64話 偵察部隊 剣聖視点
裏山へ向かう道を歩きながら、私は小さく息を吐いた。
……久しぶりだな、ここ。
円頓寺の裏山。
私にとっては「ダンジョンのある山」なんて物騒な場所じゃない。
庭みたいなものだ。
小さい頃から何度も登った。
兄――お兄ちゃんと、カレンさんと、三人で。
秘密基地を作った場所。
夏は虫を捕まえて、冬は霜柱を踏みつぶして笑った場所。
転んで泣いたら、お兄ちゃんが背負ってくれた場所。
だから。
「……ここが、円頓寺ダンジョン、ね」
ギルドの資料を見た時も、正直ピンとこなかった。
でも実際に来てみると、胸の奥がざわつく。
木の並び。
風の流れ。
土の匂い。
全部、覚えているはずなのに――
どこか、違う。
「静かすぎる……」
パーティの後ろで、私は小さく呟いた。
オリジンワンの仲間たちは周囲を警戒している。
当たり前だ。
ここは未調査のダンジョン。
しかも、最近になって急に“発見された”場所。
でも、私の違和感はそれとは別だった。
懐かしいのに、知らない場所。
知っているはずなのに、知らない気配。
……まるで。
「誰かが、ずっと手入れしてたみたい」
思わず口に出た。
踏み荒らされていない下草。
自然にできたみたいな獣道。
折れた枝が、不自然に片付けられている。
ダンジョンって、もっと――
荒れてるものじゃなかったっけ。
「桜、どうした?」
前を歩く仲間が振り返る。
「ううん……なんでもない」
そう答えたけど、胸のざわつきは消えない。
それに。
――助けてくれた、あのハーピー。
白い髪。
風を切るような動き。
言葉は少なかったけど、迷いのない判断。
あの時、罠にかかった私を助けて、
深くは関わらず、すっと森の奥へ消えていった。
……あの方向。
無意識に視線が、山の奥を追う。
「偶然、だよね」
自分に言い聞かせる。
だって私は、毎日のようにお兄ちゃんに会っている。
普通に話して、普通に笑っている。
冒険者だってことも知ってる。
ただ――
剣聖だってことを、知られてなかっただけ。
それだけの、はず。
なのに。
この山に足を踏み入れてから、
ずっと胸の奥で、小さな鈴が鳴り続けている。
剣聖の勘じゃない。
妹としての、直感。
「……行こう」
私は剣の柄を、軽く握り直した。
この先に何があるのか、分からない。
でも――
ここは、私の庭だった場所だ。
そして、
何か大事なものが、
すぐ近くにある気がしてならなかった。
オリジンワンは、ゆっくりと――
円頓寺ダンジョンのへと歩みを進めていく。
桜は、途中足を止めたまま動かなかった。
剣を握る手に、わずかな力が入りすぎている。
「……」
考え込む表情を、後ろからじっと見ていた仲間が、顔を見合わせる。
次の瞬間。
「えいっ」
背後から、ふわっと体重がかかった。
「ちょ、なに!?」
桜が声を上げるより早く、背中に腕が回される。
「固すぎ。石像みたいな顔してるよ、桜」
耳元で、くすっと笑う声。
「ちょっと、やめ――」
言い終わる前に、脇腹を指先でつつかれた。
「ほらほら、戻ってきなさーい」
「ひっ……!?」
思わず体が跳ねる。
「や、やめてってば……!」
「反応いいね」
さらに軽く、こしょこしょとくすぐられる。
「も、もう……っ!」
桜は耐えきれず、笑い混じりの声を漏らした。
「……ずるい……」
その声に、仲間たちはようやく腕を離す。
「ほら、今の顔」
「さっきより、ずっといい」
桜は息を整えながら、肩をすくめた。
「……緊張してたの、そんなに分かった?」
「分かるよ」
「パーティだもん」
その一言に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
桜は剣を持ち直し、深く息を吸った。
「……ありがとう」
小さくそう言って、前を向く。
ここは、慣れ親しんだ裏山。
そして今は、一人じゃない。
「行こう」
仲間たちが、笑って頷く。
円頓寺ダンジョンへ――
オリジンワンとその他パーティは足並みを揃えて歩き出した。
裏山の斜面を登りきり、視界が開けた瞬間だった。
「……あ」
桜の足が、思わず止まる。
山頂付近。
子どもの頃、何度も通った場所。
秘密基地と呼んでいた、あの洞窟。
枯れ葉に半ば隠れた岩肌の奥に、確かに“それ”はあった。
洞窟の入口が、微かに歪んでいる。
空気が違う。
冷たくも、重くもないのに、確実に異質な何かが滲み出ていた。
「……ほんとに、あったんだ」
桜の声は、無意識に低くなっていた。
「ここが……円頓寺ダンジョン?」
姫華が、結界用の札を指先で弄びながら周囲を警戒する。
「魔力濃度、かなり高いわ。
でも、不安定じゃない……むしろ、整ってる」
「整ってる、って?」
蜜璃が首をかしげる。
「普通のダンジョンなら、もっと嫌な感じがするのよ。
ここ、変……悪意が薄い」
「それ、分かるかも」
あかりが腕を組み、洞窟を見据える。
「罠がある気配も少ない。
“守るため”の構造に見える」
そのとき、後方からざわめきが広がった。
「おいおい……マジかよ」
振り返ると、合同編成の他パーティが追いついてきていた。
トレジャーソウルのリーダーが、洞窟を見て口笛を吹く。
「ここが正体不明ダンジョン?
……なんか、思ってたより地味じゃね?」
マッスルボディの前衛が、岩を拳で叩く。
「罠もなさそうだし、俺らで突っ込めば――」
「やめておいたほうがいいですよ」
桜が、思わず口を挟んだ。
全員の視線が集まる。
「……ここ、ただの洞窟じゃない」
言葉にした瞬間、胸の奥がざわつく。
この場所を、桜は知っている。
「昔……ここで遊んでた」
ぽつりと零す。
「円頓寺カレンさんと……それから……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
(……お兄ちゃん)
記憶の中の笑い声。
転んで泣いた日。
秘密基地だと、胸を張ったあの洞窟。
「思い出の場所、ってこと?」
姫華が、そっと聞く。
桜は、静かに頷いた。
「……うん」
トレジャーソウルの一人が、鼻で笑う。
「感傷は後にしな。
ダンジョンはダンジョンだろ?」
その瞬間、桜の背筋が、ひやりとした。
「……ねえ」
桜は、仲間たちと、他パーティの冒険者たちを見回した。
「勝手に突っ込まないで。
ここ、様子がおかしい」
「は?」
「魔力が……呼吸してるみたい」
沈黙が落ちる。
姫華が小さく息を吸った。
「……確かに。
ダンジョンが“生きてる”」
あかりが剣に手をかける。
「つまり……」
蜜璃が、低く呟く。
「中に、意志を持った存在がいる」
その瞬間、洞窟の奥で、わずかに風が流れた。
――ざわり。
草木が揺れる音。
だが、敵意はない。
むしろ――
見られている。
「……ねえ」
桜は、知らず拳を握っていた。
「ここ、本当に……敵なの?」
誰も、すぐには答えられなかった。
円頓寺ダンジョン。
かつて秘密基地だった場所。
それは今、
世界のどこにも記録されていない“何か”として、
静かにそこに存在していた。




