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◯
自分の足音が段々と大きくなっていく気がする。地面を蹴ると土煙が立った。
「演劇」の国を出てしばらくすると、僕の耳に機械音が聞こえなくなった。あの国にはない、静寂が訪れる。陽はとっくに沈んでしまったので、僕は星の光を頼りに歩き続けた。
空を覆い尽くすような満天の星が、ひしめき合っている。そうだ。この世には、これほどまでの星がある。あの国では、「街灯」に遮られていたせいで、見えていなかっただけなのだ。
さわさわと葉の揺れる音が聞こえてきた。唸るような低い鳴き声があたりに響く。星の光を押し除けるようにほのかに発光している森が近いのだ。
僕がオルカさんに起こされた場所から、「生誕の森」を観察する。木が、生き物が、全てが互いを喰い合いながら存在している。僕は少し前まで、この奥にいたのだ。
口内に溜まった唾を飲み込んで、「生誕の森」に近づく。握りしめた手は震えていた。大丈夫、そう自分に言い聞かせる。僕は、死なない。胸の奥にある何かを果たすまで、死ぬことはないという予感があった。
ありえないくらい大きな「生誕の森」の木を見上げる。僕の何倍あるのだろう。ふと、その木肌に触れた。とく、と何かが手のひらを伝う感覚がある。手を離さないまま、その木肌に手を沿わせながら、森に入った。
全ての動植物が、発光している。その光は、強くなったと思えば、弱まっていく。視界が、急に霞んだ。平常心を心掛けて、僕は足を進める。
低く、唸る声が聞こえる。いつからだろう。気づいた時には、四方から聞こえてきていた。
汗がこめかみを伝う。なのに、逃げる気なんて起きなかった。多分、悲鳴をあげることもない。冷静な部分と焦っている部分が、半分に割れているみたいに、僕の中に存在している。
僕は、目を瞑った。その瞬間を、きっとここの動物は見逃さないだろう。でも、目を瞑ったっていい。そんな気がしたのだ。
唸り声が、明確な殺意を持って順番に近づいてくる。しかし、僕の喉を掻き切ることはおろか、髪の一本にだって触れることはできなかったらしい。獰猛な声が、風が通るような感覚とともに、遠ざかっていく。
「——幸運ですねぇ。流石、『救世主さま』。ああ、いや、自殺志願だとしたら、不運なのでしょうか?」
軽薄な、低い男性の声が聞こえて、僕は目を開ける。すぐそばに、長身の男が立っていた。黒からピンクのグラデーションの悪趣味なマントを羽織って、髑髏を手に持ってこちらを見ている。
——この男は僕を「救世主」と呼んだ。
「てっきりワタクシに助けて欲しいから瞼を閉じたのだと思ったのですが、違いましたか? 『救世主さま』」
「……なんとなく目を瞑っただけだよ」
「おや、やはり自殺志願でしたか、これは失礼」
そう言って頭を下げる。
この男が現れたことに僕は驚いていない。驚いていない自分に、驚いている。僕以外に人がいるなんて、想像だにしなかったというのに、当たり前のように受け入れている自分がいるのだ。
僕は無意識にこの男の存在に気づいていたのだろうか。
それでも、彼と初対面だということには変わりがない。僕は少し身を引いて、警戒しつつ彼を見上げる。
「…………君は、誰?」
「失礼、申し遅れました。ワタクシは『予言教』が司祭、カインと言います。『救世主さま』」
一切笑わないまま、彼はそう言ってこてんと首を傾げた。お辞儀のつもりなのだろうか。
「——以後お見知り置きを」
そして、そう呟いた。
「予言教」、その言葉には聞き覚えがある。
——国を跨いでる宗教団体だよ。『予言』の神を信仰してるらしいけど、正直何やってるのかよくわかんないんだよな。ほぼ都市伝説みたいな。
オルカさんが今朝そう言っていた。
「……思っていたほど驚いていませんねぇ。『救世主さま』」
「——存在は知っていたからね」
「それは、流石、『救世主さま』ですね。では、もう『予言』をご存知ということでよろしいでしょうかね」
「……僕が、世界を救うって話?」
「はい、最終的には。こちらとしては、それまでの道程で他の『予言』を果たしてくれると嬉しい限りですが」
「予言教」は、やはり「神」から聞いた「予言」に関係があるらしい。それなら、話を聞かないわけにはいかない。僕には知りたいことが大量にあるのだから。
「——他の『予言』って?」
「我らが『予言』の女神様が遺した、数多の『予言』のことでございます」
——さらに詳しく申し上げるなら、この本の内容です。
その手には、いつの間にか真っ黒な本が握られていた。彼は髑髏を器用に手の甲に乗せて、本を顔の近くに寄せる。
「『予言書』というやつですよ。司祭に一冊、与えられております」
「『予言』の神の……」
この世界の全てを忘れてオルカさんに拾われた僕だけど、ここ数日で、常識を少しは学んだ。僕の記憶違いでなければ、いま、この世界に「予言」の名を冠した国は無い。つまり、「予言」の神は、六柱に含まれていない。すでにこの世にいない、失われた「神」。それを信仰している団体が「予言教」なのだ。
「カインさんは、」
「カイン、でよろしいですよ」
「……カインは、どうして僕がその『救世主さま』だと思ってるの? 何で信じてるの?」
その理由を僕は問うた。知りたかったから、納得を求めて言葉を発した。
カインは淀みのない言葉で、ゆったりと答える。
「——それは……至極、簡単な理屈でございます。『救世主さま』」
柔和なその声に似合わず、表情は微塵も動いていない。不気味ではあるが、不思議と「神」に感じたような得体の知れない恐怖はおぼえなかった。
「貴方は、貴方以外に、貴方と同じ生き物を見たことがありますか?」
僕以外の、僕のような生き物。それは、「神」のようで、人のような何かだ。「神」でも、人でもないそんな存在。
そんなの僕以外にいるのだろうか。僕にはわからない。世界のすべてを探し尽くせば、もしかしたらいるのかもしれないとは思う。
——だけど、彼がこう言うってことは……。
「『神』でも、人でもない。貴方がそうである限り、貴方は『救世主さま』に違いありません。ワタクシはそれを知り、信じています」
——だって、そんな存在は、貴方くらいしか居ないのですから。
そう言いきった彼は、じっとその手にある本を見つめた。それはその手にある「予言」を慈しんでいるように見えた。
「——それが、『予言』であるかぎり」
そして、そう呟いた。




