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◯
劇場の中は、もう人で埋まっていた。
一番後ろにある狭い空間になんとか立つ。老若男女が混在し、同じ場所を凝視している。僕は、その頭の隙間から舞台を垣間見た。まだ、照明は落ちたままだ。間に合ったのだと安心して息を吐く。
——「神」が、すぐ近くにいる。
そう意識してしまうと、それだけが僕の頭の中を占めていった。足が勝手に震える。じっとしてられなかった。「神」、それが、本当にそこにいるのだ。多分、「神」がいる。
——……多分? なぜ、僕はそう思った?
間違いなく、ここにいるはずなのに。確信できることのはずなのに。どうして、僕は、多分だなんて…………。
わぁ、と歓声が聞こえ、僕は慌てて舞台に視線を戻す。いつの間にか、俯いていた。
「——かつて、この世界には龍がいた」
もう「神」が等々と語り始めている。天井からの光を一身に受けて、広い舞台を持て余し、観客に背を向けたまま、孤独にそこに立っていた。
僕は目を凝らして、その姿を捉える。「神」は、人間と同じ大きさだった。その顔はまだ見えない。それでも人々は、そのすべてを見逃さないように、息を詰めている。
「神」の服がふわりとなびく。一瞬遅れて、ようやく振り向いたのだと気づいた。足音はまったく鳴っていない。代わりのように、人々の拍手が劇場に響いた。
長いお辞儀から、「神」が顔をあげる。「神」は黒い髪で片目を隠し、大きなマントを羽織っている。タイツに包まれた足が、そのスカートから伸びていた。まるで、十代の、その辺にいる若者のようで、どこも僕と何も変わらない。そう僕は、その時、その生き物を人間のようだと思った。
カツン、と音が響いた。観客が息を呑む。「神」のようなそれは、一歩ずつ踏み出し、舞台を進んでいく。そして、僕らに向けて手を差し出した。その指先に、視線が集まる。
「龍は、災害をもたらし、人々は苦しみに喘いだ」
その言葉とともに、指先から動き始めた。水が流れるように、「神」の体が動く。吐息さえ聞こえないような、完璧な無音のなか、響くのは、「神」の声だけだった。
急に鳥肌がたつ。そうだ、声が、聞こえてる。こんなに大きな劇場の最後尾にいるというのに、声を張り上げてる様子も、「ラジオ」が近くにあるわけでもないのに、声がはっきり聞こえている。舞台にいる「神」は、親指くらいの大きさにしか見えないのに、耳に直接囁かれているみたいに、一つの欠けもなく言葉が届いている。
「龍は、未知の力の塊であり、それに触れることはできなかった。それは、『神』であるボクにも同じことだ」
「——だから、『共存』の道を選んだ」
髪で隠してないほうの目が、漆黒に輝いた。こんなに遠いのに、なぜかその瞬きまで見えた気がした。
仰々しく動く手から、その足から、目が離せない。
「神」は、間違いなく身一つだ。光の加減も、何も変わっていない。その存在だけで、これだけ多くの観客の視線を釘付けにしている。
「ボクの国が誇る機械技術、そのエネルギーは、ボクが城に封印した龍によってまかなわれている」
「龍は、君たちの生活の糧となり、ボクらと『共存』し続けている。ゆめゆめ、彼に敬意を忘れぬよう」
黒い眼が、一際大きく光った。
「——そして、忘れぬよう。ボクの国民を害するものがいるならば、ボクはそれを逃しはしない。寛大な『共存』を達成できた龍は、幸運である、と」
割れんばかりの拍手が鳴った。
話してる内容で、感動している人なんて誰もいない。ただ、あの「神」に夢中になっている。
物語なんて、無くてもいい。立っているだけで、小さく動くだけで、人々はこれを称賛し、歓喜するのではないか。そんな妄想が頭を掠めた。それほど、「神」は魅力的だった。息を呑むほど、瞬きを忘れるほど、見惚れてしまう。それは、見た目が美しいとか、目立つ風貌であるとか、そういうわけではない。ただ、惹きつけられてしまう。光に群がる虫のように、本能的な何かで、僕らはこの「神」を目で追っている。
あれは、人ではない。確実に、それを超えた何かを持っている。だから、「神」なのだ。周りの喧騒に圧倒されながら、僕はそれだけを思った。
——でも、やっぱり……。
僕は「神」の背後で舞台のセットが組み上がっていくのを見ながら、それでも拭えない違和感を持て余していた。
深黒の瞳が、こちらをみているなんて気がつきもせずに。




