6話目 ジャングルエリア作成
円頓寺ダンジョンの静けさの中で、俺は改めて一つの目的を思い出していた。
この場所は、秘密基地でも、実験場でもない。
魔力欠乏症。
魔力が足りないことで、命が削られていく症状。
俺は、隣に立つ秘書ハーピーへ視線を向けた。
「……魔力欠乏症の人間を、生かし続けるには、どうすればいい」
ハーピーは即座に答えなかった。少しだけ視線を伏せ、思考するように指先を顎に当てる。
「単純に魔力濃度を上げるだけでは、不安定です」
淡々とした口調だった。
「重要なのは、循環です」
「循環?」
「はい。魔力を溜めるだけの空間は、いずれ飽和し、崩壊します。生成し、消費され、再び生まれる。その流れを作るべきです」
メニューが反応し、簡易的な図のようなものが浮かぶ。
「そのために、第一階層は自然環境が最適です」
彼女は、はっきりと言った。
「円頓寺ダンジョン一階層は、ジャングルにすることを推奨します」
「……ジャングル」
「はい。魔力は生命活動と密接に関係しています。特に、樹木は優秀です」
表示が切り替わり、いくつかの項目が並ぶ。
「魔力を生成する樹木」
「食料となる果樹」
「管理・防衛役としてのトレント」
どれも、聞いたことのある存在だった。
「樹木が魔力を生み、果樹が命を支え、トレントが守る。三位一体の構造です」
理路整然とした説明。まさに秘書。
「……現実的だな」
「現実的でなければ、長期運用は不可能です」
そこまで言ってから、彼女は一瞬、視線を逸らした。
「特に、果樹についてですが」
間が、わずかに長い。
「高魔力環境に適応し、かつ味覚的にも……優れた種があります」
表示されたのは、いくつかの果樹の名前。どれも、聞いたことがないものばかりだが、説明文には「高魔力」「栄養価が高い」といった文字が並んでいる。
「魔力供給源として、非常に有効です」
言い切りのはずなのに、声がほんの少しだけ柔らかい。
「……」
俺は、彼女の横顔を見た。
「それ、魔力が豊富だからじゃなくて」
一拍置いてから、続ける。
「自分が食べたいだけじゃないか?」
ハーピーの動きが、止まった。
「……っ」
一瞬、フリーズしたみたいに固まり、それから分かりやすく視線を泳がせる。
「ち、違います」
声が、わずかに裏返った。
「私はあくまで、ダンジョン運営上の合理性を――」
そう言いながら、頬がうっすら赤くなっている。
「味覚的評価は、あくまで参考資料であり、個人的嗜好では――」
言葉が、少しずつ速くなる。
「……」
俺は、何も言わずに見ていた。
「……その」
最後に、小さく咳払いをする。
「結果的に、私の好みに合致するだけです」
完全否定ではなかった。
その様子を見て、思わず笑いそうになるのを、俺は必死に堪えた。
円頓寺ダンジョンは、まだ何も完成していない。
けれど、循環する仕組みと、少しだけ人間臭い秘書のおかげで、確かに「生きる場所」になり始めている気がした。
そして、このジャングルは、カレンを迎え入れるための、最初の土台になる。
俺は、メニューを見つめたまま、静かに頷いた。
「……一階は、ジャングルでいこう」
迷いは、もうなかった。
秘書ハーピーは、小さく一礼する。
「承知しました」
その動きは無駄がなく、先ほどの慌てぶりが嘘みたいだった。
「念のため、ご説明しますが」
彼女は続ける。
「円頓寺ダンジョンは、裏山に入口を持っていますが、内部は別空間です。拡張によって、現実の円頓寺を侵食することはありません」
「つまり……」
「どれだけ広げても、山が飲み込まれたり、地形が変わったりすることはない、ということです」
それを聞いて、胸の奥で張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。
この場所が、誰かの迷惑になることはない。
少なくとも、今のところは。
メニューが反応する。
【ダンジョン生成ポイント:1000】
「全部、使い切る」
言葉にすると、数字が震えるように光った。
【一階層:環境設定】
【ジャングル】
【魔力循環構造:構築】
【魔力生成樹木:配置】
【果樹群:配置】
【トレント:召喚】
項目が次々と確定していく。
ポイントが、減っていく。
1000。
800。
500。
200。
0。
最後の数字が消えた瞬間、洞穴の奥から、低く、長い音が響いた。
地鳴りのようでいて、破壊の気配はない。
空間が、広がっていく。
視界が揺れ、次の瞬間、俺は別の場所に立っていた。
湿った空気。
濃い緑の匂い。
頭上には、絡み合うように伸びた樹冠。
「……すごいな」
そこは、紛れもなくジャングルだった。
地面からは、淡い光を放つ樹木が生えている。葉の一枚一枚が、魔力を含んでいるのが、肌で分かる。少し息をするだけで、胸の奥が温かくなる。
少し奥では、果実が実った木々が並んでいた。瑞々しく、見ただけで栄養がありそうだ。
そして。
重い足音とともに、木の間から巨大な影が動く。
樹皮の身体。
枝の腕。
トレントが、静かに頭を下げた。
守る者として、ここに存在している。
「……これなら」
魔力は、溜まるだけじゃない。
生まれ、巡り、使われる。
円頓寺ダンジョン一階層は、完成した。
ここは、誰かが生きるための場所だ。
そして、俺はその管理者として、初めて「形ある選択」をしたのだと思えた。
ジャングルの中を歩いていると、空気の重さが少しずつ身体に馴染んでくるのが分かった。息苦しさはない。ただ、濃い。確実に、魔力が満ちている。
「環境は安定しています」
秘書ハーピーが、周囲を見渡しながら言った。
「循環も問題ありません。この状態を維持できれば、魔力欠乏症の症状緩和は期待できます」
「期待、じゃなくて、確信が欲しいところだけどな」
「そのための、次の段階です」
そう言いながら、彼女の視線が、果樹の一つに止まった。
枝に実っている果実は、淡い光を放っている。丸く、少し大きめで、見るからに甘そうだった。
「……」
ハーピーは、一歩近づいたあと、何事もなかったように視線を逸らす。
「……食べなくていいのか」
俺が言うと、彼女の肩がわずかに跳ねた。
「い、いえ。私は業務中ですので」
「業務内容に、魔力の安全確認も含まれてるだろ」
「……」
一瞬、沈黙。
それから、彼女は小さく息を吐き、果実に手を伸ばした。
「では、サンプルとして」
そう前置きしてから、果実を一つもぎ取る。無駄のない動作なのに、どこか慎重だ。
一口。
次の瞬間、彼女の動きが止まった。
「……」
「どうだ」
「……」
返事がない。
もう一口、今度は少し大きめに齧る。
「……問題、ありません」
そう言う声が、いつもより少し柔らかい。
「魔力含有量も、味覚的にも……良好です」
「やっぱり味重視じゃないか」
指摘した瞬間、彼女はぴたりと動きを止めた。
「ち、違います」
即答だった。
「これはあくまで、品質確認であり」
そう言いながら、視線がわずかに泳ぐ。
「……その」
頬が、ほんのり赤い。
「甘味のバランスが、優れているだけです」
「つまり、美味しい」
「……結果的に、そうなります」
完全否定はしなかった。
翼が、落ち着かない様子で小さく動く。いつものクールさは、どこかへ消えていた。
その姿を見て、俺は小さく笑った。
円頓寺ダンジョンは、まだ始まったばかりだ。
けれど、この場所には、魔力があり、循環があり、少しだけ余裕がある。
そして、スーツ姿で果実を頬張る秘書ハーピーがいる。
不思議と、それだけで、このダンジョンは失敗しない気がしていた。




