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 冷たい水を一気に飲み干す。


 そして僕は、胃の中のものを全部吐いた。夕飯を食べていなかったので、ほとんど胃液しか出なかった。流れていくそれを、僕はただ見つめる。


 ——……スッキリ、しない。


 ぐらぐらと内臓ごと揺れているような気がした。あれからかなり時間が経ったというのに、ずっと消えてくれない。衝撃から、立ち直れていない。


 カインの言葉を聞いた瞬間の感情が、ずっと僕にのしかかっているのだ。僕が原因で、人が死んだ。なのに、僕はなんて言った?


 ——申し訳ないな。


 無意識にそう呟いた自分を、今も信じられない。ショックを感じたはずなのに、悲しみを抱いたはずなのに、僕はなんて軽い言葉を口にしたのだろう。


 悲しんでいないわけじゃない。自責の念がないわけじゃない。でも、違和感がある。もっと、強い感情を抱いていないことへの違和感。この程度しか、感情を揺さぶられていないことに対する違和感だ。


 人の命は、重い。守らなければならないもの、大切にすべきものだ。僕はそうわかっていたはずだった。なのに、それを損なってしまったというのに、僕の手からすり抜けていってしまったのに、僕はもっと気にやむべきだというのに、できていない。


 ——矛盾している。


 自分の心が思ったより動かなかったことに、吐くほどショックを受けているなんて。僕は自分がここまで薄情なやつだとは思っていなかったのだ。


 人の死に対して、もっと真摯に向き合えると思っていたのだ。自分を、過大評価していた。

「——……僕は、なんなんだろう……」


 静寂のなか、扉が開いた。


「ん? まだ寝てなかったのか?」

 赤い顔をしたオルカさんだ。随分飲んできたらしい。


「お帰りなさい」

「ただいま、大丈夫か? 顔真っ青だぞ」

「……大丈夫、です。水飲みますか?」

「ありがとう。貰うよ」

 そう言って、彼は椅子に腰かける。


「久々に酔ったな」


 笑う様子は見るからに愉快だった。

 その様子は、いつもの彼だった。


 コップに水を注ぎながら、僕はその冷ややかな感覚を確かめる。なみなみと注いで、オルカさんに手渡した。


「どうぞ」

「ありがとう。いやー、楽しかった!」


 そう言いながら、彼はテーブルに突っ伏す。そういえば、旧知の友人と呑んでくると言っていた。きっと、積もる話があったのだろう。


「そんなに酔って、明日、店開けられるんですか?」

「次の日まで持ち越したことねえもん、俺。寝たらだいじょぶ」


 そう言いながら、こく、こく、と今にも目を閉じそうな彼を僕は揺すり起こす。昨日と立場が逆で、ちょっとおかしかった。


「せめてベッドまで行ってから寝てください。僕にオルカさんは持ち上げられないですよ」

「……ん、わかってる…………」

 僕はその手からコップを取り、洗い場まで持っていく。僕が彼にできることは、このくらいしかない。

 



 流水でコップを軽く洗う。手を濡らす冷たい水が、少しずつ僕の頭を冷やしていった。


 衝撃がだんだん抜けていく。「生誕の森」での出来事が、なんだかすべて、遠いもののように思えてくる。心のざわめきが、膜に覆われたように、鈍いものへと変わっていく。


 ——……落ち着いた。


 それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど、息は吸いやすくなった。楽になれた気がする。楽になってはいけないと、どこかで思っているけれど、その声さえ、いまはよく聞こえない。


 数分にも満たないオルカさんとの会話が、僕の輪郭を描きなおすように、元の形に戻してくれたように思う。ここで過ごしている日常の僕に、だ。


 直感でしかないけれど、僕は確かにそう思った。


「……なんでかな」

「——イヴ」


 びく、と僕の肩が跳ね上がる。

 いつの間にか、オルカさんが後ろに立っていた。眠そうに、目を擦っている。


「コップ、ありがとな。明日も早いし、もう寝ようぜ」

「あ、はい」


 歩きながら、彼は大きな欠伸をする。つられて、僕も欠伸が出た。瞬きをすると、目に涙が滲んだ。


 部屋に電気をつけないまま入り、僕はベッドに倒れ込んだ。重くなっていく瞼の下で、目が光を追いかけている。思考がどんどん重くなり、自分が眠りに落ちかけているのだとわかった。


 今日の出来事を頭が勝手に思い出していく。朝からたどって、どうしても昼までしか進まなかった。記憶のなかで、空色の髪が輝いている。


 ——そうだ。明日、イヴに会うんだ。


 それが、そのことが、何より大切な気がして、僕は、それでいいのだと夢現で呟いた。だって、彼女は友達なのだから。誰かの都合じゃない、僕の初めての友達なのだから。


 僕は「予言」を果たす救世主であることを求められていて、それに応えることにした。だから、責任を負わないといけなくて、そして、何もわからなくても「予言」を成さなければならない。僕の好奇心が満たされるか否かに関わらず、僕が納得できるか否かに関わらず、進まなければならない。


 だけど、それは明日を楽しんではいけない理由にはならない。僕がすべて忘れて、遊んではいけない理由にはならないのだ。


 まだ形をなさない。手が届かない感情の形が、僕の脳裏を掠めてまた消える。起きたら忘れてしまうそれを、明らかにしないまま、僕は眠りに落ちていく。


 だって、明日が大切だから、明日を夢見て、今日にしたいとそう思うから。

 


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