12
◯
「生誕の森」を出て、カインと二人、並んで歩く。
ずっと森で話し続けるわけにはいかない。僕は自分が死なないと何故か確信しているけれど、僕に彼の身の安全は保証できないのだ。
風が僕らの髪を揺らす。肌寒くなって、僕は身震いをした。
「——ここまで来たならいいでしょう」
先の高台で、彼は立ち止まる。マントが生き物のようにはためいていた。
「話を再開しましょうか」
僕は頷いて、彼に質問を投げかけた。
「その『予言教』っていうのは『神』と協力してたりするの?」
「……国を治める六柱とですか? いいえ、全く関係ありませんよ。……貴方は、どうしてそうお考えに?」
「世界を救う『予言』は、限られた人しか知らないみたいだから」
オルカさんは「予言教」という存在は知っていても、「予言」については触れなかった。僕が人間ではないと知っても、「予言」を連想しなかった。僕より常識のある彼が知らないのならば、「神」と「予言教」くらいしか知らないことなのだと予想はつく。
「なるほど。流石、『救世主さま』。思慮深いですね。ですがワタクシたちはあくまで『予言教』、『予言』の神の御心のままに動く組織なのです」
「——本当に、他の『神』とは関わりがないんだね?」
「はい。我らが『予言』の神に誓って。そもそも、六柱の『神々』と我々の目的には差異がありますから」
——……差異?
「同じように『予言』の達成を目指してるんじゃないの?」
「ええ、もちろん。ですが、『神々』は世界を救う『予言』しか知りません。わかりますか? それ以外を知らないので、彼らは他の数多の『予言』の達成を目指しようがないのです」
カインは真っ黒なその「予言書」を掲げる。僕に叶えて欲しいと彼が言った数多の「予言」が詰まっているその本を。
「……不思議だね」
「そうでしょうか?」
「だって、『予言』の神は、戦乱の時代に生きていた『神』、なんだろう? なのにその時代から生きている六柱が知らないなんて」
「神」同士、同じ時代を生きていた彼らが知らない「予言」を、その意志を継いだ「予言教」という団体が知っているというのは、釈然としない。しかも、「予言」のすべてを知らないならともかく、その口ぶりから世界を救う「予言」は「神」の間で周知されているようだし。
「……『救世主さま』、六柱の逸話をもうご存知ですか?」
彼のその言葉に僕は頷いた。
戦争に疲れ、争うことをやめ、今も平和を維持している「神々」の話だ。ラジオで何度も聞いた。
「素晴らしき、『神』の物語。この世界に生きる者なら誰だって知っています。しかし、ほとんどの民は知りません。素晴らしき行いのその少し前、争いが終わるその前、最後に死んだ『神』が誰であるかを」
——六柱が協力し、最初に殺した「神」。その名が残らなかった「神」。それが「予言」の女神様です。
真っ黒い「予言書」をカインは撫でた。
「彼女が死の間際に発したのが、『神々』の知る『予言』なのです。その一言が、一種の遺書なのです。彼女はその言葉以外、彼らに何も残さなかった。だから『神々』は唯一それだけを知っているのです」
「…………」
「神」が、まだ七柱いた時代に倒されたのが「予言」の神、平和にたどり着く一歩手前で倒された哀れな「神」。六柱に矛を向けられ、孤独に死んだ「神」がいたのだ。
「ワタクシ達には、彼女が信者へ向けて遺した『予言書』と『神』の遺体があります。だから、『神』のような力を行使し、『予言』を理解することができる」
カインは髑髏を高く掲げた。遺体、だとしたら、それは「予言」の女神の……。
「……遺体はあくまで、我らの組織の象徴でしかないんですけどね。『予言書』は正真正銘、『神』の力が残る聖遺物です」
「聖遺物?」
「『神』の力の残骸ですよ。人にも扱えるほど、弱体化したものでしかありませんが、それでも充分、奇跡的な代物です。……このように」
暗闇のなかで、何かが光った気がした。僕はあたりを見渡したけれど、もう何も見えない。
「——ネズミがいたようなので、勝手ながら回収させていただきました」
彼はそう言って、本の埃を払った。どうやったのかはわからない。だけど、彼の言う通り、回収したのだろう。一歩も動かず、その本を使って、どうにかして。
——「神」のような力で。
「……その力があれば、僕がいなくてもどうにかなるんじゃないの?」
「残念ながら、紛い物の力ですので。本物の『神』や、貴方には遠く及びません」
「…………そっか」
僕でなければいけないと、彼も思っているらしい。本当に、僕にそんな力があるのだろうか。まだ、僕は納得できない。
——いつか、いつか僕にもわかるのかな。僕でなければならない理由がわかるのかな。
そう思った。
そんな僕を見て、カインは真っ黒な本、「予言書」を開き、その一説を読み上げた。
——いつか、なんて考えていた僕を嘲笑うかのように。運命はもう目の前にあると宣告するかのように。ゆったり、明瞭に言葉を紡いだ。
「——『舞台の幕が下りるとき、奴隷となった龍は、ひとつの魂と引き換えに自由を手にする。そして、人でも神でもないものと、神により、国は久方ぶりの平穏を得るだろう』」
「……………………えっ」
「この国でもうすぐ起こることを『予言』した言葉です。世界を救う、その先駆けになる『予言』だと我らは解釈しております。『救世主さま』」
そう言って、カインはこちらを見つめる。
僕は、その言葉をどこか人ごとのように感じていた。
そして、この国を動かす機械、そのすべての動力を担う龍。公演で「神」が言っていたその存在に思いを馳せる。龍が自由になるとき、舞台の幕が降りるときというのはいつのことなのだろう。一つの魂とは、もしかして、僕の魂だろうか。久方ぶりの平穏、ということは今、この国は平穏ではないのかもしれない。数日過ごした僕としては、今でも十分平和な気がするけれど。
——それに、「神」……。
あの黒い瞳の得体の知れない彼も「予言」に含まれている。彼の預かり知らぬところで、達成すべき目標が定められている。すべて見透かしているような態度だっただけに、彼の知らない「予言」があるというのは、不思議な感じがした。
——…………余計、謎が増えた。
わからないものが、納得できない理由が増えてしまった。一つ知るたび、新しい疑問が浮かんでくる。僕は未だ何も定まっていない。自分が「救世主」だとは思えないまま、僕の好奇心は満たされないまま、「予言」を叶えることに対する期待だけが僕に与えられていく。
——重たいな……。
何度目かのため息だった。長く閉じていた目を開けて、僕はカインを見る。彼は深々と頭を下げていた。ずっと、僕に首を垂れていた。
「——『救世主さま』」
今までとは違う、すがるような声音だ。
「…………」
「どうか、お願い致します。ワタクシたちは『予言』の成就を貴方に託すしかないのです。貴方に慈悲の心があるのならば、ワタクシたちの悲願を叶えてはくれないでしょうか。『救世主さま』」
その様子に僕は面食らう。そして、気づいた。
——彼らにも、「予言教」にも、わからないのではないか、と。
彼らの望みが「予言」の成就だ。しかし、彼らだけではそれは成すことができない。「神」でも人でもない存在が必要なのだ。
それは、「予言」にそう記されているからだ。しかし、何故、「神」でも人でもない僕が必要なのか、その理由は記されてはいないのだ。それがわからないから、カインは僕に頼むしかない。理由がわからないまま、人間の彼らではどうして駄目なのかを知らないまま、「予言」を僕に託すしかないのだ。
——僕にただ「予言」を伝えるしかないのだ。
「…………」
「お願い致します。貴方に、ワタクシたちの『救世主さま』になって欲しいのです」
「……うん」
その言葉に僕は頷いた。頼まれたから、頷こうと思えた。
好奇心は捨てないけれど、考え続けることを、納得を求めることをやめはしないけれど、それでも今はこれでいいと思ったのだ。人に頼まれたから。だから助けるという簡単な理屈で、納得したかったのだ。
「——いいよ、僕が救おう」
カインは弾かれたように顔をあげほっとした顔を見せると、また深々と頭を下げた。
「よかった……やはり、貴方こそが『救世主さま』です」
「…………」
冷たい風が僕と彼の間を吹き抜ける。
「……もう遅い時間ですね。ワタクシは失礼致します。身勝手ながら、一刻も早い『予言』の成就を願っていることをお許しくださいませ」
そう言いながら、カインはマントを翻して僕に背を向けた。僕は「生誕の森」を見つめる。森は点滅し、うねるように揺れ、遠く遠くまで広がっている。
「——…………ああ、そうだ」
もう遠く離れた場所から、思い出したように震えた声でカインが言った。
「『救世主さま』。貴方はもう『生誕の森』に来ないほうがいいと思います」
「……どうして?」
僕は森を眺めたまま、言葉を返す。
「……ワタクシは司祭です。人を、信者たちを導く立場にあります。……しかし、今はこの通り単身です」
彼は言葉を切って、少し言い淀んだ。でも、すぐに決然としてはっきりと言った。
「——貴方を追いかけて「生誕の森」に入ったことで、連れていた『予言教』の信者が、全員死にました」
ず、と鼻を啜る音が響いた。背を向けたままだったから、彼の表情はわからない。だけど、その声はどうにか平静を装っているように聞こえた。
「どうか、気に病まないでください。『救世主さま』。ですが、自覚するべきです。貴方が周りに及ぼす影響について。貴方は無事でしょう。何があっても。しかし、貴方のような存在は、貴方しかいないのです」
そう言って、彼はすぐ、どこかへいなくなってしまった。僕はもうその姿を捉えることはできない。
風が吹き荒れるなか、僕は星空を見あげた。指先が、冷えて感覚が鈍くなっている。僕は、すう、と呼吸をした。彼の言葉を噛み含めるように、僕の頭が理解していく。
——人が死んだ。人が死んでいた。僕がここに来たせいで、彼らが僕を追って「生誕の森」に入ったせいで。
殴られたような衝撃だった。寒さのせいではなく、唇が震えていた。僕の胸に行き場のない感情が広がる。
——……どうすれば、どうしてれば、よかったのだろう。
いま考えたって無駄だ。わかってる。それでも、そう思わずにはいられなかった。知らなかった。気づいてなかった。でも、知ってしまったいま、それは罪なのだ。
遠い星空を見上げる。顔も知らない誰かが死んだ。僕のせいで。
それは悲しく、やるせなく、僕が背負うべき後悔だ。
「——…………申し訳ないな……」
考える前に、その言葉は口から出てきた。きっと僕は、死んだ彼らを夢想して言ったのだろう。
——…………なのに、どうして?
僕は口を手で押さえる。信じられなかった。自分が自分でわからない。確かなはずの自分の影が、湯気のように揺らめいた。
その言葉が、感情のまま紡いだ音が、呆気ないくらい、軽い響きだったのだ。
——なんとも思っていないみたいな。まるで、どうでもいいかのような。
体の芯が冷えていく。嘘だ。人を、命を軽く捉えていいはずないのに、それなのに、僕はどうして、そんなに悲しんでいないのだろう。
——全部、全部、わからなかった。
遠くの空では、街灯が強く光っていた。




