表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ターニング  作者: かすがいななみ
「それまで」の私
2/4

「それまで」の私

 

「今日から一人で、本当に大丈夫?」

 玄関で心配そうに見送る母に、私は笑顔で頷く。

「そう……じゃあ、行ってらっしゃい」

 私の応えに、母も精一杯の笑顔で私を送り出した。

 春。

 すでに桜も散ってしまった通学路を、私は一人、歩いていく。

 背中には、真新しい大きな赤いランドセル。

 中にたくさん物が入っているわけじゃないけど、それでも小学一年生の私には、慣れないランドセルだけでも充分重く感じられた。

 それは新生活の象徴であると同時に、大きな不安も背負っているからだろう。

 入学式の時点で、すでに私は目立っていた。

 黒髪に青い瞳という、日本人離れした容姿のせいだ。

 奇異の目で見られることには慣れていた。

 幼い頃から、「他人とは違う」ということを理解していたから。


 私は日本人の父と、アメリカ人の母との間に生まれた。

 家族の反対を押し切って母と結婚した父は、結婚後もしばらくは、親戚一同から白い目で見られていたそうだ。

 当時は国際結婚なんて、まだまだ珍しかったから。

 しかも結婚前に、母のお腹にはすでに私がいた。

 国際結婚で、さらには「おめでた婚」。

 親戚一同が私たちを白い目で見るのも、無理のない話だったんだろう。

 そして、もう一つ。

 私には、他人とは決定的に違うものがあった。

「おはようございます」

 横断歩道の手前で、声を掛けられる。

 通学路を見守る、学校安全ボランティアのおじいさんだった。

(………)

 私は何も答えられず、黙ってお辞儀をする。 

 日本語が分からないわけじゃない。

 自慢じゃないけど、英語も、日本語もちゃんと理解できている。

 でも……。 

 私は生まれつき、言葉をうまく話すことができないから。

 だから、挨拶を返すことはできない。

 自分の気持ちを伝えることもできない。

 言葉にしようとしても、(あ……)とか(う……)とか、つまったような吃音でしか話すことができない。 

 ……出生直後。

 一時的に仮死状態に陥った私は、何とか命は取留めたものの、それが原因で脳に障害を抱えることになってしまった。

 脳性麻痺からの、吃音。

 言葉のどもり、つっかえ、擦れたような無声音。

 上手く発音ができず、ろれつも回らない。

 話す言葉は理解されず、言い直しを要求されたり、何度も聞き返されたり……。

 酷いときには無視されたり、笑われたりもした。

 私の歪な発語を理解できるのは両親だけ。

 それも、より複雑な心情を汲み取れるのは母だけだった。

 親戚一同から嫌われ、見捨てられ、白い目で見られ……。

 言葉が伝わらないもどかしさに癇癪を起こせば、日本語の教え方が悪いのだと、アメリカ人の母が責められる。

 そんな周囲の反応に幼心にも傷付き、私はだんだんと会話に消極的になっていった。

 伝わらないなら、会話なんて意味がない。

 対人恐怖、社会不安、自信喪失……。

 今では、家族の間でも会話をすることはほとんどなくなってしまった。

 他人と違う外見と、内面。

 ハーフであり、言語障害者でもあるという「二重のコンプレックス」を持って、私は生まれてきた。

 私たちの家族が厄介者として扱われるのは、全て私のせい。

 私が他人とは違うから、みんなの仲が悪くなる、と。

 そんな風に、いつも考えていた。

 だから、人前では決して目立たないように、話さないように意識してきた。

 できるだけ普通を装い、幼いながらも必死に、自分は無害なんだということをアピールしようとしていたんだと思う。

 生まれながらに、私には居場所がなかった。

 幼い頃のアルバムを見ると、寂しい写真ばかりが目立つ。

 私と一緒に写るのは、父か、母かのどちらか一方。

 親戚と一緒に大勢で写っている写真は、一枚だってない。

 私の成長の過程は、全て両親の間でのみ記録されたもの。

 親戚一同は私たち家族を遠ざけたがっていたし、私たちもわざわざ波風を立てるつもりもなかったので、お互いにあまり干渉しなかったから。

 とはいえ、それも結婚当時に比べればだいぶ和らいできたようだけど。 


 そんな私をいつも守ってくれたのは、母だった。

 言葉をうまく話せない私にとって、一番身近にいた母が私の代弁者だったから。

 母は私の表情や唇の動きを読んで、気持ちを汲み取ってくれた。

 母は私にとって、なくてはならない存在だった。

 でも、いつまでも一緒というわけにはいかない。

 入学式。

 母と私は同学年の生徒からも、その保護者からも好奇の目で見られていた。

 もっとも、私は緊張していたから、そんな視線にほとんど気付かなかったけど。

 まあ、無理もない。

 今でこそハーフや外国人は珍しくもないけど、当時(十数年前)は、かなり珍しがられたものだ。

 名前にしたってそう。

 今は日本人離れした名前なんて珍しくもないけど、当時はそうでもなかったから。

 苗字が漢字で、名前がカタカナ。

 それだけで私が特異な存在であると、みんなが遠巻きに観察する。

 幼稚園に通っておらず、小学校からのスタートである私には見知った友達などいなかったから、ほとんどの子供がハーフを見るのは初めてだったんだろう。

「お前、外人?」

 なんて、生意気そうな男の子に声を掛けられることも多々あった。

 悪気はないんだろうけど、当時の私は純粋な日本人じゃないことを気にしていたから、少しだけ悲しかったな。

 母は入学式が終わると、私が言葉をうまく話せないことを、クラスメイトやその親たちに説明していた。

 不慣れな日本語で、一生懸命説明していた。

 自分自身も外国人という、奇異の目で見られながら。

 それがどのくらい伝わったかは分からないけど、幸い担任の先生は理解のある人だったので、入学以降しばらくの間、私は母と一緒に授業を受けていた。

 何かあった時、すぐに私の気持ちを察してくれるのは、母だけだったから。

 でも、いつまでも一緒に学校に通うわけにもいかない。

 今日からは、私一人。

 母はとても心配していたけど、私はそんなに困ることはないだろうと思っていた。

 入学前に、ひらがなとカタカナは読み書きできるようにしておいたし、何かあれば常にポケットに入れているノートに書いて伝えればいいんだから、と。

 とはいえ、思ったようになかなかテンポよく会話することができず、慣れないうちは苦労したけど。


 特殊教育制度。

 通級……いわゆる「ことばの教室」。

 それは、障害を持った児童のための特別なカリキュラムで、通常の学級に通いながら週に数時間の指導を受けて、話し方を矯正していくというもの。

 私の言語障害も、その中で矯正していたなら、ある程度は改善できたのかもしれないけど、今より理解の少ない時代。

 まだまだ全国的に制度も整っておらず、私は通常学級での通学を余儀なくされた。

 健常者の子供達と一緒の学校生活の中。

 発言を強要される場面は、とても苦痛だった。

 話せば笑われるし、からかわれるし、いじめられる……。

 それなら、言葉を話せない子と思われていた方がまだいい。

 そう考えていた私は、人前で口を開くことなんてほとんどなかった。

 だから、私が言葉を「全く話せない」と思い込んでいた子も、中にはいたと思う。

 私の言葉の遅れは、相当なものだった。

 普通は自分の話す声を聞いて、耳で発音を覚えていくものだけど、私は普段からほとんど口を開かなかったから。

 発音もうまくできず、会話にも慣れてない……。

 言葉をうまく話せないのは、生まれつきの障害が原因であったにせよ、私自身が積極的に会話をしようとしなかったせいもあるんだろう。

 クラスメイトの子たちは、私とは距離を置いていた。

 友達と呼べるような子は、一人もいなかったな。

 とてもクラスに馴染めているとは言えなかった。

 いじめられているわけじゃなかったけど、誰からも相手にされない、距離を置かれる、避けられる、というのはある意味いじめより辛いことなのかもしれない。

 もちろん、それも悪意があったわけじゃなくて、どう接していいのか分からなかっただけなんだろうけど。

 私は、休み時間も放課後も一人ぼっちだった。

 いつも一人で本を読んでいたっけ。

 クラスで係りを決めるときや、遠足などの班分けでは、私はいつも人数の足りないところに、お情けで入れてもらうという感じだった。

 今よりもっと理解の少ない時代だったから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 ただ、外国人にも障害者にも慣れておらず、付き合い方が下手なだけなんだろう。

 私は避けられてはいたけど、冷遇されていたわけじゃないから。


 とまあ、そんな感じで学校に馴染めないまま、一学期が終わろうとしていた頃。

 いつものように一人で下校していた私は、帰り道で一匹の子犬に出会った。 

 首輪はしていなかった。

 毛並みも整っておらず、犬種はよく分からない。

 粗末な小さな箱に入れられて、雨に濡れたままの汚れた姿で、甘えた声で鳴いていた。

 私はその可愛らしさに微笑みを浮かべ、小さな頭を優しく撫でる。

 すると、子犬は私の顔をじっと見上げて、箱から這い出してきた。

 そうして嬉しそうにしっぽを振って、私の後をついてくる。

 ヨタヨタと一生懸命についてくる姿が可愛くて、私は思わず抱き上げてしまう。

 生き物を飼うということがどういうことか理解していなかった私は、可愛いから、なんて安易な気持ちだけで連れて帰ってしまった。

 当然、子供がいきなり犬を拾ってきたりしたら、親は飼うことに反対するだろう。 

 でも、父の答えは意外なものだった。

 私の腕に抱かれている子犬を見て、しばらく思案していた父は、

「いいよ。

 その代わり、しっかり責任を持って面倒見るんだよ」

 なんて、あっさり了承してくれた。

 私は嬉しくて、跳び上がって喜んだ。

 父が何故、犬を飼うことを許してくれたのか。

 それは、私が学校に馴染めていないのを知っていたから。

 少しでも私が笑顔になれば、なんて思ったからなんじゃないかな。

 まあ、当時の私にそんな父の思惑なんて想像できなかったから、可愛いから許してくれたんだろう、としか思わなかったけど。

 もちろん、父の思惑はそれだけじゃなかった。

 生き物を飼うということがどういうことなのか、身を以って知ってもらうためでもあるし、命の大切さや責任の重さを学ばせるためでもあったんだろう。

 でも父の思惑は、実はもっと深いところにあった。

 それを知るのは、ずっと後の話になるんだけど……。

 私は、この子に「リン」という名前を付けた。

 名前を呼んであげることができない私は、いつも小さなハンドベルをリン、リンと鳴らして彼を呼んでいたから。

 今考えてみれば男の子にリンだなんて、少し可愛すぎる名前だったかもしれない。

 黒と灰色が混ざりあったボサボサの毛並みではあったけど、私の後を一生懸命についてくる姿が可愛くて、私はすぐにリンのことが大好きになった。

 ふわふわで、もこもこで、柔らかいぬいぐるみのような子犬。

 でも、ぬいぐるみの温もりとは決定的に何かが違う。

 初めて感じる心地好い温もり。

 それがきっと、生きているということなんだろうと、子供ながらに思ったものだ。


 私は学校が終わると、すぐに家に帰ってくる。

 リンを連れて散歩に行くのが、日課になったから。

 私は散歩の時間が、いつも楽しみで仕方がなかった。

 それは彼も同じようで、散歩に誘うと嬉しそうに尻尾を振って跳びついてきた。

 夕焼け色に染まった町を、リンと一緒に歩く。

 大きな川に架かる青い橋の上に来ると、私は決まって立ち止まって、夕陽を眺めた。

 川面に映る夕陽がキラキラと光って、宝石の川を見ているみたい。

 気付けばリンが隣にいて、一緒にこの景色を見ていた。

 彼もこの景色を見て、綺麗だなんて思っているんだろうか。

 私は、そんなリンの横顔を見るのが好きだった。

 写真のような一瞬の世界を共有しているようで、何だか少し嬉しかったから。

 父の思惑通り、リンが家に来たことで、私は少しずつ笑顔を取り戻していく。

 一人では決してたどり着けなかった、ささやかな幸せ。

 それを私に教えてくれたのは、まぎれもなく彼だったんだろう。

 そんな、ある日のこと。

 いつものように、リンと散歩をしている時だった。

 大通りの向こうから、見知った顔が歩いてきた。

 クラスメイトの男の子と、その母親。

 脇には、毛並みのいい大きな犬を連れている。

(………)

 私が立ち止まって、男の子と彼の母親に会釈すると、

「よう、お前んちも犬飼ってたんだな。

 名前は何ていうんだ?」

 なんて、生意気盛りの言葉遣いで彼が聞いてくる。

 話し掛けられるなんて思わなかったから、私は少し驚いていた。

 学校では、みんなに距離を置かれていたから。

 きっと母親と一緒だったから、彼も話し掛ける気になったんだろう。

 私はポケットからノートを取り出して、小さく「リン」と書いて見せる。

「僕んちのは、レオっていうんだ。

 ゴールデン・レトリバーなんだぜ」

 私は正直、犬種のことなんてよく分からなかった。

 でも、男の子が自慢げに話すから、きっとすごい犬なんだろうとは思った。

「お前んちのは?」

 聞かれて、私は困ってしまう。

 考えたこともなかったけど、リンって何犬なんだろう。

 結局、私は首を傾げて、分からないと応える。

「ふうん」

 それに対して男の子も、拍子抜けしたように言う。

 彼としては、自慢合戦がしたかったんだろう。

「じゃあな」

 もう行くよと、片手を上げて私の横を通り過ぎる。

 その時、彼の母親が口にした囁きを、私は聞き逃さなかった。

「あれは、雑種っていうのよ」 

 蔑むように紡がれた言葉に、心がチクリと痛んだ気がして、私はしばらく動けなくなってしまう。

(………)

 私は、考えていた。

 はたして、それは「誰」に向けられた言葉だったのか、と。

 雑種……。

 血統ではなく、混血の生まれであるという、差別用語。

 それは、きっとリンを指しての言葉だったんだろう。

 でも、私にはそれが他人事とは決して思えなかった。

 何故なら、私もリンと同じで「ハーフ」だったから。

 幼いながらも、自分は他人とは違うと理解していたから、そんな風に思えてしまったんだろう。

 とにかく、雑種という差別用語は私に大きなショックを与えた。

 それが、リンにだけ向けられた言葉だったのか、私にも向けられた言葉だったのか、そんなことはどうでもよかった。

 どちらにしても、心のどこかで差別をしているから、そんな言葉が出た。

 その事実が、とても悲しかった。

 とはいえ、雑種という言葉に必ずしも差別的な意味があるわけじゃない。

 誰もがリンをそんな風に見ているわけじゃない。

 誰もが私を差別しているわけじゃない。

 それでも、小学生の世界観なんてちっぽけなもので、一度そうと決め付けてしまったからには変えられない。

 結局、私を見る目は変わらない。

 きっと、それは一生変えられないことなんだろう。

 それがハーフとして、障害者として生まれた、私の人生なのかもしれない。

 その日、私は初めて差別という言葉の意味を知ったような気がした。

 両親の口から度々耳にすることはあったけど、それがどういうものか、よく分かっていなかったんだ。

 当時はちょっとしたペットブームで、テレビや雑誌で盛んに血統書という言葉が取り上げられていたためか、誰もが血統書付きのペットに固執していた気がする。

 それと同時にこのブームは、それまで血統なんて気にも留めていなかった人々に、雑種に対する偏見という、負の感情まで植え付けてしまった。 

 もちろん、全ての人が雑種に対してそんな風に思っているわけじゃない。

 でも、そんなときに私はリンを拾ってきた。

 私自身も学校に馴染めていなかった、ちょうどあの頃に。

 おそらく父は一目見て、リンが雑種だと分かったんだろう。

 勘の良い父は、雑種だから捨てられたのかもしれない、と思ったんじゃないかな。

 だから、父はリンを飼うことを許してくれた。

 もちろん、私とリンが似たもの同士だから、飼うことを許したわけじゃない。

 この子犬を見捨ててしまったら、自分も差別する人間と同じになってしまう、と思ったからじゃないかな。

 差別されたくなかったから、差別しなかった。

 自分は受け入れた。

 だから、みんなも娘を受け入れてほしい。

 それが父の想いであり、願いでもあったんだろう。

 でも、当時の私はそんなこと考えもしなかったから。

 その出来事はとても悲しくて、ショックで……。

 それ以来、私はリンの散歩に行かなくなってしまった。

 一緒にいるところを見られたら、きっとリンは雑種だと笑われる。

 一緒にいれば、私も差別される。

 差別という言葉の意味を知ってしまった私は、それ以来とても臆病になってしまった。

 リンと遊ぶのは、狭い庭の中でだけ。

 世話もほとんどやらなくなっていった。

 子供とはいえ、無責任だったな。

 父との約束も破ってしまったし。

 世話を避けているうちに、リンのことがだんだん嫌いになって……。

 いや、違う。

 リンのことが嫌いになったわけじゃない。

 本当に嫌だったのは、怖かったのは、私自身が差別されてしまうことだったのに。

 とにかく、私はリンが家に来る前の私に戻ってしまっていた。

 どうせ、誰も受け入れてくれない。

 心の中で、みんな私を差別しているんだ。

 なんて、幼心に決め付けてしまっていた。

 一人ぼっちでいなきゃいけない、と。

 一人ぼっちでも寂しくなんかない、と自分に言い聞かせていた。

 本当は寂しかったけど、今までのように我慢するしかないんだと思っていた。

 心の中はいつも悲しくて、怖くて、モヤモヤした気分でいっぱいだった。

 やがて、私はリンとも遊ばなくなっていった。

 学校から帰ると、部屋にこもって本を読んだり、一人遊びをしたり。

 リンの姿は、窓から見つめるだけになっていた。

 いつもリンは、くーん、くーん、と寂しそうに鳴いていた。

 まるで、私を捜して泣いているようだった。 


 リンが家に来てから半年が過ぎた頃だろうか。 

 ある日、最近リンに元気がない、と母から聞かされた。

 私が遊ばなくなったからじゃなくて、本当に病気みたいだった。

 最近は窓から姿を眺めるだけで一緒に遊ぶこともなかったから、私は驚きと共に大きなショックを受けた。

 急いで駆け寄ると、確かにゼエゼエと苦しそうに呼吸をしている。

 ……私が、ちゃんと見てなかったからだ。

 自分のせいだって思って、涙が出そうになった。

 顔を真っ赤にして俯いていると、リンは私の顔をペロペロと舐める。

 そうして嬉しそうに尻尾を振って、じゃれ付いてきた。

 よっぽど、嬉しかったんだろう。

「僕は元気だから、心配しないで遊ぼうよ」と言っているようだった。

 私は、そんなリンの姿を見て泣いた。

 言葉にならない声を出して、泣いた。

 それが、あまりに大きな泣き声だったから、驚いて父も母もやってきた。

 私は泣きながら、何度も何度も小さなベルを鳴らしていたらしい。

 その日、私は夜遅くまでずっとリンの傍を離れなかった。

 結局、私が臆病だっただけなんだ。

 雑種が差別される風潮から、自分も差別されるんじゃないかって思ってしまった。

 そうしてリンを避け続け、責任を放棄した結果、こんな状態になるまで気付いてあげられなかった。

 私はリンを雑種だと差別した人間と、どこが違うんだろう。

 私もリンを差別していたんだ。

 謝って、そう簡単に許されることじゃない。

 今の私だって、当時の自分はとても許せない。

 それでも、両親は私に何も言わなかった。

 私にはもう、分かっていたから。

 差別は、とても悲しいことなんだって。

 それから、すぐにリンを動物病院に連れて行った。

 私は、診察を待っている間とても不安だった。

 待合室には、血統書付きの立派な犬ばかりだったから。

 リンのことをちゃんと診てくれないんじゃないか、なんて思っていた。

 でも、先生は他の犬と同じようにリンを診てくれた。

 雑種だからって差別なんかしなかった。

 当たり前のことなんだけど、当時はとても嬉しかったな。

 先生は詳しく説明してくれたけど、難しい話はよく分からなかった。

 後から知ったんだけど、リンの病状は思ったより深刻だったようだ。

 どうも、生まれつきそれほど丈夫な体ではなかったらしい。

 父も母も隠していたけど、そんなに長生きはできないとのことだった。 

 診察が終わって、心配そうにリンを見つめる私に、

「大丈夫だから、一緒に帰ろう」

 と言って、優しく頭を撫でてくれた父。

 それでもまだ不安だったけど、リンが頬をペロリと舐めてくれたから、私は笑うことができたんだ。


 それからの私は、いつもリンと一緒だった。

 散歩に誘うと、リンは嬉しそうに尻尾を振ってついてくる。

 そんな時だけは、私は珍しく笑顔でいられた。

 これからは、何があってもずっと一緒にいようと、そう思っていた。

 それなのに……。

 リンの体調は思わしくなかった。

 元気そうに見えたけど、それは私と一緒のときだけに見せた、彼の強がりだったのかもしれない。

 病院に連れて行くのも、週に一度のペースになっていた。

 元気なのにどうして病院に連れて行かなくちゃいけないのか、私はいつも疑問だった。

 とはいえ、その疑問が晴れるのに、そう時間は掛からなかった。

 いつの頃からか、私と一緒にいるときでさえ、元気がなくなっていたから。

 この頃の私は、学校が終わるとすぐに帰ってきて、リンの傍にいるようにしていた。

 たとえ僅かな時間でも、離れるのが心配だったから。

 それでも……。

 そんな日が数ヶ月も続かないうちに、リンはこの世を去った。

 私がちょうど学校に行っている間に、静かに目を閉じて、天国に旅立っていってしまったらしい。

 結局、最期までリンは、私の前では苦しむ姿を見せなかった。

 リンの身体には、まだ温もりが残っていた。

 まるで、眠っているかのように。

 でもいくら撫でても、ベルを鳴らしても、彼は応えない。

 それが悲しくて、理解できなくて、理解したくなくて……。

 私は泣いた。

 大粒の涙を流しながら、大声を上げながら、何度もベルを鳴らしながら。

 そんな私を、母は優しく抱き締めてくれた。

 その後のことは、よく覚えていない。

 とても悲しかったから、思い出したくないだけなのかもしれない。

 とにかく、私は一晩中泣いていたらしい。

 振り返ってみれば、僅か一年だ。

 リンが私と共に在った時間は、人間の寿命からすれば、とても短いものだった。

 しかも、私は途中からリンのことを避けていたから、実際はもっと短い時間だったんだろう。

 その僅かな時間でさえ、惜しい。

 今でも、後悔している。

 私がリンを避けていなければ、もう少し長く一緒にいられたはずなんだ。

 それでも、時間は戻せない。

 いくら後悔しても、リンは帰ってこない。

 だから、当時の私にできることと言ったら、ただ涙を流すことだけだった。


 リンがいなくなって。

 家に篭りがちになっていた私は、母によくお使いを頼まれるようになった。

 誰とも会話することなく、学校が終わるとすぐに帰ってきて、部屋で一人遊びをする毎日……。

 そんな私を変えようと、無理にでも外に連れ出したかったんだろう。

 買い忘れたものがあるから買ってきて、なんて理由を付けては、母は毎日お使いを頼んできた。

 正直な話、私はあまり外に出たくなかったし、人と話もしたくなかったから、お使いが大嫌いだった。

 行きたくないと駄々をこねるも、最後には母に少し強めに言われ、渋々ながらも家を出る。

 母の思惑としては、お使いを通じて私に人と話す機会を与えたかったんだろうし、何かを一人でやらせることで自信を持たせたかったんだろう。

 でも、私は人と会話することを頑なに拒んでいたから、目的の店に着いても一言も話さず、ただメモだけを見せていた。

 少しでも早く、その場から立ち去りたいという気持ちでいっぱいだったから。

 店の人に話し掛けられても何も答えず、品物を受け取ると逃げるようにその場を立ち去る。

 そんなお使いの仕方だったから、母の思惑なんて通るはずもなく。

 誰もが、そんな私を見て不審に思っていたに違いない。


 二学期が始まって。

 相変わらず塞ぎがちだった私は、男子によくからかわれるようになった。

「外人」と罵られたり、ノートを馬鹿にされたり、持ち物を隠されたり……。

 私が言葉を話せないのをいいことに、だんだんとエスカレートしていく嫌がらせ。

 初めはささやかな抵抗をしていたんだけど、それも次第になされるがままになって、私はどんどん無気力になっていった。

 私の居場所なんて、やっぱりどこにもないんだ……。

 なんて、リンが家に来る前の自分に、再び戻ってしまっていた。 

 そんなある日のこと。

 日直の仕事で帰るのが遅くなった私は、自分の下駄箱を見て深いため息を吐く。

 また靴が、ない。

 男子たちがどこかへ隠したんだろう。

 もう、慣れたものと私は特に騒ぎもせず、どうしようか考えていた。

 この頃は、いちいち探すのも面倒になってきていたので、上履きのまま帰ったこともある。

 どうせ、子供のする悪戯。

 明日には、返されているんだから。

 私は今日も探すことなく、玄関を上履きのまま出て行こうと、

「……靴、ないの?」

 遠慮がちに掛けられた声に、振り返る。

 誰もいないと思っていた、夕暮れの玄関。

 吹き抜けの窓から差し込む夕陽は、赤いスポットライトのように、そこに立つ人物を照らしていた。

 長い黒髪に青いリボンが可愛い、クラスメイトの女の子。

 名前は、山咲優子。

 性格は明るい方ではなく、物静かな子だったと思う。

 私は少し驚いていた。

 物静かだと思っていた子に声を掛けられたから、というのももちろんあるけど、それ以上に、私なんかに関心を持ったことに驚いたんだ。

 私が男子にからかわれていることは、クラスの大半の女子が知っているはずだった。

 にもかかわらず、助けてくれないのは、きっと私に関心がないからだと思っていた。

 でも彼女は、

「男子に隠されたのね」

 と、確信を持った強い瞳で言った。 

 普段は大人しいのに、こんな顔もできる子なんだ。

 一体、この子は何に対してそんなに怒っているんだろう。

 なんて、私はまるで他人事のように考えていた。

 当時の私は、それが何に対する怒りなのか理解できなかったから。

 後で分かったことだけど、私が男子にからかわれていることを、彼女はいつも気にしてくれていたらしい。

 優子ちゃんはそれっきり何も言わなかったけど、私の靴を探してくれた。

 そんな優子ちゃんに対し、私は探す振りをしながらずっと彼女のことを見ていた。

 彼女の行動に対してどう反応していいのか、分からなかったから。

(どうせ見つからないからもういいよ)とも言えず、(ありがとう)とも言えず、ただただ時間だけが流れていく。 

 あのときの私は何を考えていたんだろう。

 嬉しかったのか、余計なお世話だと思ったのか、どうでもいいから早く帰りたいと思ったのか……。

 とにかく、その行動が理解できなくて、ただずっと彼女の背中を見つめていた。

 私のために、ということを私自身が理解できなかったから。

 結局、その日は靴を見つけることができなかった。

 陽もすっかり暮れ、空に星が浮かぶ頃になって、彼女は言う。  

「……ごめんね、見つからなくて」

 私はその言葉に驚いてしまう。

 彼女が、私に謝罪をしたから。

 謝る必要なんてないのに。

 私は感謝こそしても、責めるつもりなんてないのに。

「ごめんね」

 彼女は泣いていた。

 見つからなかったことが悔しいんじゃなくて、私に対して力になれなかったことが申し訳なくて、泣いていた。

 そのときになって初めて、彼女が私のことを気遣ってくれていたことに気が付いた。

 だから、無意識に行動に移せたんだと思う。

 何故かは分からない。 

 ただ、彼女の行為に対して、私もノートに書いた文字じゃなくて、ちゃんと自分の口で伝えなきゃいけないと思ったから。

 彼女の手をとり、私は不器用ながらもゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ありがとう」って。


 その日から。

 優子ちゃんは、私が男子に何かされているとすぐにやってきて、一緒に立ち向かってくれた。

 大人しい性格の子だったけど、勇気を出して私と一緒に戦ってくれた。

 優しくて頼もしい、初めての友達。

 悪戯されたり、してやったり。

 泣かしたり、泣かされたり。

 振り返ってみると、あの頃は毎日がハチャメチャで、楽しかったな。

 彼女といれば、自然と笑顔でいられた。

 でも……。

 どうしてだろう。

 彼女と一緒にいても、とても悲しくなる瞬間がある。 

 それは、いつもの帰り道。

 決まって、この道を通るとき。

 大きな川に架かる、青い橋の上。

 リンと一緒に歩いた道。

 リンと一緒に眺めた夕陽。

 川面に映る夕陽がキラキラと光って、宝石の川を見ているみたい。 

 気付けばリンが隣にいて、一緒にこの景色を見ていて……。

 私はここに来ると、いつもとても切ない気持ちになる。

 どんなに楽しいことがあった日でも、悔しいことがあった日でも、必ずいつも同じ気持ちになる。

 それは、私がまだ幼いから?

 私がリンの死を受け入れられないから?

 それとも私が、未だに「一人ぼっち」だから?

「どうしたの?」

 連れだって帰る彼女に、声を掛けられる。

(ううん、なんでもない)

 私は首を振って、なんでもない風に装う。

 そうだ、今の私には友達がいるじゃないか。

 だから、悲しいことなんて何もないんだ。

 私はそう自分に言い聞かせて、いつものようにその場所を後にした。


 彼女と親しくなってから、周りの女子との関係も次第に変化していった。

 それは、ある日の授業中のこと。

 隣の席の女子から、小さく折りたたまれた紙切れをこっそり渡される。

 何だろう、と思って開いてみると、優子ちゃんからの手紙だった。

 可愛らしい兎の絵と共に、「今日みんなと一緒に遊びに行こう」と書かれている。

 私はちらりと、離れた席の優子ちゃんを見る。

 優子ちゃんは、したり顔でニコニコとしていた。

 どうしてわざわざ授業中に、と思ったけど、すぐに返事を出さなきゃいけないような気がして、ノートに「いいよ」と書いて綺麗に折りたたむ。

 それを隣の女子に渡すと、彼女は先生が黒板に字を書いている瞬間を見計らって、手紙を隣の女子へと渡す。

 渡された女子も、やっぱり先生が見ていない瞬間を見計らって、また隣の女子へ渡す。

 そうして、あっという間に私の返事は優子ちゃんの元へ。

 受け取った優子ちゃんは「やったね」、みたいな笑顔を見せて、手紙の内容を確認していた。

 先生に見つかると思ってドキドキしたけど、秘密のやり取りみたいで楽しかったな。 

 それから、授業中に手紙を回すのが、女子の間で流行った。

 今まで話したこともなかった女子とも手紙を交換したり、遊ぶ約束をしたり。

 今にして思えば、言葉を話せない私を何とかみんなと仲良くさせようと、優子ちゃんが考え出したことなのかもしれない。

 私との会話は、いつもノートを介してのワンテンポ遅れたやり取りではあったけど、みんな私のテンポに合わせてくれた。

 気付けば私はみんなの輪の中にいて、除け者にされることはなくなっていた。

 いつも、優子ちゃんをはじめとする数人のグループで遊ぶようになっていた。

 他の女子とも仲良くなって、いつの間にか女子対男子の構図のリーダーに祀り上げられていたこともあったっけ。


 初めてできた親しい友達。

 山咲優子ちゃん。

 いつだって私たちは一緒だったし、これからもずっと一緒だと思っていた。

 二人でなら、どんなことも乗り越えていけるような気がしていた。

 でも、楽しい日々は長くは続かなかった。

 二学年の終わりと同時に、彼女は別の小学校に転校するんだそうだ。

 引越しの前日、私たちは橋の上で夕陽を眺めていた。

 彼女が初めて声を掛けてくれた日と同じ真っ赤な夕陽が、彼女の頬を照らす。

 私は何も伝えられずに、ただ彼女の横顔を見ていた。

 振り返ってみれば、彼女には色んなものをもらった気がする。

 それは、笑顔だったり、優しさだったり、温もりだったり……。

 家族以外と、初めて指切り約束をしたのも彼女だ。

 長さにしてみれば僅かな時間だったけど、それはどれも大切な思い出だった。

 彼女がいなければ、今の私はなかっただろう。 

 彼女にはとても感謝している。

 だから、笑顔でさようならしよう。

 でも……。

 私は、泣いてしまった。

 別れの言葉ではなく、行かないでという我侭でもなく、感謝の言葉でさようならしようと、何度も自分に言い聞かせていたのに。

 最後の最後で、私は自分の我侭から泣いた。

 これから先のことを考えると寂しくて、怖くて泣いていた。

 そんな私を見て、優子ちゃんは私の手を優しく握る。

 そうして、大事にしていた青いリボンを私の髪に結んで言った。 

「……ごめんね」、と。

 あの時と同じように、私を気遣うように。

 優子ちゃんは、いつだって私を思ってくれていた。

 私に色んなことをたくさん教えてくれた。

 それなのに……。

 私は、彼女に何もしてあげられなかった。

 今だって、自分勝手な理由で泣いている。

 泣きたいのは、彼女だって同じなのに……。


 やがて、私は三年生になった。

 一つ学年が上がって、クラス変えがあって、新しい一年生が入ってくる。

 でも、優子ちゃんはどこにもいなくて……。

 寂しかった。

 リンがいなくなって。

 そして、優子ちゃんもいなくなって。

 私はまた、一人になってしまったから。

 友達は他にもいるけど、心に空いた穴は埋められない。

 とてもとても大きな穴だから、埋められない。

 私は、一人ぼっち……。

 そんな憂鬱な気分で迎えた、春のある日。

 三年生になって初めての全校集会は、体育館で行われた。

 今日は「一年生を迎える会」だ。

 先に行われた入学式は、新一年生と係りの生徒だけしか出席しなかったから、在校生のほとんどは、今日初めて新一年生と顔を合わせることになる。

 たくさんの新しい生徒。

 緊張しているのか、落ち着かない雰囲気の一年生。

 私も昔はあんな感じだったのかな、なんて思い浮かべてみる。

 と、思い出そうとして私は少しだけ嫌な気分になった。

 当時の私は、みんなに奇異の目で見られていたから。

 でも、そんな私の思いはすぐに打ち消されることになる。

 ざわつく体育館に、突如としてピアノの音が鳴り響いたから。

 私が一年生の時に、こんなイベントあったっけ。

 去年もきっとあったはずなんだけど。

 たった一年、二年前のことなのに、思い出そうとしても思い出せなかった。

 今振り返ってみても、六年間毎年行われていたはずの一年生を迎える会を、全く思い出せない。 

 覚えているのは、小学三年生の時にあった一年生を迎える会、だけ。

 この年の一年生を迎える会は、当時の私にとって特別なものだったらしい。

 舞台の上にいる六年生が歌い始めたのは、聞いたことのない歌だった。

(……あ)

 その歌は、優しくて、温かくて……どこか懐かしさを感じさせた。

 歌詞が良かったのか、メロディが良かったのか、身振り手振りを交えて歌っていたのが良かったのか、何に惹かれたのかは分からない。

 分からないけど……。

「ねえ、大丈夫?」

 友達が心配そうに声を掛けてくる。

 私は、泣いていた。

 知らず、胸が熱くなっていた。 

 頬を伝う涙の熱さで気が付く。

 自分でも理由は分からないけど、私は泣いていた。

 声も上げず、ただじっと、舞台の上で合唱する生徒を見つめながら。

 心に空いた穴を埋めていくように、熱いものがじんわりと広がっていく。

 こんなことは、生まれて初めてだった。

 歌を聞いて、激しく感動して、泣いてしまうなんて……。


 ……そう。

 それが、始まりだった。

 私が歌に興味を持ち始めたのは、この頃から。

 私が前向きに変わり始めたのは、この頃から。

 名前も知らない歌だけど、私を変えた「きっかけ」は、まぎれもなくこのときに聞いた歌だった。

 それからの私は、ただただ歌に夢中になっていった。

 夢中になれることを見つけた私は、少しずつだけど、自分に自信を持てるようになっていった。

 みんなの輪の中に入っていこうと、積極的に行動をするようになった。

 以前の私からは想像もできない、今の私。

 その変化に、私自身が一番驚いていた。 

 もちろん、両親も驚いていただろうし、何より嬉しかったんじゃないかな。

 今までずっと、自分の居場所に疑問を持って生きてきたけど。

 やっと、自分の居場所を見つけられたような気がする。

 自分の居場所は、自分で見つけるもの。

 久藤アリア。

 それが、私の名前。

 母が付けてくれた名前だ。

 思えば、「アリア」というのは音楽用語。

 歌との出会いは、偶然じゃなかったのかもしれない。

 私は、母の歌う歌が好きだった。

 最近は聞いてないけど、小さい頃はよく寝しなに歌を聞かせてくれたっけ。

 でもいつの頃からか、私の顔を見ると悲しそうな顔で歌うようになって……。

 だんだんと、私の前では歌わなくなっていった。

 もしかしたら、母は私と一緒に歌を歌いたくて、アリアって名前を付けたのかもしれない。

 だとしたら、こんな風に生まれてしまって、母には申し訳ないと思う。

 だって、母が悪いわけじゃないんだから。

 私がハーフだということも、言語障害者だということも。

 私は、大丈夫。

 初対面の人には、二重に差別されてしまうこともあるけど、慣れてしまえば何てことはない、些細な問題だから。

 私をハーフとして見る人は多かったけど、それ以上に私を理解してくれる人がいたから、ちっとも辛くはなかった。

 私を障害者として見る人は多かったけど、それ以上に私には友達がいたから、ちっとも悲しくはなかった。

 私はもう、一人ぼっちじゃないから。


 春。

 中学生になった私は、相変わらず目立っていた。

 でも、私はあまり心配していなかった。

 中学校の場所が小学校から近かったおかげで、私のことを知っている生徒ばかりだったから。

 ハーフであることも、言語障害者であることも、周りの人は理解してくれていた。

 辛い思いをしたこともあったけど、中学校の三年間は、私に大切な思い出をたくさん与えてくれた。

 その中でも特に印象に残っているのが、毎年あった合唱コンクール。

 校内全体で行われ、学年ごとの課題曲と各クラスで選んだ自由曲を発表する、秋の一大行事だ。

 この行事をきっかけに、私は合唱が好きになっていった。

 でも、はっきり言って当時の私は相当音痴だったように思う。

 障害のせいもあるけど、幼い頃からほとんど話すことのなかった私は、発声に慣れていなかったためか、言葉の発音も下手だったし、イントネーションも変だったから。

 耳でリズムは覚えても、それに口が追いついていかない、といった感じだろうか。

 みんなの輪の中で歌う以上、うまく発音のできない私は、どうしても自信のない部分は小さい声で歌ったり、歌わなかったりして、合唱の妨げにならないよう必死だった。

 最初のうちは、みんな私の方ばかりをチラチラ見ていて、とても練習どころではなかった。 

 それでも、私の障害を知って暗黙のうちに了承してくれたらしい。

 私を追い出そうとする人は、誰もいなかった。

 いくつかの候補の中からみんなで選んだ自由曲は、課題曲よりも思い入れが強く、練習も熱が入っていた。

 当時歌った自由曲は、今でも覚えている。

 一年生の時に歌った、「時の旅人」。

 初めての合唱でうまく歌えなくて、毎日遅くまで練習した、混声三部合唱曲。

 発表の後の達成感と感動は、言葉にできないくらい素晴らしいものだった。

 二年生の時に歌ったのは、「あの素晴らしい愛をもう一度」。

 フォークソングでありながら、切ない歌詞とメロディが幅広い世代の心に染みる、混声三部合唱曲。

 懐かしさに、目元を潤ませていた親御さんたちもいたみたい。

 そして、三年生の時に歌った「遠い日の歌」。

 パッヘルベルのカノンのメロディを思わせる、混声三部合唱曲。

 終曲部の「ラララ……」で歌うところは、中学校生活の様々な思い出が蘇り、胸が熱くなった。

 振り返ってみれば、私の居場所は常に歌と共にあった。

 合唱というみんなとの繋がりの中、私は私でいられた。

 歌うことで、みんなが認めてくれる。

 歌うことで、みんなが受け入れてくれる。

 私にとって、歌は全てだった。

 歌しかなかったから、夢中でいられた。


「それまで」の私は、そう信じて疑いもしなかった。

 それが間違いであると、気付かなかった……。


ターニング 前編の終了です。

気に入っていただけたら、後編もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ