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 この国は、夜も明るい。


 国立劇場という場所に向かいながら、僕は空にある灯りに目を向けた。どういう原理なのかはわからないが、夜になるとひとりでに灯っていくそれは「街灯」というらしい。


 ——店を出て、左。あとは行けばわかる。

「恩人」さんのその言葉を頼りに、僕はゆっくりと進んでいく。公演は毎日、昼と夜。十二時の鐘と共に始まる。さっき十一時の鐘に合わせて店を閉めたところだから、まだ時間には余裕があった。


「行けばわかる……」

 そう言われたけれど、僕は少し不安だった。


 何せ、今まで一人で出かけたことなんてほとんどないのだ。いつもは「恩人」さんがついてきて道案内をしてくれるのに、今日は明日の仕込みがあるからと断られてしまったのだ。


 ——大丈夫、すぐわかるよ。

 と彼は笑っていたが、看板もない道で何がわかるというのだろう。簡単だというなら、横着しないで道のりを教えて欲しかった。


 思わず小さなため息をついたとき、僕は自分以外の足音が聞こえることに気がついた。


 いつの間にか、前にも後ろにも人がいる。そして揃って同じ方向へ向かっていた。僕はその集団の一部になっていたのだ。


 僕はあたりを見回す。小さな子供はいないけれど、幅広い年代の人々が列をなしていた。みんなたったひとつの方向へ、熱狂的な目線を向け進んでいる。


 その足並みはどんどん速くなっていく。僕は足がもつれてついていけなくなり、逃げるように集団から抜け出した。道の端に立ちどまり、振り返ると人波が遥か遠くまで続いていた。


「……行けばわかるってこういうことか」

 なるほど、彼らが向かう先に、国立劇場があるのだ。「恩人」さんの物言いにようやく納得する。どんな説明をされたって、この波に乗って進むしかない。


 道の端から、体を細くして集団に戻る。一瞬身構えたけれど、速足で歩けば着いていける速さだった。


 ふと、周りにいる人の顔を伺う。みんな待ちきれないといった顔で道を進んでいた。服装から、そのほとんどがこの国の市民であることがわかる。これまでもこれからも、「神」の公演を観ることができるはずの人々だ。それなのに、彼らは我先にと押し合うように、劇場へと向かっていっている。


 ——そんなに、この国の「神」が好きなのだろうか。

「きゃっ!」

「え、わあ!」


 ぼうっと考えながら歩いていたら、誰かにぶつかられた。僕の背中に激痛が走る。転びそうになったけれど、なんとか足を踏ん張り耐えた。列の流れを止めている僕らの脇を、人々が速足で通り過ぎて行く。


「ご、ごめんなさい。大丈夫?」

「あ、うん、大丈夫」


 囁くような小さな声が聞こえて振り向くと、長い空色の髪の女の子がいた。その格好は異常なくらいに薄着で、見ているこっちが凍えそうになる。彼女は眉を寄せて、申し訳なさそうに話を続けた。


「足がもつれちゃって、君が受けとめてくれて助かったよ」

「それならよかった。歩けそう?」

「うん。ありがと……わっ!」


 姿勢を立て直した側から、彼女はまた足を滑らせて、今度は仰向けに倒れそうになる。僕は慌てて、腕を掴んでその体を支えた。驚いて目を見開いていた彼女と目が合う。


「……あはは、ヒールが折れちゃってたみたい」

 気まずそうに目を伏せて、そう呟いた。


「肩を貸すよ。道の端まで行こう」

 僕はそう言って、二人で人々の波から抜けでた。急ぎながらも、彼女を強引に引っ張らないように気を配る。触れたその体が異常なくらい薄くて軽かったからだ。性別が違うからそう思ってしまうのかもしれないけれど、それにしても軽すぎる気がする。


 道の端で、彼女の靴のヒールの部分をみると、もう修復が不可能なくらいにぽっきり折れていた。これでは、もう歩くこともままならないだろう。


「靴、どうする? 僕のでよければ貸そうか?」

「ううん、大丈夫だよ」

 そういって、彼女は大きなカバンからヒールのない靴を取り出した。


「普段はパンプスなんて履かないの。だから一応ね。予備の靴を持ってきたんだ」

 ——まさか、ヒールが折れちゃうとは思わなかったけど。


 そう言って、少しバツが悪そうに笑った。彼女はしゃがみこんで、新しい靴を履く。

「……ごめんね。巻き込んじゃって、もう一人で大丈夫だから、ありがとう」


 そう言ったけれど、彼女は動き出そうとしなかった。そのまま座り込んで、右足をさすっている。その顔には、うっすら汗が浮かんでいた。きっと、転んだ時に足を痛めたのだ。


「……足、痛い?」

「あ、少し、ね。でも、大したことないよ。すぐに動けるようになるから、気にしないで」


 僕は振り返って、列を成す人々を見る。その先頭が、一つの建物に吸い込まれて行った。あそこが国立劇場だ。この道を進めば、着く。もう覚えた。そして、まだ充分に時間はある。


「……よかったら、僕と一緒に行かない?」

 それは目の前の彼女を一人でここに置いて行くよりは、いい考えだと思った。これもきっと、何かの縁だ。


「え?」

「劇場に行くんだよね? 僕もなんだ」

「そうだけど、でも、」

「それなら少し休んでから、ゆっくり行こう。まだ時間はあるし」

 ——僕も、このペースで歩くの疲れちゃったから。

 列を成す人々を指して僕がそう言うと、彼女は少し迷ってから頷き、


「——ありがとう」

 と呟いた。


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