61話 中村桜 視点
――中村桜・視点――
ギルド円頓寺支部の合同待機ホールは、朝から妙に騒がしかった。
普段なら同じランク帯のパーティ同士で固まる空間なのに、今日は違う。
Bランク、Cランク、Dランクが一堂に会する――それだけで、空気が落ち着かない。
私は壁際に立ち、パーティメンバーの気配を背に感じながら、周囲を観察していた。
オリジンワンは、いつも通り。
姫華は結界札の確認。
あかりは周囲の人員配置を見て、頭の中で隊列を組んでいるのが分かる。
蜜璃は無言で高所を探し、狙撃ポイントの癖で天井付近を眺めていた。
……私だけが、少し落ち着かなかった。
理由は単純だ。
この合同編成、嫌な予感がする。
そう思った直後だった。
「お、君たちが噂のオリジンワン?」
軽い声。
軽すぎる声。
振り向かなくても分かる。
Cランクパーティ、トレジャーソウル。
財宝探索専門、罠解除と嗅覚スキルに特化した連中。
実力はある。
……が、評判もそれなりだ。
「へぇ~、全員女の子なんだ」
「しかもレベル高い。
探索より、デート向きじゃない?」
胸の奥で、何かが冷たくなる。
私はゆっくりと振り返った。
金髪の軽装剣士。
軽口を叩くタイプの男だ。
視線が、私たちを値踏みするように舐め回す。
「特に君」
その男は、私を指差した。
「黒髪で真面目そうなのに、目が強い。
そういうの、嫌いじゃないよ」
――あ。
一瞬、世界が静止した。
姫華が息を吸う音。
あかりが一歩踏み出そうとする気配。
蜜璃が、ゆっくりと狙撃姿勢に移ろうとするのが分かる。
でも――
その前に。
私は、剣に触れた。
触れた、だけだ。
次の瞬間。
男の喉元に、冷たい感触が生まれていた。
剣は、抜いていない。
それなのに。
「……え?」
男が、理解できないものを見る顔になる。
私の剣は、鞘に収まったまま。
それでも、その切っ先は、確実に彼の首元へと“到達”していた。
距離、ゼロ。
風も、音も、なかった。
ただ――
剣聖の“結果”だけが、そこにあった。
「……ナンパ?」
私は、静かに問いかけた。
声は低くも高くもない。
感情を、削ぎ落とした声。
「ここは、合同調査の集合場所」
「軽口を叩く場でも、
女を値踏みする場でもない」
男の喉が、こくりと鳴る。
「ま、待てって……冗談だよ、冗談」
「冗談で、人は死ぬ」
淡々と、事実を告げる。
「ここがダンジョン内なら、
あなたは今、もう声を出せない」
剣を、戻す。
一瞬だった。
男は、数歩よろめいて後ずさる。
「……剣、見えなかった」
その呟きが、震えていた。
トレジャーソウルのリーダー格らしき人物が、慌てて前に出る。
「すまない!
こいつ、口が軽くて……」
私は、視線だけを向けた。
「次はない」
それだけ言って、背を向ける。
背後で、誰かが息を吐いた音がした。
「……さすが、剣聖」
蜜璃が、小さく呟く。
「桜、やりすぎだ」
あかりが注意するが、声は柔らかい。
姫華は、私の袖を軽く引いた。
「……大丈夫?」
私は、短く頷いた。
「問題ない」
本当は、少しだけ動悸がしていた。
戦闘ではない。
でも、こういう“軽さ”が、一番危険だと知っている。
正体不明ダンジョン。
複数のダンジョン消失。
――ふざけている暇なんて、ない。
その時、支部職員の声が響いた。
「合同編成パーティの皆さん、集合してください!」
空気が、切り替わる。
さっきまでの緩さが、嘘のように消えた。
私は、剣に手を添えたまま、前を向く。
(……守る)
それだけを、胸に刻む。
オリジンワンは、
軽く見られる存在じゃない。
ギルドの会議室は、いつもより少しだけ空気が重かった。
合同編成による偵察任務。
表向きはそう説明されたけれど、実際には“正体不明のダンジョン”を探るための様子見であり、状況次第では踏み込む覚悟も求められる仕事だった。
前に立つ支部長が、地図を指で叩く。
「今回の偵察対象は――円頓寺の山中に確認された未登録ダンジョンです」
その瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
「……円頓寺?」
思わず漏れた声を、私はすぐに飲み込む。
けれど、一度生まれた違和感は、簡単には消えてくれなかった。
「正式名称は“円頓寺ダンジョン”。
この地域では、これまで
寂れた洋館ダンジョン、熱々の火山ダンジョン、
そして消失した深淵の森ダンジョン以外、
ダンジョンの存在は確認されていませんでした」
支部長の説明は続く。
「しかし、洋館ダンジョンと火山ダンジョンは直近で消失。
火山ダンジョンについては、Bランクパーティ《オリジンワン》が攻略したと報告されていますが、
内部のモンスター数が異常に少なかったという証言があります」
ざわり、と室内が揺れた。
「第三者、あるいは別のダンジョンが関与している可能性が高い、というわけだ」
議論は紛糾した。
Aランクを呼ぶべきだという声と、偵察だけなら過剰だという声。
結局、Bランクを主軸にC・Dランクを加えた合同編成で決まった。
私は、そのやり取りを聞きながら、ほとんど別の場所に意識を置いていた。
(……円頓寺)
その名前が、胸の奥で何度も反響する。
円頓寺といえば、まず思い浮かぶのは――人だ。
円頓寺カレンさん。
お兄ちゃんの幼馴染で、私にとっても子どもの頃から一緒に遊んでもらった、少し年上のお姉さん。
◇
――少し前のこと。
ダンジョン騒動が始まってしばらくしてから、私は一度、カレンさんのお見舞いに行こうとした。
魔力欠乏症。
長く入院していると聞いていたから、顔くらい見せたいと思っただけだった。
でも。
「……いない?」
病室は、空だった。
看護師さんに聞くと、困ったように首を傾げられた。
「詳しいことは分からないんですけど……
急に、いらっしゃらなくなって」
その言い方が、妙に引っかかった。
事故でも、退院でもない。
ただ“いなくなった”。
嫌な予感がして、その足で家に戻り、お兄ちゃんに聞いた。
「ねえ、お兄ちゃん。カレンさん、病院いなくなったって……」
すると、お兄ちゃんは少し驚いた顔をしたあと、あっさり言った。
「え? ああ、そうなんだ」
それだけだった。
「……心配じゃないの?」
「んー……まあ、事情があるんだろ」
深く考えていない様子だった。
その時は、私もそれ以上は追及しなかった。
お兄ちゃんがそう言うなら、きっと大丈夫なんだろうと。
でも――
今になって思う。
(あの時から、何かがズレてた)
◇
――もっと昔。
まだダンジョンなんて影も形もなかった頃。
円頓寺の裏山は、ただの裏山だった。
木が生い茂って、土の匂いがして、
秘密基地と呼ぶにはあまりにもお粗末な場所。
「桜ちゃん、こっちだよ!」
カレンさんは、いつも私の少し前を走っていた。
転びそうになりながら笑って、
振り返って手を振って。
「待ってよー!」
私がそう叫ぶと、後ろでお兄ちゃんが苦笑する。
「だから言っただろ、走るなって」
文句を言いながらも、一番後ろで、ちゃんと私たちを見ていてくれた。
あの場所は、安全だった。
怖いものなんて、何もなかった。
◇
(その裏山に、ダンジョン……)
理屈では理解できる。
今の世界なら、どこにダンジョンがあってもおかしくない。
でも。
胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。
そして、もう一つの記憶が浮かぶ。
深淵の森ダンジョンで、罠にかかったあの日。
完全に油断していた私を助けた、白髪のハーピー。
鋭い動き。
無言の判断。
私を安全圏まで運び、何も言わずに去っていった。
その飛び去った先が――円頓寺方面だった。
(偶然……だよね)
何度もそう言い聞かせる。
でも、胸の奥で何かが否定する。
これは、剣聖としての勘じゃない。
戦場で磨かれた直感でもない。
もっと原始的で、もっと厄介なもの。
――妹としての直感。
お兄ちゃんの周りで、何かが起きている。
カレンさんの身に、何かが起きている。
理由も証拠もないのに、
ただ、それだけは確信できてしまう。
私は、剣の柄にそっと触れた。
(……行こう)
まだ、名前は出ていない。
まだ、真実は見えていない。
でも、この円頓寺ダンジョンは、
きっと私の過去と、家族と、
深く繋がっている。
そうでなければ、
こんなにも胸がざわつくはずがない。
私は顔を上げ、合同編成の列に加わる。
剣聖としてではなく――
まずは、妹として。
その違和感の正体を確かめるために。




