々しい朝だ」

起きるなり駈はそう言った。生憎とこの日の空はどんよりと曇っていたのだが。駈はそんなことなどお構い無しに、机の上に置いてあるフィギュアのスカートを覗き込みながら、キラリとした笑顔で朝の挨拶を開始する。

「やあ、おはよう。今日も白い下着が眩しいね。マイハ……ごは!」

駈の朝の挨拶は疾風の如きフライパンの一撃により中断した。

「おはよう、愚兄。ご飯できてるわよ」

白を基調とした制服に身を包んだ小恋愛が、駈の顔を踏みつけながら笑顔でそう口にする。

「ぼ、ぼばよぶござびまぶ。びだどだま。(おはようございます。小恋愛様)」

駈は顔を踏みつけられたまま何とか答えた。踵が頬にめり込んでいるが小恋愛は全く気にしない。

「愚兄、前から言ってるでしょ。いい加減、人形のパンツに挨拶するのはやめなさい」

小恋愛の踏みつける力に一層の力が篭る。

「ぞればぶりでぶ。ごればじんぜびなぎじぎでづのべ。(それは無理です。これは神聖な儀式ですので)」

「ああん?」

小恋愛の声に険呑な響きが混じる。踏みつける力に○イキルト(攻撃力二倍)が掛かった。

「何か勘違いしているようね、愚兄。私はね、お願いしてるんじゃないの。命令しているのよ」

小恋愛が青筋を浮かべながら、笑顔で答える。駈は身の危険を感じて慌てて言った。

「ば、ばかりばじた。(わ、分かりました)」

「よろしい」

ようやく顔が解放された。駈は起き上がって言葉を付け足す。

「……多分」

「あ?」

「いえ、絶対です」

「……もういいわ。全く朝から余計な力使わせないでよ」

そう言って部屋を出て行こうとする小恋愛に、駈が笑顔で声を掛けた。

「ところで小恋愛様」

「何よ?」

「今日は縞々ですか……バキ!」

会心の一撃。今日は遅刻確定だった。


意識が戻り時計を確認すると時刻は十時。今日は平日もちろん学校がある。今更ジタバタしても遅刻確定なので、駈は慌てず騒がず小恋愛の用意してくれた朝食(完全に冷めていた)を食べた。


私立流星学園。この町に比較的最近開校した新設校である。文字の響きはやたらとかっこいいが、その校訓を「平和が一番」としており、学生犯罪が増える昨今、特別な何かはいらない、ただ平和に、ただひたすらに問題のない学園生活を送ろう(そして、先生達に何のストレスもない職場生活を送らせてください)をモットーとした事なかれ主義万歳の高校であった。

時刻は午前一一時。授業中ということもあり人気は少ない。駈は真っ直ぐに教室には向かわず、そのまま体育館裏へと向かった。

体育館裏。そこは人のほとんど訪れない、告白やヤキ入れにはうってつけの場所である。

そして、駈はいつもの場所に腰を下ろし、中を覗き込んだ。秘密の覗き穴の中を。今の時間なら確か……隣のクラスの女子が体育の真っ最中である。中を見ると、予想通り女子が体操服ブルマで準備体操をしている最中であった。

そう、流星学園は現在絶滅しつつあるブルマ指定の学校であった。駈がこの学園に進学した理由もそれが大半を占め、合格ラインぎりぎりであった駈が、何とかこの学園に入れたのも、ひとえにブルマ見たさのおかげであった。お尻のラインを強調したあのデザイン。そして、そこから見える白く輝く太もも。ブルマ最高である。時折遅刻してはここでブルマ鑑賞。それが、駈の密かな楽しみであった。

気が付くと隣でグフフという笑い声が聞こえる。どうやら先客がいたようだ。この場所に目を付けるとは中々見所がある。そう思った駈が、いかなる武士もののふか確認すると、それは顔見知りであった。向こうもこちらに気付いたようだ。ゆっくり音を立てずに近づいてくる。

「駈さん。ちいーす」

声を掛けてきたのは、今どきと思いたくなるような、額にハチマキを巻き、特攻服にリーゼントの長身の男だった。男の名は豪炎寺牙ごうえんじきば。駈のオタク仲間である。

『ぶったぎり』というチームのリーダーを務める現役バリバリのヤンキーであるが、ピンク色の特攻服に刻まれた文字は『喧嘩上等』でも『仏恥義理』でもなく『ぱるな命』であった。

そう、この男は今をときめく大人気アイドル『SGY47』(さんげんぢゃや47)のセンターを務める桃先春菜(ももさきはるな、通称ぱるな)の大ファンなのである。趣味は追っかけ、自身の筋力トレーニングにSGYの曲の振り付けを取り入れるほどのコアなファンであった。

アニメやフィギュアにも精通しており、ひょんなことから駈と知り合い、お互いをリスペクトする間柄となった。

ちなみに牙もこの学園の生徒である。学校に特攻服はさすがに問題があるかと思われたが、そこは事なかれ主義の流星学園。誰かが注意してくれるのを待っているうちに、いつのまにかこの姿で定着してしまっていた。今では教師が牙を見かけても「ああ、あいつはいつもこうだから」でお終いである。他の生徒も特攻服にリーゼントはさすがに怖がる者もいるかと思いきや、胸に書かれた文字を見た瞬間、「ああ、こいつは大丈夫だ」と安心するようになった。

「駈さんも目の保養ですか?」

「うむ。そちもか?」

「しかり。やはり女子のブルマ姿は最高ですな」

「いやいや。まったくまったく」

体育館裏で何やら頷きあうヤンキーと変態。第三者が見れば通報確定である。

その時、牙のスマホがブブブと震えた。彼らはプロのオタクである。よくありがちな、秘密の場所をスマホの着信音で駄目にするようなヘマはしない。

「いかん。呼び出しでござる」

「むむ、集会でござるか?」

「しかり。今日は特に重要な『握手会で顔を覚えてもらうために、いかにインパクトのある挨拶を行うか』の集会でござる」

「なるほど。それは確かに重要でござるな。ぬかりなきように」

「もちろんでござる。したらば、拙者はこれにて」

牙が忍者のような足取りでその場を去った。それと同時に授業終了のチャイムがなる。

そろそろ行くか。そう思い、駈も足早に自分の教室に向かった。



「諸君、聞いてくれたまえ」

ここは学園の空き教室。放課後の校内は人気が少ない。そんな中、駈を含む一部の男子生徒はこの空き教室へと集まっていた。一年、二年、三年と学年勢揃いである。

「諸君、まずは聞いておきたいことがある」

駈は神妙な面持ちで口を開いた。

「ブルマは好きか?」

「「「イエス!」」」

その質問に、ここに集まった男子全員がはっきりと頷く。

「ブルマ、最高っす!」

「ブルマ、あの下着と変わらぬフォルムに、そこから覗く魅惑のパンティ。フフフ、あれこそまさに男の夢」

「自分はブルマがあるからこの学園に入学しました」

等々、全員が口々にブルマを賞賛している。そんな彼らを駈は軽く手を上げて制した。

「よろしい。では次の質問だ」

再び、駈が神妙な面持ちで口を開く。

「スク水を愛しているか?」

「「「イエス!」」」

この質問にも集まった男子達は即座に同意した。

「スク水最高です!」

「スク水、徐々に熟してきた果実に、あえて幼さをプラスするあのマジックアイテム。フフフ、あれこそまさに男のロマン」

「自分は断然、白派であります」

「自分はスク水を撮るために○ッグカメラでデジカメを新調しました」

等々、男子達は今度はスク水の賞賛に没頭し始めた。駈はそんな熱い魂を持った同志達の集結にニヤリと笑う。

「フッ、皆、かなりの武士もののふのようだな。それとそこの君、○ッグカメラではなく○ックカメラだ。間違えないように。さて、今日はそんな皆に素晴らしい物を用意した。見よ!」     

「「「おおーー!」」」

そう言って、駈が広げたのは学園女子のブルマ姿やスク水姿を隠し撮りした写真であった。どの写真も女子高生の若さ溢れる色気で満ちている。会場のボルテージは最高潮を迎えていた。

「どれでも一枚五〇〇円だ。数には限りがある。人気商品は早い者勝ちとさせていただこう」

その言葉に、皆が一斉に駈の元へとなだれ込んだ。

「東蘭寺さん一枚」

「御門さんを二枚、いや、五枚くれ」

「……黒峰さんのを……全部」

「スゲー! 朝姫さんのもあるぞ。一〇枚くれ」

そして、たちまち空き教室は戦場と化した。皆完全に目が血走っている。駈はそんなゾンビ達から流れるような動作で金を受け取り、写真を渡していった。そう、これは駈の秘密のアルバイトであった。こうして得た収入は、新作フィギュアやアニメのDVD、アイドルグッズ等へとつぎ込まれる。みんなも満足、自分も満足の素晴らしい仕事であった。

「私にも一枚もらえるかしら?」

「はいよ。どれにしましょう?」

駈が意気揚々と背後から掛かる声に反応する。

「西岡駈を一枚」

「えっ、僕ですか? いやだなー、お客さん。いくら僕がカッコイイからって、僕にはそっちの気は無いんですよー。どうしてもって言うなら、今スマホで写メを撮っていただいても……」

そして、笑いながら話す駈は、振り向いた瞬間凍りついた。

目の前には風紀委員の腕章を付けて、角を生やした(様に見える)鬼(小恋愛)が仁王立ちしている。

「そおねえ、じゃあせっかくだから取らせてもらおうかしら。命をね」

ゴス!

小恋愛は、地面にヒビが入りそうなボディーブローで駈を気絶させると、恐怖のあまり固まったままの男子生徒達を尻目に、駈を引き摺って教室を出て行った。


「愚兄、ちょっとそこに正座なさい」

「あの、もうしておりますが……」

「口答えするな!」

「サー、イエッサー!」

ここは生徒会室。いるのは小恋愛と駈の二人だけである。小恋愛は駈を生徒会室に連れ込んで早々に正座を命じていた。写真やお金は無論没収。ニヤニヤしながら今回の収入で買う物のリストまで作っていた駈は、がっくりと肩を落としていた。

「ちょっと愚兄。あんた、分かってんの?」

小恋愛がバンと机を叩く。机の上に載っている練乳イチゴと書かれたパックジュースが一瞬浮き上がった。

「こんなことがバレたら停学よ。停学。そんなことになったら、わ・た・し・が迷惑すんの。あんた、その辺分かってるわけ?」

そこで小恋愛はため息を一つ吐いた。

「はあ、まったく、あんたはどれだけ私の顔に泥を塗れば気が済むの……って、ちょっと、聞いてんの?」

珍しく大人しい駈を不審に思い、小恋愛が駈に目を向ける。駈は先ほどから正座をしたまま、正面をじっと見ているだけだ。その視線は、ちょうどパイプ椅子に足を組んで座っている小恋愛の正面にあたる訳で。

「あんた、まさか……」

小恋愛のこめかみに青筋が浮かび上がる。

「うむ、やはり縞々は良い。個人的には白も捨てがた……はっ!」

メキ! ゴキ! バキ!

一人で頷く駈に、小恋愛怒りの三連踵落としが炸裂する。駈はたまらず撃沈した。小恋愛の目には般若が映っている。

「愚兄、どうやらあんたにはお仕置きが必要のようね」

そう言ってゆっくりと駈に近づく小恋愛。しかし、復活した駈が真剣な顔で言った。

「小恋愛、俺は自分のしたことについては何の言い訳もしないが、これだけは言っておく」

「な、何よ?」

急に真顔になった駈に、一瞬小恋愛が焦りの表情を見せる。しかし、駈は構わず続ける。

「ブルマとスク水はな……男の夢だ」

バコ!

パイプ椅子の強烈な一撃を喰らって、駈は派手に吹き飛んだ。

「はあ、はあ、まったく、この馬鹿兄貴は」

小恋愛は肩で息をしながらも、ゆっくりと呼吸を整え、没収した写真に目を向ける。

「あんた、まさか私の写真まで売ってるんじゃないでしょうね?」

その言葉を聞いた駈が、瀕死のダメージから不死鳥の如く蘇り、小恋愛に向き直った。

「バカモノ。俺の大事な小恋愛の写真を売る訳ないだろ」

「え?」

駈の言葉に、小恋愛の顔が少しだけ朱に染まる。

「小恋愛のブルマやスク水姿を見ていいのは俺だけだ。もちろん家には小恋愛のマル秘データが山ほどあるが、俺以外には絶対に見せ……ゴスン!」

生徒会室にあった長机の一撃を喰らい、今度こそ駈は沈黙した。

「……バーカ」

そう言って小恋愛が時計を見る。もう下校時刻だ。小恋愛は再び駈を引き摺り、生徒会室を後にした。


「駈じゃないか!」

夕暮れの帰り道、声のした方を見るとそこには長身の美女が立っていた。

長身ではあるが大柄ではなく、引き締まった肉体には無駄な肉が一切ついていなかった。今は美しく長い黒髪を頭の後ろで縛っている。これでスーツでも着ていれば、モデルと言ってもだれもが納得するが、今の彼女の格好は上下緑色のジャージであった。

「お久しぶりです。師匠」

駈が師匠と呼んだこの女性は日向地雷矢ひゅうがじらいや。男のような名前だが、れっきとした女性である。今は無職で、この町の寺、天道寺で世話になっていた。

「久しいな、学校の帰りか?」

「はい、師匠にしては珍しいですね。こんな時間に出歩くなんて」

「何、こいつが切れたんでな。買出しだ」

地雷矢はくるりと背中を向け、背負っている物を二人に見せる。そこには巨大な酒樽があった。

「また酒ですか? 今回は何日保ったんです?」

「一日だ」

「ははは、そのうち師匠の酒代で、寺が潰れるんじゃないですか?」

「馬鹿者。半分は住職殿も飲んだんだ」

「ああ、そういえばあの人も酒豪でしたね」

「うむ、あの人とは常に呑み比べをしている」

「ははは、そんなことだから婚期が遅れ……」

駈は最後まで言葉を言うことはできなかった。いつの間にか、駈のみぞおちに地雷矢の拳が埋まっている。駈は為す術もなく膝をついた。

「何か言ったか?」

「い、いえ、何も言っておりません。師匠」

「よろしい」

地雷矢は満足そうに頷くと、小恋愛へと向き直った。

急に視線を向けられた小恋愛は、何を言ったらいいのか分からず困った表情のまま固まっている。

「駈、この子は?」

「僕の彼女です」

その言葉を聞いた地雷矢は、遠い目をして空を見上げた。

「明日は雪だな。いや、もしかしたら槍が降るかもしれん」

「どーいう意味ですか?」

「こんな可愛い娘がお前を好きになることなど、天変地異が起こってもありえんという意味だ」

「…………」

駈の頬を汗が伝う。さすがは駈の師。よく弟子のことを分かっておいでであった。

「で、誰なんだ?」

「妹の小恋愛です」

地雷矢が僅かに目を細める。

「ほう、この子がな……」

小恋愛は地雷矢の静かな迫力に押されて、まだ固まったままだ。

「美人だな。とてもお前の妹とは思えん」

「ですよねー。僕もそう思いますよ。実は日に日に可愛くなっていく妹に、僕自身いつ倫理の壁を越えてしまうか分からない状況でして」

「な!」

「はっはっはっ」

その言葉に小恋愛は赤面し、地雷矢は豪快に笑った。

「お前が言うと冗談に聞こえんな」

「そりゃもちろん、僕はいつだってほん……ぐむ!」

それ以上の暴言を阻止するため、小恋愛は、道に転がっていた石を駈の口に詰め込んだ。さすがに初対面の人間の前で、いきなり駈を張り倒すのには躊躇いがあったらしい。いつもの小恋愛にしては控えめな攻撃だった。

「ははは、面白い兄妹だな。おっといかん、急がんと酒屋が閉まってしまう」

地雷矢が酒樽を担ぎ直して、駈達に背を向ける。

「ではな、駈に小恋愛。また会おう」

最後まで豪快に笑って去っていく地雷矢を、二人は黙ったまま(駈は強制的に)見送った。


「愚兄、さっきの人は?」

「ああ、俺の師匠だ」

夕暮れの帰り道、小恋愛の疑問に駈はあっけらかんと答えた。

「師匠って、何の師匠よ?」

少し膨れた顔をした小恋愛の言葉に、駈の目がキュピーンと光る。

「ん、何だ? 気になるのか、小恋愛?」

「別に。あんたがどこで何しようと私には関係ないけど、あんな美人の知り合いがいるなんて知らなかったから、ちょっとびっくりしただけよ。別に興味なんてないんだから」

小恋愛のツンデレ具合に大いに満足しながら、駈は口を開いた。

「そうか、そうか。兄ちゃんの女性関係が気になるとは、小恋愛は本当にお兄ちゃん子だなあ。

でも、安心しろ、小恋愛。兄ちゃんはまだバリッバリの童貞だ」

ゴカン!

駈の後頭部に小恋愛の鞄(の角)が直撃する。小恋愛は少し顔を赤らめて駈に叫んだ。

「誰もそんなこと聞いてないでしょうが。ぶっ飛ばすわよ」

すでにぶっ飛ばされた駈は、あまりのダメージにツッコむことができない。しかし、そこはゴキブリ並みの生命力を持つ勇者(変態)西岡駈である。ポン、ポン、ポン、チーンの音と共に元気に復活した。

「フッ、そんなツンなところも最高だ、小恋愛。もし、そのあまりの愛情表現の過激さに嫁の貰い手がなかったら、兄ちゃんがいつでも……」

「あんたの部屋にある人形とDVD全部ぶっ壊すわよ」

「ゴメンナサイ。調子に乗りすぎました」

間違いなく本気の目でそう呟く小恋愛へ、駈は直ちに必殺の土下座を行った。小恋愛がやれやれといった感じでため息を吐く。

「で、あの人は誰なの? 愚兄」

「だから、師匠だって」

「そうじゃなくて何の師匠なのよ?」

「そうだなあー」

そこで駈は少し考え込んだ後、

「人生の師匠かな」

と、笑顔で言った。

「何それ? 気持ち悪い」

ちょっといい顔で言ったとたんに即ダメ出し。何を言っても締まらない駈だった。

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