プロローグ
何のために生まれてきたの?
◯
僕は、森の中で目を覚ました。
全ての木が、葉が、草花が、発光している変な森だった。さわさわと何かが蠢く音がする。風が僕の髪を揺らした。
大きな欠伸をすると、涙で景色が滲む。濡れた頬を、手の甲で拭う。僕は緩慢な動作で起き上がった。どこへ向かえばいいのか。不思議と知っている。ふらふらとする足取りを、なんとか落ち着けて進み始めた。
遠くで、低く唸る音が鳴っている。近づいてくる気配はない。足下を通る虫も、植物も、道を妨げることはない。今日だけは、見逃してくれているのだ。なぜか知っていた。
重たい足をあげて、僕は出口へと向かっていく。行先を拒む枝が引っかかって、皮膚が切れた。傷のひとつから、血が滴り落ちる。拭う時間すらなぜか惜しくて、僕はそのまま足を動かした。
どうせ、この道を進むしかないのだから、気にしてなんていられないのだ。痛みだって、今は感じない。ただ、僕が行かなくてはならない。それだけだった。
耳の奥から、声が聞こえる。大丈夫、ちゃんとわかってる。そのために、僕は来たんだって、覚えてる。声の主に必死に言い聞かせる。
大丈夫、ちゃんと叶えるから。だから、行かないと。じゃないと始まらないだろ。半ば祈るように、言い聞かせる。
それでも、声の主は納得しない。言い含めても、わかってくれない。どんどんその声を荒げ、その音は意味をなさなくなった。それでも、わかってもらえるように僕は言葉を尽くす。何度目かの、大丈夫を重ねた。
声が頭の中を跳ねる。内側から殴られてるみたいに、痛い。ヒステリックに響くそれに、意識が飛びそうになった。
早く抜け出したくて、この音を止めたくて、足を速める。上手く動かなくて、何度も転んだ。立ち上がることを諦めて、這って進む。
服の裾が破れる。泥まみれになる。でも、どうでもよかった。ただ、早く出て、やらなければ、声の主を満足させなければ、それだけを考えていた。そうしないとこの声は止まないのだから。
早く、出て、それをしなきゃ。僕がやらないと、そのために、僕はここに来たんだから。それをしないと、大変なことになるんだ。だから、声はこんなに必死なんだ。早く、早く、行かないと。ちゃんとわかってる。僕以外では、できないんだから。だって、僕は、…………。
「………………あれ?」
その日は、まるで冬が終わったかのような、暖かくて過ごしやすい陽気だった。この地域は温暖であるとはいえ、冬の気温だったら僕は死んでいたかもしれない。すごく運がいい、と僕を助けてくれたその人は言った。
彼曰く、「神」の恵みの日だと思った、と。
だから、彼は、危険な「生誕の森」近くまで足を伸ばしたのだ。きっと今日は、誰もが幸福な日に違いないと確信したから。そして、もしそんな幸福な日に死ぬなら、悪くないとそう思えたから。
そんな気持ちで「生誕の森」をただ眺めていた彼は、倒れていた僕を見つけて、危険を顧みず助けてくれたのだ。
森から遠く離れた場所で、僕は目を覚ました。彼と言葉を交わし、僕が立ち上がれること、意識がしっかりしていること、目立った傷がないことがわかると、彼はよかったと呟き。安心したように息を吐いた。
「『生誕の森』に入ったのか? 相当な命知らずだな、にいちゃんは」
「…………」
「まぁ、無事ならよかったよ」
そう言って、人好きする笑みを浮かべる。
「こんなとこにいるってことは旅でもしてるのか? これも何かの縁だし、うちの国までなら連れてってやってもいいぜ」
彼は立ち上がって、森の反対側を指さした。そこは、高い建物が幾つも建ち並んでいる。ここからでは、よく見えないけれど、奥にはいっとう大きな城が建っているようだった。その全ての頂上から煙が上がっていて、忙しなく動いているのがわかる。
「えっと、」
どうしようか、なんと言おうか僕が悩んでいると、彼は歩き始めた。
「遠慮すんなって、飯くらいなら食わせてやるからさ。よし、行こう」
戸惑ったまま、僕は彼の足取りを追う。靴の裏から、じゃり、と音が鳴った。
ふと、振り返って、「生誕の森」を見た。うねるような大きな木が、互いを喰い合うように生えている。こんなに離れているというのに、猛獣の声はここまで響いてくる。それだけじゃない。森全体が、蠢くように鳴っているのだ。
僕は直感的にわかった。あれは、あの森は、すべてがおかしい。多分、あそこだけすべての摂理が通用しない。あの場所でしか、あそこで生きるものしか、「生誕の森」では通用し得ない。そうなぜか確信できた。
——でも、だとしたら、僕はなんで……。
「……なんで、生きてるんだろ」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもないです」
小走りに目の前の「恩人」に近づいた。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「いいって、気にすんなよ。それで、どこの国から来たんだ? 変わった服着てるよな」
僕は、自分の服を見下ろす。ところどころ破れたり、ほつれたりしているけれど着心地はなかなかいい。ピタっとした服の上から、一本の布を巻きつけているようだ。しかし、これは一度脱いだらもう着られない。そんな構造をしている。これは、どこの国のものなのだろうか。
思考を巡らせてみたけれど、何も思い出せない。どこで手に入れたんだろう。僕の生まれた国? 僕の出身って…………。
「…………僕って、どこの国の人に見えますかね?」
「はぁ?」
怪訝な顔をして振り返る彼を見て、僕は苦笑いを返す。きっと、どうしよう、と僕の顔には書かれていることだろう。
「……あんた、名前は?」
もしかして、と言いたげな様子で「恩人」さんが聞いてきた。風で僕の髪が揺れる。ひんやりした温度が、心地よい。
どんな顔をしたらいいのかわからない僕は、せめて口角を少し上げる。
「——覚えてないです。何もかも」
僕がいまわかることは、この世界には幾つかの国がある、それだけだった。




