62話
最近、円頓寺の山が騒がしい。
以前は、鳥の声と風の音しかなかったはずの登山道に、
今は人の気配が混じっている。
足音。話し声。装備の金属音。
そして、探るような視線。
「……増えましたね」
アイリスの報告は、静かだった。
彼女は空から、森の上から、
人の動きをずっと見ている。
「円頓寺ダンジョン周辺に、冒険者が集まっています。
数はまだ少数ですが……明確に“調査”の動きです」
「探ってる、って感じか」
「はい。
無差別ではありません。
地形、魔力の流れ、出入り口になり得る場所……
意図を持った観察です」
俺は小さく息を吐いた。
「……やっぱり来たか」
いずれはこうなると、分かっていた。
円頓寺ダンジョンは、もう“静かにしていられる規模”じゃない。
深淵の森ダンジョンが消え、
洋館ダンジョンも、火山ダンジョンも消えた。
その近隣に、
何も無いはずがないと疑われるのは、当然だ。
「……主」
アイリスが、珍しく言葉を選ぶように間を置いた。
「もしや……
私が、深淵の森ダンジョンにて目視された件が原因では?」
彼女は、深く頭を下げた。
「私の判断で救助を行いました。
結果として、痕跡を残した可能性があります」
その姿に、胸が少し痛んだ。
「顔、上げてくれ」
俺は、はっきり言った。
「気にする必要はない。
遅かれ早かれ、こうなってた」
「ですが……」
「アイリス」
名前を呼ぶと、彼女は黙ってこちらを見る。
「助ける判断をしたことを、俺は後悔してない」
一瞬、
彼女の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……承知しました」
◇
その直後だった。
慌ただしい足音が、屋敷の廊下を駆けてくる。
「大門くん!」
扉を開けて飛び込んできたのは、結衣だった。
息が切れている。
顔色も、いつもより硬い。
「どうした?」
「ギルドから戻ってきたんだけど……大変!」
彼女は一息で言った。
「ギルドで、合同編成が組まれたの。
調査対象は――円頓寺ダンジョン」
その言葉は、
分かっていたはずなのに、
胸にずしりと来た。
「……やっぱり、バレたか」
「うん。
もう隠す気もないみたい。
正式名称も、円頓寺ダンジョンって発表されてた」
結衣は、少し躊躇ってから続ける。
「それで……
その合同編成の中心に、
Bランクパーティ《オリジンワン》が入るって」
一瞬、
頭の中が真っ白になった。
「……オリジンワン、か」
俺は、知っている。
そのパーティのことを。
そして――そこに、誰がいるのかも。
「……妹が、いる」
結衣は、ゆっくり頷いた。
「うん。
桜ちゃんのパーティだよ」
胸の奥が、締め付けられる。
俺は、妹のことが好きだ。
大切で、
心配で、
守りたくて仕方がない。
正直に言えば、
シスコンだと言われても否定できない。
でも――
視線を巡らせれば、
このダンジョンには、
守りたい存在が、もう一つある。
アイリス。
マリー。
エーデルワイス。
雪。
彩乃。
紅葉。
たぬき。
子どもたち。
そして――カレン。
誰か一人を選んで、
誰か一人を切り捨てるなんて、
俺にはできない。
「……」
しばらく、言葉が出なかった。
でも、
迷っている時間はない。
「……みんなを集めてくれ」
俺は、静かに言った。
屋敷の広間に、配下たちが集まる。
その顔ぶれを見渡した瞬間、
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「大事な話がある」
ざわついていた空気が、一瞬で静まる。
「ギルドの偵察部隊が、円頓寺ダンジョンへ向かってくる。目的は調査だが、事実上の踏み込みだ」
誰も騒がない。
だが、事態の重さは全員が理解していた。
「その中に――俺の妹がいる」
空気が、はっきりと変わった。
「頼みがある。妹だけは殺さないでほしい。敵対しても、必ず捕らえてくれ」
俺は、深く頭を下げた。
ダンジョンマスターとしてではなく、
兄としての願いだった。
その沈黙を破ったのは、
広間の端で尻尾を揺らしていた小さな影だった。
「ぼ、僕もがんばるだなも! 武器も罠も作るだなも! 侵入者を殺さない仕掛け、いっぱい用意するだなも! 絡め取る罠や動けなくする床、逃げ道をふさぐ仕掛けも任せるだなも!」
小さな体で精一杯胸を張るたぬきに、
張り詰めていた空気が、ほんの少し和らぐ。
続いて、フロースが一歩前に出た。
「主、新作のポーションが完成しました。致死性はありませんが、強力な麻痺と睡眠効果があります。人間にもモンスターにも有効ですので、捕縛用として最適かと」
それは、はっきりと「生かすため」の準備だった。
紅葉が、情報を整理するように口を開く。
「オリジンワン以外の編成ですが、Cランクが二つ、Dランクが一つです。正面突破より索敵と強行偵察が目的でしょう。本気で潰しに来る構成ではありませんが、油断は禁物です」
経験に裏打ちされた、冷静な分析。
その横で、くねりと身体を揺らしながらアラクネが笑う。
「はぁい、あたしも準備万端よぉ。防具の下に着るもの、全部強化しておいたわ。切れにくい、燃えにくい、絡まりにくい。見えないところほど大事なのよぉ?」
冗談めいた口調だが、内容は本気だ。
そして――
最初に沈黙を保っていたアイリスが、一歩前に出る。
「主の願い、理解しました。敵対行動を取らない限り、最大限の配慮を行います。進路制御と制圧を最優先に」
迷いのない声。
マリーが肩をすくめながら続ける。
「はぁ……ほんと甘いよね。でもさ、あーしはそういうの嫌いじゃない。妹さん、ちゃんと無事に返そ」
エーデルワイスは短く。
「……守るべきものがある者は、強い」
結衣が唇を噛みしめて言った。
「桜ちゃん……絶対、無事にしよう」
その流れの中で、
最後に口を開いたのが、カレンだった。
静かで、穏やかな声。
けれど、はっきりとした意志があった。
「もし桜ちゃんが、ここへ攻めてくることを選んだなら、その意思は……尊重してあげてほしい」
止めることが優しさではない。
自分で選び、剣を取ったのなら、それもまた彼女の道。
「私が願うのはね……誰かが倒れる未来じゃなくて、全部が終わったあとにまた、このダンジョンで、桜ちゃんも一緒にみんなで笑える未来」
桜も、俺も、
そしてこのダンジョンにいる全員が――
同じ場所に立っている未来。
その言葉は、
戦いを否定するものではなく、
戦いの先を選び取る願いだった。
広間には、もう迷いはなかった。
広間にいる全員が、同じ方向を向いていた。
俺は、ゆっくりと顔を上げる。
ここはダンジョンだ。
だが――
ここにいるのは、
誰かを奪うためじゃなく、
誰かを守るために戦う者たちだった。




