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◯
——忙しい、なんてもんじゃない!
慌ただしく行ったり来たりを繰り返す僕は目を回しながら頭の中で絶叫した。
舐めていた。休日の客の入りがこんなに多いなんて。今までは朝ごはんをゆっくり食べていく人とお昼どきに来る常連客だけだったのに、今日はひっきりなしにお客がやってくる。
——開店した瞬間からテーブルが空くことがない。本当に人気店だ。間違いない。
僕は余裕そうな顔でサンドイッチを作るオルカさんを眺めながらそう思った。
「お兄さん、ワインもらえる?」
「はい、ただいま!」
また注文を受けてキッチンまで走る。
時計を見るとまだ午前中だった。時間の流れが遅い。いつもより忙しいはずなのに、おかしい。壊れているんじゃないか、と睨んだけれど、その歩みは変わらない。
——……今日はラジオを聴いてる余裕なんて無さそうだ。
息を吸って、気合いを入れ直し、僕はまたキッチンとの往復を繰り返す。
「すみません」
「はーい!」
今日、何度目かの呼びかけに応じる。僕は振り返らないまま、注文を聞き逃さないように耳を澄ました。
「えーっと、野菜のサンドイッチをふたつ、持ち帰りで、」
賑やかな店内の中で、透き通ったその声は澱みなく僕の耳に届く。
「——あと君も、あたしと一緒に来て欲しいな。ね、お願い、イヴ」
その言葉に驚いて僕は振り向く。
空色の綺麗な髪、陽にあたる白い肌、見覚えのあるその顔は……。
「イヴ!」
「あはは、すごい偶然だね。また会えて嬉しい。君はここで働いてるの?」
「うん、えっと君は?」
「あたしは観光だよ。有名なお店があるって聞いて来たの」
昨日の夜と変わらず薄着の彼女は、そう言って長い髪を耳にかける。外は冷えるというのに、平気な顔だった。
「それで、君の休憩はいつ? 待ってるから、あたしといっしょにお昼を食べない?」
「あ、え、うん! ちょっと待ってて!」
後退り、僕はオルカさんの元まで急足で向かった。
客の声がやけに大きく聞こえる。さっきまでは気にしていなかったのに、今や耳が痛いほどだ。
「オルカさん!」
「はいよ、注文か?」
「ちが、いや、えっと、注文もなんですけど、僕の休憩って今日は何時になりますか? 忙しいから無し、とか言わないですよね?」
「ああ、言うの忘れてた。俺、今日飲みに行く約束してるから、午後には店閉めるよ」
その言葉を聞くなり、僕は駆け出す。
後ろで聞こえた「注文は?」という彼の声は無視した。
「——午後! 午後なら大丈夫! サンドイッチも持っていくから待ってて」
早口になりながら、イヴにそう伝える。
「わかった。じゃあ、あたしは近くの広場にいるね」
彼女はそんな僕を見てくすくす笑いながらそう言って、ベルを鳴らして出て行った。
——…………。
僕は彼女が閉じたドアをじっと見つめる。夢のような、現実のような、不思議な気持ちが胸に広がっていた。
「すみませーん」
お客さんの誰かが言ったその言葉を聞いて、ようやく僕は動き出す。
はやく、午後になればいい。また、イヴと話す時間がくればいい。きっと、そればかり考えてしまう。
僕は改めて、歩みの遅い時計の針を睨みつけた。
晴れた青空の下、僕は速足で駆ける。
人がまばらな昼下がり、出来たてのサンドイッチを持って、広場へ向かった。
——イヴは喜んでくれるかな。
もう何度目だろう、でもまたそう思った。
イヴとは友達、だと僕はそう思っている。たった数十分間の会話だったけれど、友達になれたと思った。だから、約束した再会がこんなにも嬉しい。
僕にとっての初めての友達だ。だから、浮かれてしまうのも仕方ない。そう自分に言い聞かせて、はしゃぐ気持ちを肯定する。
強く地面を蹴って、大きな一歩で進む。ようやく広場が見えてきた。あたりを見回すとすぐに、なびく空色の髪を見つけて、僕は手を振りながら近づいた。
「イヴ! 待たせてごめん」
「ふふ、すごーく、待ったよ。でも、思ったよりは早かったかな」
そう言って、彼女は冗談めかして笑った。
「急に誘ったのに、来てくれてありがとう。お代はあたしが払うから」
「いいよ。僕のおごり、誘ってくれて嬉しかったから」
記憶喪失の僕は、もちろんお金も持っていなかった。けれど今日、オルカさんに友達に会うと伝えたら、今までの給料だと言ってお金をくれたのだ。
——助けてもらって、その上、住まわせてもらっているのに受け取れないですよ!
と流石に断ったのだけど、
——じゃあ小遣いだ。保護者は子どもに小遣いをやるもんだろ。
などと笑いながら言った彼は、僕の手に小遣いを握らせて出て行ってしまった。
申し訳ない気持ちで一杯だけど、今日だけは使わせてもらうことにした。せめてもの店への還元だ。
「え、駄目だよ。あたしも、」
「今回だけ、僕に格好つけさせてよ。その……友達、にさ……」
勢い任せに、そう言ってみる。友達だと言ってみる。何だか、鼓動がうるさい。自分の手が少し震えているのがわかった。
イヴは、まだ何も言わない。
——友達、そう思っているのは僕だけじゃないだろうか。
そんな想いが頭をよぎる。彼女がどんな反応をするのか、僕にはわからない。おそるおそる、僕はその顔を窺った。
「——…………あ、えっと、そっか」
ようやく言葉を発したイヴは、いつものその透き通った声で、要領を得ないまま話し続ける。
その顔は、心配になるくらい真っ赤だった。僕の顔をちらりと見ては、すぐに明後日の方向に視線を逸らす。
「……友達、うん、そっか」
彼女は赤面したまま、口元を押さえている。どこか落ち着かない様子だった。
「……僕ら、友達、でいい、よね?」
僕は勇気を振り絞って、そう言った。確かめるために、言葉にした。
彼女は驚いたように僕を見て、また視線を逸らす。その顔は更に赤くなっているような気がした。彼女はしばらく黙っていたけれど、意を決したように顔をあげた。
「…………君が友達だと思ってくれてるなら、あたしたちは友達だよ」
イヴは真っ赤な顔のまま、僕を見てそう言った。
「僕は思ってるよ。君は、友達だ。でも、君は?」
焦ったい気持ちを抱えながら僕は彼女に問う。曖昧なままにしたくはなかった。
「あ、えと、」
でも、彼女はまた目を逸らす。
——なんで、こんな態度を……。
真っ赤な顔、煮え切らない態度、そわそわしてる様子。
考えたとき、弾かれたように答えが出た。その熱が急病では無いのなら、その想いは僕にも覚えがある。オルカさんに、友達と会うと告げたときのあの想い。くすぐったくて、でも心が跳ねる。押さえれない嬉しさと、それを知られてしまう恥ずかしさ。
——なら、もしかして……。
「イヴ、照れてるの?」
「え⁈ いや、えっと、」
イヴがあげたその声はひっくり返っていた。図星だったらしい。
「——っ、」
彼女は頭を抱えて蹲ると、声にならない声で唸った。
そして長い沈黙の後、覚悟を決めたように深呼吸をして、乱れた髪を整えながらようやく口を開いた。
「その、あたしね。実は、友達ができたの初めてなの、だから、えっと、言われるまで気づかなくて、びっくりしちゃって、でも、嬉しくて、だから、その……………………照れてる! 君のいうとおり! 嬉しくて照れてただけ! もう、恥ずかしい」
イヴは手で顔を覆う。その言葉に余裕なんて、少しもなかった。
そんな彼女をみて僕は思わず笑ってしまう。
——なんだ。同じじゃないか。
僕が浮かれていたように、彼女もただ浮かれていたのだ。初めてのことだから、どうしたらいいのかわからなかっただけなのだ。
「ちょっと、イヴ、笑わないでよ」
まだ赤い顔で、彼女は僕を睨む。
「ごめん。実はさ、その、僕も、君が初めての友達で、浮かれてたんだ」
風が吹く。風が僕らの間を通り抜けていく。
「……じゃあ、君が照れてないのは不公平だよ」
イヴは靡く髪を押さえながら、そう言った。
二つの視線がかち合う。僕らは見つめあって、笑った。何だか、可笑しかった。笑い合えていることが、嬉しかった。
——僕らは、友達だ。
ひとりよがりな思いじゃない。互いにそう思っている。だから、こんなに嬉しくてくすぐったい。同じ想いで、ここにいる。




