66話
また現れたのは、先ほどよりも明らかに細身のトレントたちで、その分、数が多く、枝の動きは速くしなやかで、単体ではなく“群れ”として獲物を追い詰め、逃げ場を削り、確実に仕留めるために最適化された存在だということが、私には一目で理解できた。
――嫌な感じの賢さだ。
深淵の森で感じたあの不快感はないのに、今のこの圧力は別種で、森が静かに笑っているような、逃げ道を用意したふりをして実際は削っていくような、そういう“意図”が枝の伸び方に滲んでいた。
「……連戦になるね」
姫華が短く息を吸い、結界札を指先で弾くように展開すると、薄く透明な膜が前方へと広がり、地面を這う枝の先端が弾かれるように軌道を逸らされるのが見えたけれど、その膜の外側から次の枝がすぐに伸び、次の枝が覆い被さり、次の枝が音もなく回り込んでくる。
止まらない。
左右、背後、上方――木々の影が濃い場所ほど枝の数は増え、視界そのものを絡め取るように迫ってきて、私の肌はじわりと汗ばむのに、背中だけが冷えていく感覚があった。
「数が多い! 一気に来るよ!」
蜜璃の声が後方から飛び、彼女が体勢を低くした瞬間、長銃の照準がまるで呼吸の延長みたいに切り替わり、魔力を帯びた弾丸が連続して放たれて枝の関節を正確に撃ち抜き、乾いた破裂音と一緒に枝が爆ぜ、木屑がぱらぱらと落ちる。
……でも、倒れた一本の隙間を埋めるように、次のトレントが即座に前に出てくる。
穴が塞がる。
こちらが作った“隙”を、敵が学習したみたいに即座に埋めてくる。
「キリがない……!」
あかりが歯を食いしばりながら前へ出て盾を構えると、真正面から叩きつけられる太い枝を受け止め、鈍い衝撃音が空気を震わせたけれど、その衝撃は確実に重く、連戦の疲労がじわじわと彼女の腕に溜まり始めているのが、私には盾の角度の微細な揺れで分かった。
(……このまま受け続けたら、崩れる)
(崩れるのは、私たちじゃなくて、隊列だ)
その瞬間、空気が変わった。
森が、呼吸を止めた。
枝の擦れる音が一拍だけ消え、代わりに“来る”という確信だけが耳の奥に鳴った。
私は無言で一歩前へ出た。
視線は低く、呼吸は浅く、けれど剣を握る手だけは一切揺れないように、むしろ揺れたら終わると知っているように、指先の力を殺し、足の裏で地面の柔らかさを測り、次の一歩の角度を決める。
――勝つためじゃない。
――崩させないために、切る。
「……行くよ」
声は小さかったのに、不思議と全員に届いた気がした。
次の瞬間、私の身体が前へ滑るように踏み込み、剣聖のスキルが解放され、空気そのものを裂く斬撃が弧を描き、正面に密集していたトレントの群れをまとめて薙ぎ払うと、枝が、幹が、蔓が、一拍遅れて崩れ落ち、土に落ちた木屑がふわりと舞った。
……でも、終わらない。
切り倒された残骸の向こう側から、さらに新たな影が蠢き、森そのものが“侵入者を排除する意思”を持って動き始めているのが、誰の目にも明らかだった。
喉の奥が、乾く。
(……これは、迎撃じゃない)
(時間を削ってる)
(私たちの“余裕”を、削りに来てる)
「……まだ、来る」
私が低く呟いたそれは予測ではなく確信で、見えない圧がさらに一段上がったように感じた。
このダンジョンは、まだ本気を出していない。
連戦を避ける判断は、私たち全員の中で自然と一致していた。
枝の動きが止み、森の圧が一段落ちたその隙を逃さず、私たちは音を殺して距離を取り、やがて小さな川辺に出た。透明度の高い水が石の間を縫うように流れ、張りついていた緊張が、ほんの少しだけ緩む。
「……ここで、短く休憩しよう」
私がそう告げると、全員が頷いた。
誰も腰を下ろさない。水を飲み、装備を点検し、呼吸を整えるだけの短時間だ。
そのとき、姫華が小さく手を挙げた。
「……ごめん、ちょっと“お花摘み”に」
彼女は気恥ずかしそうに言い、木立の奥を指す。
「すぐ戻るから。結界の張り直しも、ついでに見てくるね」
「二分で」
私はそう返した。
姫華は頷き、足音を殺して森へ消えていった。
――嫌な予感は、ほんの数十秒後に現実になる。
「……きゃあァァ!」
姫華の悲鳴がダンジョンにこだまする。
モンスターではない、人の気配が、神経を叩いた。
「姫華!」
私は剣を抜き、走った。
木立を抜け、低い窪地へ飛び出した瞬間――視界に映った光景に、胸が凍る。
姫華はスカートを脱いでいる状態で岩陰で身を屈め、必死に距離を取ろうとしていた。
その前に立つのは、トレジャーソウルの男。剣は抜かれていないが、距離が近すぎる。意図は、明らかだった。
「やめ――」
私が声を張り上げた、その刹那。
――ドンッ。
鈍い衝撃音が、森に響いた。
「……え?」
次の瞬間、トレジャーソウルの一人が、横合いから吹き飛ばされた。
地面を転がり、木の根に激突する。
「な、なんだ――」
答えは、すぐに現れた。
地面から、もこもこと隆起する影。
丸みを帯びた体躯、肉厚な傘、ずんぐりとした手足。
――マッシュルームマン。
だが、私の知っている“のんびりした”個体じゃない。
「ゴ……ゴォッ!」
低い唸り声とともに、もう一体が跳び出し、残る男の腹部へ体当たりを叩き込む。
「ぐっ……!」
防御が間に合わない。
盾を構える前に、左右から挟み撃ち。
ドン、バン、と重い音。
拳というより、丸太で殴られたような衝撃。
「な、なんでこいつらが――」
言い終わる前に、三体目。
地面を踏み鳴らし、跳躍。
傘の縁が、見事な角度で脳天を捉え――
「――ぐぁっ!」
男はそのまま、うつ伏せに倒れた。
私は、思わず足を止めた。
(……強い)
連携が、完璧だった。
逃げ道を塞ぎ、前に出すぎず、確実に無力化している。
姫華の前に、最後の一体が立つ。
だが、その姿勢は“守る”それだった。
「……ありがとう」
姫華が小さく呟くと、マッシュルームマンは誇らしげに胸を叩き、ゆっくりと男たちを見下ろす。
「ゴ……ゴォ」
“動くな”という意味に、聞こえた。
遅れて、あかりと蜜璃が駆け付ける。
「……何があった」
あかりの声は低い。
私は、剣を下ろしながら答えた。
「襲われかけた。……でも、助けられた」
視線は、マッシュルームマンへ。
蜜璃が静かに頷く。
「このダンジョン……やっぱり」
「うん」
私は、はっきり言った。
「守る側が、決まってる」
倒れたトレジャーソウルの男は泣きながら血を流して逃げていった。
「……怖かった」
姫華のその言葉に、胸が締めつけられる。
「ごめん。気づくの遅れた、、、離れさせた」
「ううん……大丈夫。来てくれた」
私は首を振り、マッシュルームマンたちに一礼した。
「……ありがとう」
彼らは、何も言わず、森の影へと溶けていく。
その背中を見送りながら、私は確信していた。
このダンジョンは――
無差別に牙を剥く場所じゃない。
そして、
人間のほうが、よほど危険なときがある。
私は姫華の隣に立ち、剣を握り直した。
「……戻ろう」
オリジンワンは、無言で頷き合い、再び隊形を組む。
森は、何事もなかったかのように静かだった。




