68話 剣聖、散る
ジャングルを抜けた先には地下へと続く階段があった。
地下へと続く石の階段を降りきった、その瞬間だった。
私は、はっきりと「足を踏み入れてはいけない場所に来た」と理解した。
空気が、違う。
冷たいとか、湿っぽいとか、そういう単純な感覚じゃない。
肺に入ってくる息そのものが、重く、濁っている。
呼吸をするたびに、体の内側から力を奪われていくような、嫌な感触。
「……ここ」
無意識に、足が止まった。
視界の先に広がっていたのは、墓地だった。
地下とは思えないほど広い空間。
天井は高く、どこか見えない場所から淡い青白い光が差し込んでいる。
だが、その光は温もりを一切持たず、
むしろ死を際立たせるためだけに存在しているようだった。
整然と並ぶ墓標。
石の表面は長い年月に晒され、
文字は削れ、苔が張り付き、
誰が眠っているのかも分からないものばかり。
地面には、掘り返された痕跡が無数に残っている。
だが、不思議と荒れた印象はない。
まるで――
「掘り返されること」を前提に作られた場所のようだった。
「……嫌な空気」
あかりが小さく呟き、
自然と盾を構える。
その動きにつられるように、
私も剣に手をかけた。
「神気が、重たい……」
姫華はすでに結界札を指に挟み、
慎重に周囲を見回している。
「浄化されていない死が、溜まってる」
「ここ……長い間、何度も“死”が繰り返されてる」
蜜璃は、銃を下げたまま、
一歩も音を立てずに移動しながら墓標の配置を確認していた。
「視界、悪い」
「遮蔽物が多すぎる……待ち伏せ向き」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、嫌な予感がはっきりと形になる。
(来る……)
剣聖としての勘じゃない。
冒険者として、
何度も修羅場を越えてきた中で身についた、
「生き残るための感覚」。
次の瞬間だった。
――カタ……カタ……。
乾いた音が、
足元から聞こえた。
私は反射的に後ろへ跳ぶ。
地面が、ゆっくりと盛り上がる。
土が割れ、
その下から、白い骨の指が現れた。
一本、二本じゃない。
あちこちで、同時に。
「下から来る!」
叫んだのは、あかりだった。
次の瞬間、
地面を突き破って現れたのは――スケルトン。
錆びた剣。
欠けた盾。
だが、動きには一切の迷いがない。
さらに――
ズルリ、と音を立てて、
腐臭と共に這い出てきたのはゾンビ。
皮膚は崩れ、
それでも、確実にこちらを“獲物”として認識している目。
「……数、かなり多い」
蜜璃が冷静に数える。
「スケルトン、十数体」
「ゾンビも、同数……いや、もっと来る」
まるで合図でもあったかのように、
奥の墓標が一斉に揺れた。
(やっぱり……)
このエリアは、
侵入者を“すり潰す”ために作られている。
「迎撃!」
あかりの声で、全員が動いた。
私は前へ出る。
剣を抜くと、
不思議と恐怖は薄れていく。
(大丈夫)
(仲間がいる)
(私は、一人じゃない)
「《剣聖スキル:スラッシュ》!」
踏み込みと同時に、
横一文字の斬撃。
スケルトンの胴体が割れ、
骨が四散する。
だが――
ガシャリ、と音を立て、
散った骨が再び集まり始める。
「……再生!?」
「核がある!」
姫華の声が飛ぶ。
「中心、胸の奥!」
「魔力、そこに集中してる!」
「了解!」
私は一度距離を取り、
息を整える。
再生の瞬間を、見逃さない。
「《クイックドロー》!」
次の瞬間、
鞘走りと同時に剣先が突き出される。
狙いは、正確に。
骨の中心――
魔力核。
乾いた音と共に、
スケルトンは完全に崩れ落ちた。
だが、その隙を狙うように――
背後から、
ゾンビが腕を伸ばしてくる。
「桜、後ろ!」
蜜璃の警告。
私は振り向きざまに、剣を振るう。
だが、腐った肉は簡単には止まらない。
「しぶとい……!」
ゾンビの爪が、
すぐ目の前まで迫った、その瞬間。
――ドンッ!
鈍い衝撃。
「《シールドバッシュ》!」
あかりの盾が、ゾンビを正面から吹き飛ばす。
「今!」
「《巫女術:浄化》!」
姫華の放つ光が降り注ぎ、
ゾンビの身体が悲鳴のような音を立てて崩壊する。
だが――
終わらない。
墓地全体が、まるで呼吸をするように、ゆっくりと、確実に動き始めていた。
「……まだ、出てくる」
私の声は、低かった。
剣を握る手に、
自然と力がこもる。
(この場所……)
(簡単には、通してくれない)
地下二階、墓地エリア。
ここは、
生き残れるかどうかを試す場所。
三パーティが揃っている今でさえ、
この圧迫感。
もし、一つでも判断を誤れば――確実に、飲み込まれる。
「……進もう」
私は仲間たちを振り返り、はっきりと言った。
「立ち止まったら、終わり」
「動きながら、削る」
仲間たちが、無言で頷く。
その直後、再び地面が揺れ始めた。
スケルトンとゾンビが、何事もなかったかのように次々と姿を現す。
死者の軍勢を前に、私たちは、再び剣を構えた。
地下二階。墓地エリア。
戦いは、まだ終わる気配すら見せていなかった。
湿った土の匂いと、どこか甘ったるい腐臭が混ざり合い、思わず鼻を押さえたくなる。背筋がぞわりと震えるのに、吐く息だけが白く曇った気がした。
「……ここ、やだな」
私が小さく呟くと、姫華がそっと肩に手を置いてくれる。その温もりに、少しだけ心が落ち着いた。
視界の端で、別行動していた二つのパーティが見えた。
まず、コンマのエリア。彼らは先行して、墓標の並ぶ小道へ踏み込んでいた。
次の瞬間、地面から薄く白い霧が立ち上り、ゆらりと人影のようなものが浮かび上がる。
ゴースト――輪郭の曖昧な亡霊が、風もないのに揺れていた。
「う、うわぁっ……!」
誰かの悲鳴が上がり、隊列が一気に乱れる。
剣も魔法も構える前に、恐怖が先に来たのが分かった。
「無理だ無理だ! 触られたら死ぬって!」
コンマのエリアは、背を向けて走り出した。
理性より先に、足が逃げ道を選んでいた。
だが、墓地は逃がさない。
地面がぬかるみ、腐った手が土の中から伸びる。
ゾンビだ。腐肉をぶら下げたまま、のろのろと、でも確実に距離を詰めてくる。
「た、助け――」
声は途中で途切れた。
悲鳴は、骨が砕けるような音に掻き消され、やがて咀嚼音だけが残る。
私は、唇を噛みしめた。
目を逸らしたいのに、逸らせなかった。
その奥では、マッスルボディのパーティが踏ん張っていた。
筋骨隆々の前衛が雄叫びを上げ、斧を振るう。
「オラァ! まとめて来いよ、死体ども!」
確かに強い。
一撃一撃が重く、ゾンビの頭部が潰れ、骨が砕ける。
でも――数が、違った。
背後から、横から、足元から。
いつの間にか、包囲されている。
「くそっ……減らねぇ!」
汗と泥にまみれながら、最後まで抵抗していたその人は、胸筋を誇示するように踏ん張ったまま、無数の手に掴まれた。
「見とけよ……俺の筋肉……!」
その叫びは、誇りなのか、恐怖なのか。
次の瞬間、彼の身体はゾンビの波に呑まれ、引きずり倒される。
骨の軋む音。
肉が裂ける音。
やがて――
立ち上がったのは、さっきまでの彼とよく似た“何か”だった。
筋肉の輪郭を残したまま、濁った瞳でこちらを向く、ゾンビ。
それを見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……こんなの……」
私は拳を握る。
怖い。正直、すごく怖い。
それでも――
この場所で立ち止まったら、同じ末路が待っている。
「行こう」
小さく言った私の声に、仲間たちが頷いた。
女の子だから怖くないわけじゃない。でも、逃げたくない。
剣を握り直し、私は一歩前に出る。
この墓地は、覚悟のない者から喰われる場所だ。
――なら、私は覚悟を持って進む。
骸骨の群れが、ぴたりと動きを止めた。
まるで舞台の幕が上がる前みたいに、墓地全体が静まり返る。
その中心で、先ほどの恐ろしい骸骨が一歩前へ出る。
黒く磨かれた骨の身体、重厚な外套、杖の先に揺れる紫黒の光。
「……我が名はネクロロード、モルティス」
空気が冷えたんじゃない、魂の温度を奪われる感覚。
モルティスはゆっくりと私を見た。
視線が合った瞬間、心臓を掴まれたみたいに息が詰まる。
――剣を持つ少女よ。
――我が領域に、よくぞ辿り着いた。
頭の中に直接響く声。
威圧だけじゃない、長い時を生きた“王”の重み。
「……指揮官は、あなただね」
私は一歩前に出て、仲間たちを背に庇う。
膝が少しだけ震えたけど、剣は下げなかった。
――然り。
――そして、貴様は“切り札”だ。
モルティスの杖が地面を叩く。
その瞬間、周囲のスケルトンが一斉に膝をついた。
「一騎打ち、ってこと?」
問いかける私に、モルティスは静かに頷いた。
――我が興味は、貴様一人にある。
――剣聖よ。
胸が、どくんと鳴る。
このダンジョンで、私の正体を見抜く存在がいるなんて。
「……望むところ」
私は剣を構え、深く息を吸った。
仲間の気配が、後ろで息を潜める。
次の瞬間――
モルティスが消えた。
「っ!?」
視界の端で、空気が歪む。
反射的に身を捻った瞬間、黒い刃が頬を掠めた。
地面が抉れ、骨片が舞う。
重い一撃なのに、動きは信じられないほど速い。
(魔法だけじゃない……近接も、化け物)
「――《剣聖スキル:クイックドロー》!」
鞘走りと同時に、私の身体が前に出る。
斬撃は確実に捉えた――はずだった。
カンッ、と硬い音。
骨の腕で、受け止められている。
――速い。
――だが、浅い。
モルティスの拳が、腹部に叩き込まれる。
息が一気に抜け、身体が後方へ弾き飛ばされた。
「くっ……!」
地面を転がり、なんとか体勢を立て直す。
視界が揺れる。でも、まだ立てる。
「――《ブレードアクセル》!」
今度は迷わない。
距離を詰め、連続斬撃を叩き込む。
一閃、二閃、三閃。
骨が削れ、魔力が散る。
――ほう。
初めて、モルティスの声に感情が混じった。
だが次の瞬間、地面から無数の骸骨の腕が伸びる。
「っ、邪魔……!」
「桜!」
仲間の声が聞こえたけど、振り返らない。
今は、私が前に出るしかない。
「――《剣聖スキル:スラッシュ》!」
地を薙ぐ斬撃が、骸骨の腕をまとめて切断する。
その隙に、私は一気に踏み込んだ。
「終わらせる!」
刃に全力を乗せ、渾身の一撃。
モルティスの胸骨に、深く食い込む。
――見事だ。
骸骨の王は、倒れなかった。
私の渾身の一撃は、確かにネクロロード・モルティスの胸骨を捉えていた。
刃は深く食い込み、骨にひびが走り、魔力が散った――はずだった。
それでも、モルティスは立っていた。
――愚直だな。
低く、重い声が墓地に響く。
その瞬間、空気そのものが沈み込んだ。
――剣だけで、我に届くと思ったか。
杖が地面を叩かれる。
音は小さいのに、魂を直接殴られたみたいに視界が揺れた。
「っ……!」
足元の影が、勝手に動く。
私の影が、私の足首を掴んだ。
――闇魔法。
重力が、反転した。
身体が地面に縫い付けられたみたいに動かない。
「く、う……!」
剣を支えに立ち上がろうとするけど、腕が震えて力が入らない。
呼吸をするたび、肺の奥が軋む。
モルティスが、ゆっくりと近づいてくる。
その一歩一歩が、墓地全体の鼓動みたいに重い。
――剣聖よ。
――貴様は、確かに“才能”だ。
紫黒の魔力が、彼の背後に渦を巻く。
無数の怨嗟、死者の記憶、未練の塊。
――だが、ここは死者の国。
――生者が勝てる場所ではない。
「……まだ……!」
私は歯を食いしばり、剣を強く握った。
負けると分かっていても、下げられない。
――闇魔法。
地面から、黒い鎖が伸びる。
一瞬で、私の腕と脚を絡め取った。
「っ、あ……!」
鎖は冷たい。
氷じゃないのに、感覚が奪われていく。
膝が、自然と地面についた。
力じゃない。存在そのものを押さえつけられている。
――終わりだ。
モルティスが杖を掲げる。
その先に、凝縮された闇が集まっていく。
――だが、殺しはせぬ。
その言葉に、胸が強く打たれた。
――貴様は、ここで折れる器ではない。
――生きて、絶望を抱け。
闇が、弾けた。
痛みはなかった。
ただ、意識が遠ざかり、身体の力が抜けていく。
最後に見えたのは、仲間たちが叫ぶ姿と、
ネクロロード・モルティスが、王座に戻る静かな背中。
(……勝てない)
それが、はっきりと分かった。
剣聖でも。
仲間がいても。
この墓地の王には――
今の私たちでは、届かない。
意識が闇に沈む直前、
モルティスの声が、もう一度だけ響いた。
――覚えておけ、剣聖。
――次に会う時は……その剣で、世界を選べ。
そこで、私の意識は完全に途切れた。




